平成19年2月1日発行 高照山 第230号
妙光寺住職  尾 林 日 至
四条金吾殿御返事(一)
文永9年5月2日  51歳 

 「日蓮が諸難について御とぶらひ、今にはじめざる志ありがたく候。法華経の行者としてかゝる大難にあひ候は、くやしくおもひ候はず。いかほど生をうけ死にあひ候とも、是ほどの果報の生死は候はじ。又三悪四趣にこそ候ひつらめ。今は生死切断し仏果をうべき身となればよろこばしく候。
 天台・伝教等は迹門の理の一念三千の法門を弘め給ふすら、なお怨嫉の難にあひ給ひぬ。日本にして伝教より義真・円澄・慈覚等相伝して弘め給ふ。第十八代の座主は慈慧大師なり、御弟子あまたあり。其の中に檀那・慧心・僧賀・禅瑜等と申して四人まします。法門又二に分かれたり。檀那僧正は教を伝ふ。慧心僧都は観をまなぶ。されば教と観とは日月のごとし。教はあさく、観はふかし。されば檀那の法門はひろくしてあさし、慧心の法門はせばくしてふかし。今日蓮が弘通する法門はせばきやうなれどもはなはだふかし。其の故は彼の天台伝教等の所弘の法よりは一重立ち入りたる故なり。本門寿量品の三大事とは是なり。南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行すればせばきが如し。されども三世の諸仏の師範、十方薩(た)の導師、一切衆生皆成仏道の指南にてましますなればふかきなり」
(御書597n)

(住職の講義)

日蓮大聖人様は文永8年9月12日に竜口の御難に遭遇されまして、その後、依智(今の神奈川県厚木市)の本間六郎左衛門の館に御滞在になって、10月から11月にかけて、佐渡に入られ御流罪になられたわけであります。その時に大聖人様の門下においても、大聖人様ほどのお方が、どうしてこのように次々と諸難に遭遇なされるのかと非常に疑問に思い、大聖人様に付いていけない人も数多く出てきたのでございます。
  一方また四条金吾のような方でさえも、そのことについて、大聖人様から御指南を賜り、「現世安穏、後生善処」(法華経217n)と経文にあるけれども、一向に現世安穏ではないではないか、そうした質問も大聖人様になさっているのであります。そうした動揺は信徒だけではなく、門下の僧侶においてもあったのであります。むしろ大聖人様が余りにも強折過ぎるから難に遭うのではないか、というようなことを言ふ人もあったわけであります。そうした様々な諸難に対する疑問が逆巻くなかで、大聖人様が四条金吾さんを通じて、我々門下一同に賜ったところのお手紙であると拝されるのでございます。どうか、このお手紙の御指南を通して、私たちのこれからの信心のうえにおいても、そうした諸難に遭遇した時、疑問を感じた時に、この御文に還っていただいて、大聖人様がどのように佐渡においてお暮らしになり、門下を教導されたかということを思い起こしていただきたいと思うのであります。信心を生涯にわたって貫き通すうえにおいて、非常に短いけれども大事な御書として拝していただきたいと思います。
四条金吾さんは、竜口の大難の時に、自分もお供をして命をかけて、大聖人様に従って行った。そうしたことがありますから、大聖人様は、鎌倉におられる門下一同に対して、四条金吾さんを通じて、こうしたお手紙を託されたものと思われるのであります。
  このお手紙が書かれたのは文永9年の5月2日ですが、その直前の2月に、大聖人様は『開目抄』をお著しになり、翌年の4月には『観心本尊抄』をお著しになりました。そうして、大聖人様こそ末法の御本仏であり、その御本仏の資格において、一閻浮提第一の御本尊様を建立あそばされるという、その教義的な意義を明らかにされました。その両抄を著された前後のお手紙であるということを心に銘記していただき、また、両抄の大事な意義をも含んだお手紙であるということを深く読み取っていただきたいと思います。
  それでは御文に入りますと、
「日蓮が諸難について御とぶらひ、今にはじめざる志ありがたく候。法華経の行者としてかゝる大難にあひ候は、くやしくおもひ候はず。いかほど生をうけ死にあひ候とも、是ほどの果報の生死は候はじ。又三悪四趣にこそ候ひつらめ。今は生死切断し仏果をうべき身となればよろこばしく候」。日蓮大聖人様が伊豆の流難や竜口の頚の座等々の大難に値われるごとに、四条金吾さんは、大聖人様をお見舞い申し上げ、お慰めの言葉もかけておられたと思うのであります。それに対して、大聖人様からは、諸難に対する御法門の御教示を数々賜わっておられた。したがって、今回の佐渡の御難が初めてのことではなく、何時も変わらぬ御志ありがたく存じます、という大聖人様の四条金吾さんに対する感謝のお言葉であります。このような大難に値い、三類の強敵、三障四魔をことごとく凌ぐところに法華経の身読、一閻浮提第一の法華経の行者としての証明がなされるのでありますから、いかに厳しくとも、大聖人様としては少しも侮しくは思ってはおられません。過去世に如何ほど生死をくり返したとしても、これ程の妙法弘通のために大難に遭い、法華経の行者としての大確信が得られた、そういう尊い果報の生死を受けたことは今までありませんでした。
  また今までは地獄、餓鬼、畜生の三悪道、それに修羅を加えて四悪趣と申しますが、そういう悪道の境界に堕して苦しんできたが、今度はそういう悪い生死の絆を断ち切って、最高の仏果菩提を果たすのであるから、まことに悦ばしく思いますと仰せであります。本当に大聖人でなければ、大難の真っ直中にあって、「よろこばしく候」とは言えないお言葉だと思うのであります。
「天台・伝教等は迹門の理の一念三千の法門を弘め給ふすら、なお怨嫉の難にあひ給ひぬ。日本にして伝教より義真・円澄・慈覚等相伝して弘め給ふ。第十八代の座主は慈慧大師なり、御弟子あまたあり。其の中に檀那・慧心・僧賀・禅瑜等と申して四人まします。法門又二に分かれたり。檀那僧正は教を伝ふ。慧心僧都は観をまなぶ。されば教と観とは日月のごとし。教はあさく、観はふかし。されば檀那の法門はひろくしてあさし、慧心の法門はせばくしてふかし」。天台大師、伝教大師等は法華経迹門の理の一念三千の法門を弘められるにおいてさえも、諸宗の人々から怨嫉の難に値われました。日本国における法華経の弘通は伝教大師より義真、円澄、慈覚等順次に相伝を弘めて、第十八代の座主が慈慧大師(良源)であります。その慈慧大師には多くの弟子があったが、そのなかに檀那(覚運)、慧心(源信)、僧賀、禅瑜の四人があって、法門もまた二つに分かれ、教相と観心の二流に分かれていった。檀那僧正は教相を伝え、慧心僧都は観心を学んだのであります。それゆえに教と観は日月のような関係にありました。教相は浅く、観心は深い。それゆえに檀那僧正の法門は広くて浅く、慧心僧都は狭くて深い。このように大聖人様は評価されているわけであります。
  「今日蓮が弘通する法門はせばきやうなれどもはなはだふかし。其の故は彼の天台伝教等の所弘の法よりは一重立ち入りたる故なり。本門寿量品の三大事とは是なり。南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行すればせばきが如し。されども三世の諸仏の師範、十方薩?(た)の導師、一切衆生皆成仏道の指南にてましますなればふかきなり」。今、日蓮大聖人様が弘通するところの法華経寿量品の文底の法門は、狭いようであるけれども、実は甚だ深いのであります。そのわけは、天台大師や伝教大師が弘められた法門は法華経の文上の迹門と本門という第一、第二の法門に過ぎない。ところが大聖人様が弘められた法門は、それより一重立ち入った法華経の本門寿量品の文底に秘められたところの久遠元初の南無妙法蓮華経という大法であります。この法体こそ、これを開けば、法華経本門寿量品の三大事、つまり本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇という三大秘法になるのであります。
  南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行すれば狭いようであります。しかし、三世の諸仏の御師、十方の菩薩の導師であり、一切衆生成仏得道の指南となるのでありますから、まことに深い法門なのであります。
  日蓮大聖人様が今末法の御本仏として、法華経本門寿量品文底の南無妙法蓮華経を三大秘法に御建立あそばされて、末法万年の一切衆生を救済してくださるという、その正法が、如何に勝れた仏法であるかということを心に深く銘記して、これからの信心を、ますます培っていっていただきたいと思うのであります。
  大聖人様に対する御報恩の気持ちを常に忘れることなく、その御報恩となるところの折伏行の実践が、あらゆる功徳の源泉となって、日常生活のうえに顕れてくるということを確信していただきたいと思います。皆様方のいよいよの御精進と、また広布への命を懸けての実践行動をお願いいたしまして、今日の御書講に代えさせていただく次第でございます。
  幹部が率先垂範して、自行化他の信心の誠を尽くしていただきたい。よろしくお願い申し上げます。御苦労様でした。
(平成19年1月14日 月例報恩お講において)

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