平成19年3月1日発行 高照山 第231号
妙光寺住職  尾 林 日 至

節分会に当たって

 皆様、こんばんは。本年度の節分会に当たりまして、皆様方と共に大御本尊のもとに、こうして読経唱題をもって、懇ろに皆様方の健康増進、折伏成就、そしてまた一家の御繁栄の御祈念を謹んで申し上げさせていただいた次第でございます。大変、御苦労様でございました。小さいお子さんたちに豆を撒いていただきましたけれども、どうか来年からはもう少し大きな声で叫んでいただきたいと思います。
  法華経の『陀羅尼品』に、
「受持法華名者。福不可量」 (法華経581n)ということが説かれておりまして、妙法蓮華経のお題目を受持する者には、量ることができないほど大きい功徳が具わっているということを言われております。どうか、もっと大きな声で、しっかりと福徳を掴んでいただきたいと思うのであります。それは私たち大人も同様でありまして、やはり信心のうえにおいて、決して遠慮はいらないと思います。私たちは大聖人様の子供でありますから、大いに甘えていただいて、また大いに功徳を賜って、揺るぎない確固とした幸せな境涯を開拓していただきたいと念願いたします。
  日本は大変ありがたい国でありまして、立春に始まって、立夏、立秋、立冬と、春夏秋冬の四つの季節がございます。したがって、春は春の装いがあり、冬の厳しさもございますけれども、春の喜びは換え難いものでございます。夏の暑さがあってこそ、また秋の彩りも映えるのでございます。また冬の厳しさがあるということも、また、それは生活のうえから言っても、信心のうえから言っても、大事なことであります。
  大聖人様の『妙一尼御前御消息』には、
  「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる」(御書832n)という有名な御文がございますが、その暖かな春の幸せを味わうことができるのも、四季があるからでございます。
  地球は非常に大きな天体でありますから、北極や南極のように年がら年中、冬の季節という所もあります。あるいはハワイやシンガポール等の国々においては、一年を通して夏であります。ですから同じ風が吹き、一年中、同じ花が咲き、また同じ景色があり、一年を通して変わらないわけであります。それに対して日本においては、春に始まり、夏、秋、冬と四季の季節の移ろいがあるということは、本当に恵まれた国土世間であるということが感得されるのであります。
  節分ということも、節目節目に乗り越えていくという意味があります。一つ一つの節目を乗り越えていってこそ、そこに進化があるわけであります。仏法の深い教義のうえから言っても、小乗から大乗へ、大乗においても権大乗から実大乗へと、節目を乗り越えていくところに修行の尊さがあるわけであります。私たちも四季折々のなかにあって、その四季折々の喜びの環境のなかで、しっかりと信心を磨いていくことが大切だと思うのであります。
  大聖人様の御書のなかにも、人間の幸せについて、『崇峻天皇御書』に、
  「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり」(御書1173n)ということを御指南になっていらっしゃいます。やはり、どんなことを成し遂げるにしても心というものが大事でありまして、心がしっかりとして動じない、確信を持った心がきっかけとなって、そこから物事は出発するわけであります。発心し、修行し、またそこに自ずから妙法の功徳が厳然として具わってくるわけであります。
  節分会に当たりまして、厄を払いたい。禍を払いたい。災いのないことを願って、皆様方も御祈念して、お題目を唱えておられたと思いますが、大聖人様は『四条金吾殿女房御返事』に、

 「三十三のやくは転じて三十三のさいはひとならせ給ふべし。七難即滅七福即生とは是なり。年はわかうなり、福はかさなり候べし」( 御書757n)ということを仰せになっていらっしゃいます。どんな仏教のなかにおいても、本当の意味で七難即滅七福即生のことを保障してくださるという功徳は、大聖人様の妙法を離れては絶対にあり得ないということを確信していただきたいと思います。
  それからまた大聖人様は、三十三だから、六十五歳だから、あるいは七十二歳になったから、今年は厄年だからというようなことをお互いに言ったりしまして、何か悪いことがあるのではないか。また不幸なことが重なったりいたしますと、つい信心に疑いを持ち、確信を失ってしまう場合も、なかにはあります。しかし、それではいけません。どこまでも大聖人様の妙法を持った者は、「百折不撓」(何度も挫折しても、決して挫けない)という言葉がありますように、心の動じない不撓不屈の強さを持った一人ひとりであっていただきたいと思います。三十三の厄が続いたとしても、三十四の福がそれに繋がれば、諸難の後に、本当に揺るぎない、他人の感得できない大きな喜び、功徳が自分の身の上に確立されることを、どうか心に置いて頑張っていただきたいと思うのであります。
  たとえ恵まれた環境のなかで、人一倍お金があって、財産があって、家族があって、仕事も順調で、何も言うことはないという、そんな家に生まれて、そんなことが百年続いたとしても、決して幸せな一生とは言えません。それよりも、現実の世相のなかで、あらゆる苦悩を乗り越えて、仕事にも克ち、勉学にも克ち、そうして信心にも克って、迫り来る禍や不幸を克服して克ち得た喜び、幸せというものほど尊いものはないのであります。したがって、不幸は決して不幸では終わりません。貧乏ということも考え様によっては大事なことであります。人間は、あらゆることで恵まれ過ぎますと、どうしても堕落してしまうわけであります。「苦労は買ってでもせよ」ということがありますように、真冬のような厳しさを乗り越えてこそ、はじめてそこに本当の意味での幸福な境涯が具わることを確信していただきたいと思うのであります。
  どうか皆様方も節目節目ごとに、信心を確かめ、反省し、そうしてまた境涯を高め、一歩一歩、さらに心を込めて、この節目を乗り越えていっていただきたいと思うのであります。人生もこれからは、大いに八十歳、九十歳、百歳を目指す時代になりました。ですから七十歳になったら七十歳、八十歳になったら八十歳の新しい出発があるという志を立てて、第二の人生、第三の人生、第四の人生、第五の人生をどうか生き抜いていただきたいと思うのであります。皆様方の御健勝と本年の御精進、誓願の成就を心から念じまして、一言、御挨拶に代えさせていただく次第でございます。(平成19年2月3日 節分会において)

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