平成19年4月1日発行 高照山 第232号
妙光寺執事  内海雄幸

大聖人御誕生会の意義

 宗祖日蓮大聖人様御誕生会法要に当たりまして、ただ今は皆様方と共に読経唱題を申し上げ、謹んで厚く仏祖三宝尊に対し奉り、御報恩謝徳申し上げた次第でございます。このあと、子供会等々も準備されておりますので、ただ今は皆様方にお配り申し上げました御住職のパンフレット「大聖人御誕生会の意義」について、少々お話を申し上げたいと思うものでございます。
  「大聖人は貞応元年(一二二二年)二月十六日に、三国の太夫を父とし、梅菊女を母として、安房の国(千葉県)長狭郡東条郷小湊の漁村に御誕生遊ばされ、幼名を善日麿と称されました。
  大聖人はこの御自身の出生を『佐渡御勘気抄』に、
  『日蓮は日本国、東夷、東条、安房の国、海辺の栴陀羅が子なり』(御書482n)と申され、また、『海女が子』『石中の賎民が子』『民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり』と仰せになっています。
  この事は如何なる意味を持つかと申しますと、末法下種の御本仏は示同凡夫、一介の人間として御出現になり、その先達として全生命を賭して末法濁悪の一切の民衆を救済化導される為にほかなりません」。
  日蓮大聖人様の御出生に関しまして、「示同凡夫」(凡夫と同じような姿を示されること)とか、「和光同塵」(仏が光を和らげて塵のような衆生に同じること)という仏法用語が用いられておりますが、これが非常に重要なことでございます。と申しますのは、仏教自体をお開きになったお釈迦さんというのは、皆様方もよく御存知のように、王族の御出身でございます。つまり王子様としてお生まれになったわけでございます。そのあと、お釈迦さんは、たしかに出家をいたしまして、そうして、さまざまな化導等を行いますけれども、やはり「あの方は昔、カピラバストウという所のお城の王子様だったんだよ」というようなことが根底にありまして、「じゃあ、そういう人の言うことなら、ちょっと耳を傾けてみようか」というようなことも当然あったと思われます。
  それは、お釈迦さんの時代の人ひどは、言わば「本已有善の衆生」であったというわけであります。「本已有善の衆生」というのは、生まれながらにして既に善なるものを心の中に持っている、過去世に仏様と縁を結んで善根(仏種)を下ろされた経験があるという衆生でございます。ですから末法以前の衆生というのは、既にそういう善い部分を持っていますから、社会的な名誉という力を借りることによって、人ひどは、その人の教えに従ってくるという姿があったわけでございます。
  ところが、今の末法という時代には全然違う衆生が出現をするわけでございます。どういう衆生が出現するかと申しますと「本未有善の衆生」が出現をする。「本未有善の衆生」というのは、本未だ善有らずの衆生ということで、生まれながらにして、本から善なるものを持っていないのです。久遠以来、仏滅後の正法・像法の時代までの衆生は、皆、釈尊と縁を持っていましたが、末法の衆生は、未だかつて釈尊と縁を結び、その化導を受けた経験が全くない。私たち末法の衆生はそういう人びとなのです。そうして、非常に業が深く、計り知れないほどの宿業を一人ひとりが持っているわけであります。したがって、その衆生を教化する仏様も、同じような業を持った一衆生の姿をもって出現し、そのうえで法を説くということでなければ、一切衆生は付いてこないし、救われない。そういう時代こそが末法なのであります。
  したがって、その化導の方法は「示同凡夫」という形になりまして、大聖人様も、そういう形で御出現なされて、そういう形で法を説くという、末法の御本仏としての使命を持ってお生まれになったわけでございます。
  ここに大聖人様は御自身のことを「海辺の栴羅陀が子なり」、あるいは「海女が子」「石中の賎民が子」という表現をなさっておられますが、現在においては漁師さん等々の職業をどうのこうのと、賎しんだりすることは、民主主義の観点からも非常に相応しくないわけでございます。ところが、鎌倉時代の当時は、まだ漁師さんという職業は、たとえ人間のためとはいえども、生き物の命を奪うという最下級の卑しい職業であるとされていました。そのようなわけで、大聖人様は、自分はそういう卑しい民の出自だよということを敢えて主張をなさったわけでございます。
  ところが、当時の鎌倉新仏教の開祖たちを見ますと、例えば法然・親鸞・道元等々におきましても、彼等は御家人あるいは公家の出、あるいは少なからず宮中と関係があったという人たちの出身なのです。また、そういったことを大聖人様とは逆に、「お上人はこういう所の出だから」というような形で布教を行っていった形跡もあるわけでございます。
  大聖人様はそうではなくて、日本国の大部分の人たちは、そういう高貴な血筋に生まれたわけではありませんから、庶民と同じような姿でもって、自分自身も苦労をし、そうして同じように人生を歩んでいく者として、また同時に御本仏として、教えを説き広めたわけでございます。
  その大聖人様に仏法を譲られたお釈迦さんの仏法はどうだったかと申しますと、
  「釈尊の仏法は正像二千年を過ぎて『闘諍言訟・白法隠没』の末法に入り釈尊の予証通り、その救済の力を失い、世相は乱れ、まさに悪世法滅の相をあらわし始めました」。
  「闘諍言訟して白法隠没せん」というのは、お釈迦さんが『大集経』(大方等大集経卷第五十五、月蔵分第十二分布閻浮提品第十七)において、
 「(仏滅後二千年経った)次の五百年、我が法の中に於いて、鬪諍言頌(訟)して白法隱沒し損減せんこと堅固なり」(大正蔵13−363B)
と、明確に述べられている言葉でございます。「闘諍言訟」というのは、人びとが互いに言い争って全然譲らず訴訟まで起こす、そういったような世の中でございます。そうしてまた「白法」というのは、正しい清浄な教え、つまりお釈迦さんの教えでございます。そのお釈迦さんの教えが「隠没」してしまう、隠れてなくなってしまう、消えてしまうという時代ということでございます。そうすると、人びとの拠り所とするところのお釈迦さんの教えには教化の力が全くなくなってしまいますから、当然のことながら、人びとの心が不安定になって、闘諍言訟に及ぶ。互いに言い争って、自分自身が悪かったなどという考えは、びた一文たりとも持ち合わせない。そういう衆生がたくさん出現してしまうのが、この末法でございます。
仏滅後一千年間の正法という時代、つまり釈尊在世のように正しく仏法が行われていた時代や、そのあとの一千年間の像法という時代、つまり釈尊在世に像せて仏法が住していた時代に対して、そのあとの時代は「後の末世の法滅せんと欲せん時」(法華経391n)と説かれておりますように、世も末になって釈尊の仏法が衰え滅びてしまう時代という意味で、「末法」と言うのでございます。
「この時に当たって法華経に於ける『後五百歳中広宣流布』の金言通り、日蓮大聖人が末法万年尽未来際の一切の衆生を根底から救済される御本仏として、東土の日本より御出現になったのです」。
  法華経の『薬王菩薩本事品第二十三』というところには、
  「我が滅度の後、後の五百歳中に、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん」(法華経539n)
と明確に説かれているわけでございます。「後の五百歳」というのは、お釈迦さんが亡くなったあとの時代を五百年ずつに分けまして、一番最後の第五番目の五百年以降の末法の時代でございます。この時代が、ままさに現代に当たっているわけでございますが、その時代に妙法蓮華経が必ず広宣流布をするということなのです。
  以前、藤原弘達という政治評論家がおりまして、この方は『創価学会を斬る』『創価学会・公明党をブッた斬る』などという本を出していた人でありますが、創価学会を攻撃する余り、広宣流布という言葉まで野次を飛ばしているのです。「広宣流布などという馬鹿げた思想」というふうにテレビで言っていたのを、私は小学生のころですが明確に覚えています。ですが「広宣流布」というのは、ここにもありますように、仏様のお釈迦さんが説いた法華経の経文のなかの言葉なのです。藤原弘達という人は、政治的にはいろいろな見識をもって詳しいことを知っているかも知れないけれども、如何に宗教的に無知だったかということが、この言葉からも分かると思います。ともかくも、そういう形で、広宣流布という言葉自体を非難してしまったというようなことがございました。
  法華経というのは、ある意味では予言の経典とも言われておりまして、そのなかで、大聖人様の出現を予言され、大聖人様がどういうふうに具体的にどんな困難に遭うかというところまでも、きっちりと予言をされており、その最後において広宣流布ということも予言をされているのであります。
  日蓮大聖人様は、
  「広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(御書666n)
とおっしゃっておられるように、広宣流布というのは必ず達成できるのです。今現在、世界にはたった百万人の日蓮正宗の信者しかおりません。百万人いても「たった」なのです。なぜならば世界の人口は60億人を超えております。ですから、まだまだ広宣流布への道のりは遠いのですけれども、必ず広宣流布するということを法華経において保証されているのだということを、忘れてはいけないのではないかと思う次第でございます。
  「熟脱の教主たる釈尊の入滅が月氏の国、二月十五日であるのに対し、末法下種の仏の誕生が日の本の国、二月十六日であるのも不思議な因縁を示すものでありましょう」。
  「熟脱の教主」というのは、法華経の『如来寿量品第十六』によりますと、お釈迦さんは、在世の衆生に対して、久遠五百塵点劫の昔に下種益を施し、『化城喩品第七』によりますと、三千塵点劫の昔に熟益を施し、最後にインドに出現して脱益を施して、過去世の久遠以来、長い間かけて教化してきた化導を全うされたということであります。したがって「熟脱の教主」と称されるわけであります。その釈尊は末法の衆生には必要のない教えを説く教主として存在しているわけですが、『涅槃経』(巻第一)によりますと、「二月十五日、涅槃に臨む時」とありまして、釈尊の命日は2月15日であると説かれているのであります。
  そうして、新しい末法の御本仏、日蓮大聖人様の御誕生は、日道上人が著された『御伝土代』に「貞応元年二月十六日誕生なり」(日蓮正宗聖典587n)と記されておりますように、2月16日であります。全く不思議なことで、何かの因縁があるのではないかと、このように言われているわけでございます。
  「釈尊は自らの仏法の経力、功力の及ばぬ末法という時代に新しい久遠元初の本仏の出現、つまり大聖人の赫々たる法華経の行者としての御振舞を、法華経の神力品に、
  『日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅せん』(法華経516n)と予証されております。
  日蓮の『日』とはこの『日月の光明』を意味し、御誕生の数日前より小湊の海に忽然と生じた蓮華の奇瑞は法華経涌出品の『如蓮華在水』(法華経425n)を表わし、大聖人は『四条金吾女房御書』に、
  『明らかなる事日月にすぎんや。浄き事蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華経と名づく。日蓮又日月と蓮華との如くなり』(御書464n)と、日蓮との御名乗りが即、日月の大光明、末法万年を照らす仏を詮するものであることを御宣言遊ばされております」。
  日蓮大聖人様が、明らかに自分自身は末法の本仏ですよと宣言されているにも拘わらず、例えば身延、あるは池上等々の日蓮宗というのは、大聖人様はお釈迦さんの使いであった、つまり遣使還告の薩Nであったと、表面上の外用の辺にしか見ることができず、「日蓮大菩薩」と称しているわけであります。しかしながら、法華経のなかに明確に「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く」と、太陽や月の光が本当に暗く閉ざされてしまったすべての闇を照らし出すのと同じように、「斯の人」と呼ばれる人が世間に出現をして、その人びとの心の闇を救うであろうと、このようにおっしゃっているわけであります。こんなことができるのは仏様しかいないわけでございます。また同じ法華経の『方便品』には「慧日大聖尊」(法華経95n)というお経文が出てきまして、これは仏様を太陽になぞらえているわけであります。ですから法華経におきましては、特に「日」という言葉は同時に仏様を指す言葉でございます。ですから同様に、この『神力品』における「日月の光明」にかかる「斯の人」というのは、すなわち、御本仏ということになるわけでありまして、末法の御本仏の出現がこのような形で予言をされているということでございます。それがそのまま、大聖人様の「日」と「蓮」、日蓮の御名乗りの由来にもなっていて、大聖人様は、そういったことを踏まえられまして、
  「日蓮となのる事自解仏乗とも云ひつべし」(御書1393n)
とおっしゃっておられます。「自解仏乗」というのは、自分自身が仏様の悟りの智慧によって名付けたものであると、このように宣言をなさっているのであります。
  「日月の光明は即日蓮であり、蓮華は即日蓮であり、妙法蓮華経の大法はまた日蓮であります。
  従って大聖人の御誕生は末法の御本仏、久遠元初の自受用身の御出現であり、釈尊も天台も伝教も、三世の諸仏諸菩薩が、誰人も顕す事の出来なかった一閻浮提未曽有の大御本尊、独一本門の南無妙法蓮華経の大宝塔涌現の佳日でもあります。
  宗祖日蓮大聖人の御誕生会は、この御本仏の末法への御出現と、妙法の大塔御出現を御祝い申し上げ、その報恩の為に奉修し、私共日蓮正宗の僧俗一体となって、妙法広布の赤誠をお誓い申し上げる大法会であります」。
  ただ単に大聖人様のお誕生日だということではなくて、末法の一切衆生を救い得る御本仏が出現された極めて意義深い日、これがすなわち御誕生会、今日の法要であるということを、よくよく認識をしていただきたいと思う次第でございます。
  このあとは、客殿におきまして、子供さんを対象に御誕生会子供会というものが例年のごとく開かれる予定でございます。この妙光寺の子供会は、大正4年(1915)2月16日に、有元大慈院日仁贈上人が「児童会」として始められ、児童に対してお寺に参詣する機会を多くし、信仰を芽生えさせたいとという主旨で、おもちゃ・お菓子等を配りました(自然鳴4−19)。それで「おもちゃ会」とも言われ、今年で92年になります。どうか、小さなお子様をお連れの方は一人も洩れなく参加をしていただきたいと御案内を申し上げまして、御挨拶に代えさせていだく次第でございます。本日は御参詣まことに御苦労様でございました。(平成19年2月18日 宗祖日蓮大聖人御誕生会において)

戻る