平成19年3月1日発行 高照山 第231号
妙光寺住職  尾 林 日 至
開 目 抄
文永九年二月 五十一歳 

 「涅槃の疏に云はく『仏法を壊乱するは、仏法の中 の怨なり。慈無くして詐り親しむは、是彼が怨なり。 能く糾治せん者は、是護法の声聞、真の我が弟子な り。彼が為に悪を除くは、即ち是彼が親なり。能く 呵責する者は、是我が弟子、駈遣せざらん者は、仏 法の中の怨なり』等云云。」(御書577n)

(通釈)
  章安大師の『涅槃経疏』に、仏法を破壊し乱す者は仏法の中の怨である。慈悲を失い、いたずらに偽り謗法の人々に親しむ者は、これ彼が為には怨となる。此等の人々を糾弾し治罰する者は、これ護法の声聞、真の我が弟子である。彼が為に謗法の悪知識を捨てさせる者は彼が親である。よく叱り責める者は、これは我が弟子である。謗法を追放しない者はこれ仏法の中の怨である。
(解説)
  この章安大師の御文は釈尊の遺された『涅槃経』の「若し善比丘、法を壊る者を見て、置いて、呵責し、駈遣し、挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し、呵責し、挙処せば、是我が弟子、真の声聞なり」という経文を解釈されたあまりにも有名な御文である。私達も此の経疏を心に銘記して、多くの人々を救っていこう。
御住職のお話
  2月と申しますと、日蓮大聖人様の御化導のうち、文永9年の2月にお著しになられた『開目抄』という大事な御書を忘れてはならないと思います。大聖人様は、この御書におきましても、末法の今、破法の日本国においては、摂受を行ずべきか、折伏を行ずへきかということにつきまして、『涅槃経』の文等々を挙げられまして、厳然として、どこまでも折伏を行ずべきであるということを明示あそばされております。
本日拝読の『開目抄』の御文の直前に、大聖人様は『涅槃経』(巻第三、北本は「寿命品第一之三」、南本は「長寿品第四」)の「若し善比丘、法を壊る者を見て、乃至 是我が弟子、真の声聞なり」というお経文を挙げておられるのであります。このお経文のなかで「置いて、呵責し、駈遣し、挙処せずんば」というのは、そのまま放置し、叱り責めず、住む所から追いやらず、罪をあげて処分しなければ」という意味であります。また「是我が弟子、真の声聞なり」というのは、これこそ私の弟子であり、本当に仏の教えを聞いて、その通りに修行する者であるという意味であります。 この『涅槃経』のお経文の箇所を解釈した所が、「涅槃の疏に云はく」以下の文で、天台大師のお弟子の章安大師が書かれた『大般涅槃経疏』巻七の「長寿品」を解釈したところの文であります。
2月は大聖人様のお誕生の月でもあり、日興上人の御正当の月でもあり、さまざまな法要が行われます。
  日蓮正宗における法要は、「四悉檀」と申しまして、そこには四つの尊い意味があるのであります。
  四悉檀については、竜樹菩薩の『大智度論』(巻第一)や、天台大師の『妙法蓮華経玄義』(巻第一下)等に、仏が法を説く際に四悉檀に依られたということが記されております。
  また大聖人様は『太田左衛門尉御返事』に、
  「予が法門は四悉檀を心に懸けて申すなれば、強ちに成仏の理に違はざれば、且く世間普通の義を用ゆべきか」(御書1222n)と仰せられております。
  四悉檀のうちの一つは「為人悉檀」と言いまして、法要を通して一人ひとりを導いていくという大事な方法でありまして、法要を通じて日蓮正宗の正しさ、大聖人様の教義の深さを知らしめて、大聖人様の御慈悲に基づいて、多くの人びとの救済を果たしていくという意味があるのであります。二つ目は「対治悉檀」と申しまして、謗法の念慮を断ち切らせて、正法の功徳に浴して、正法を知り得た喜び、確信、幸せというものを確立していくという人間救済の働きを担っているわけであります。三つ目には「世界悉檀」と申しまして、例えばお彼岸やお盆の法要等は世間の諸宗でもやっております。しかし、本宗も他宗も同じことをやっていると考えては大きな間違いであります。本宗においては一応、仏典の教えに則り、世法に準じて行っておりますから、世間一般と同じように見えるかも知れませんけれども、本当の意味で、妙法に基づいた回向をしてこそ、はじめて先祖の諸精霊も救われるわけであります。したがって、その意義内容においては全く違っているわけであります。その違いをしっかりと教えて、正しく導いて、世間の人びとを刮目させていく。そうして大聖人様の正法を弘めていく意義を果たすわけであります。最後は「第一義悉檀」と申しまして、直ちに絶対に勝れた正法のもとに導いて、自他共に法要に参加しながら、大聖人様の正義によってお互いが救われ、本当の歓喜の法要を奉修し、精進の決意を固めていくという意義がそこにあるわけであります。
  本宗の法要には、そうした深い大事な意義が具わっているのでありますから、この寺院の行事を折伏に活かして、世間の人びとに、日蓮正宗にはこういう行事があるのだという、その意義内容をお話して、共に法要に参加するように呼びかけていただきたいと思います。そうして、そういう法要やお講の機会に、しっかりと大聖人様の正法の信仰を植え付けて、お題目の功徳を命に刻んで成長していきましょう、ということを勧めていただきたいと思う次第であります。よろしくお願いいたします。(平成19年2月1日 広布祈念唱題会において)

戻る