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日蓮正宗高照山妙光寺 

正面入口


沿革について

平成8年4月20日 総本山第67世御法主日顕上人猊下御親修
高照山妙光寺開創百周年記念法要 妙光寺会館落慶入仏式ならびに御親教の砌
妙光寺第8代住職 尾林広徳(日至)師の 謝辞より

 当高照山妙光寺は、元和2年(西暦1616年)4月、総本山第15世日昌上人を開基として、駿河の国駿東郡浮嶋村に創せられました古刹でありますが、元来は本廣寺、蓮興寺と並んで、浮嶋根方三こう寺の一つでありました。

この妙光寺を、九州開導の師として知られる妙寿日成尼の弟弟子に当たる初代富士本日奘贈上人が、東京京橋教会所ならびに品川の蛇窪教会所の設立を経た後、京橋、蛇窪、三ツ木、目黒、中延、戸越等の信徒を督励して、新寺の建立を発願されたことに始まります。時に明治26年3月のことでありました。しかし、明治政府の廃仏毀釈の政策によって新寺の建立は認められず、時の御隠尊日布上人の御配慮のもとに、東京府知事ならびに興門派管長に届け出て、駿河の国駿東郡の高照山妙光寺の山号寺号を移転して、明治26年7月にその認可を得たのであります。同年9月より本堂の建築が始まり、明治28年10月14・15の両日に、御隠尊日布上人の御親修のもとに、妙光寺本堂新築落慶法要が厳粛に奉修されたと伺っております。

京橋本因妙講以来の松島家、この土地を寄進された谷岸家、山林を切り開き、本堂の建立に勤労奉仕した蛇窪の金子・高橋・森谷家、三ツ木の根岸家・岸家、戸越・中延の安藤・野村家の人びとたちが、天保年間以来、150年の信仰を継ぎ、本日の盛儀にも6代目、7代目の子孫として、数多く参詣いたしております。

本日は奇しくも初代廣布院日奘贈上人の祥月命日に当たっており、今回『妙光寺百年史』の編纂に当たり、贈上人の写真と明治26年7月より明治18年1月までの1年半にわたる寺域の開墾、整地、運搬、屋根葺き、植木手間奉納等の奉仕者の名簿が谷岸庄兵衛家(谷岸本家)の蔵から発見されたことを御報告申し上げたいと存じます。

明治、大正から昭和初期の折伏の法将として、東都の弘教に邁進され、目黒の妙眞寺、目白の妙國寺、大森の梅屋敷や中華民国の上海、樺太の眞岡の教会所を開設された大慈院日仁贈上人、総本山第63世の法燈を継がれた日滿上人、昭和の激動の時期に宗門を支えられた富田阿闍梨堅持院日法贈上人、化儀の大家として知られた圓妙院日彰上人、鉄筋5階建ての大納骨堂の建設と本堂・庫裡を近代的な鉄筋コンクリート建ての大寺院へと面目を一新され、また雄弁をもって知られた大東院日明贈上人、永年にわたり宗会議長また寺族同心会会長として尽力せられた常照院日修贈上人等の妙光寺の百年に及ぶ御先師の御事跡を拝しますとき、ただただ我が身の浅学と菲才を恥じるばかりであります。

今日よりは、御法主日顕上人猊下の驥尾に付し奉り、御歴代先師の御遺徳を見習いつつ、信行学の三事に精励して、宗門のため、世界広布のため、妙光寺のさらなる興隆と妙光寺支部・正道講支部の発展に全身全霊を打ち込んで御奉公の誠を尽くしたいと決意を新たにするものであります。