平成19年5月1日発行 高照山 第233号
妙光寺執事  内海雄幸
経王殿御返事(一)
文永十年八月十五日 五十二歳 

 「其の後御おとづれきかまほしく候ひつるところに、わざと人ををくり給び候。又何よりも重宝たるあし、山海を尋ぬるとも日蓮が身には時に当たりて大切に候。
  夫について経王御前の事、二六時中に日月天に祈り申し候。先日のまぼり暫時も身をはなさずたもち給へ。其の御本尊は正法・像法二時には習へる人だにもなし。ましてかき顕はし奉る事たえたり。
  師子王は前三後一と申して、ありの子を取らんとするにも、又たけきものを取らんとする時も、いきをひを出だす事はたヾをなじき事なり。日蓮守護たる処の御本尊をしたゝめ参らせ候事も師子王にをとるべからず。経に云はく「師子奮迅之力」とは是なり。又此の曼茶羅能く能く信じさせ給ふべし。南無妙法蓮華経は師子吼の如し。いかなる病さはりをなすべきや。鬼子母神・十羅刹女、法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり。さいはいは愛染の如く、福は毘沙門の如くなるべし。いかなる処にて遊びたはぶるともつゝがあるべからず。遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし。十羅刹女の中にも皐諦女の守護ふかゝるべきなり」(御書685n)

(講義)

 この御書は、大聖人様が佐渡に流罪になられている時に、経王殿というお子さんがいらっしゃるお母さんに与えられたお手紙でございます。このお手紙の認められた前年、文永9年にも『経王御前御書』というお手紙が送られておりまして、そのなかに、
  「経王御前を儲けさせ給ひて候へば、現世には跡をつぐべき孝子なり」(御書635n)
と述べられております。そうして本書には、
  「日蓮守護たる処の御本尊をしたゝめ参らせ候事」とございますから、この経王殿が誕生した後、大聖人様は、お守御本尊を下付なされていたと拝されます。
  同様の御書は『妙心尼御前御返事』にも、
  「をさなき人の御ために御まほりさづけまいらせ候。(中略)一切の仏神等のあつまりまぼり、昼夜にかげのごとくまぼらせ給ふ法にて候」(御書903n)
とございます。
  では、本日の御文に入りますと、
「其の後御おとづれきかまほしく候ひつるところに、わざと人ををくり給び候。又何よりも重宝たるあし、山海を尋ぬるとも日蓮が身には時に当たりて大切に候」。その後お便りを聞きたいと思っていたところに、わざわざ人を遣わして頂き有難うございました。また何よりも重宝なお金の御供養を賜りましたが、これは山海を尋ねても、日蓮が身には時に当たって大切であります。
  当時、大聖人様は、文永8年11月から文永9年4月までおられた塚原の三昧堂から、同じ佐渡国の石田郷の名主、一の谷入道の処に移っておられました。そこには、大聖人様のお供としてお給仕をしていた日興上人をはじめお弟子方も一緒におられましたので、衣食の工面等も大変で、「あし」すなわち銭の御供養を受けることは大変貴重なことでありました。

「夫について経王御前の事、二六時中に日月天に祈り申し候。先日のまぼり暫時も身をはなさずたもち給へ。其の御本尊は正法・像法二時には習へる人だにもなし。ましてかき顕はし奉る事たえたり」。お便りにあった、経王御前の事については昼夜に日月天に祈っております。先日御下附した御守り御本尊はしばらくも身から離さず護持して行きなさい。その御本尊は正法像法の二時には習い伝えた人は一人もいない。まして書き顕した事は絶えてなかった。
  ここに、「日月天に祈り申し候」とございますが、太陽と月に具わっている働きに対して、御本仏にまします大聖人様が、その機能の発揮を祈られたということでありまして、大聖人様の御境界を顕されたお曼荼羅御本尊にも、「大日天王」「大月天王」が認められております。
  また、大聖人様が竜口の法難の直後に、依智の本間六郎左衛門の邸において、月天に向かって、法華経の行者を守護するとの法華経の会座での誓言はどうしたのかと責められたとき、天より明星のごとくなる大星が下って庭前の梅の木に掛かった(御書1061n)ということもありましたが、これなども、大聖人様に法界を揺り動かすお力があることの証左であります。
  さらに、御本尊様には「仏滅後二千二百二(三)十余年之間、一閻浮提之内、未曽有大曼荼羅也」と認められておりますように、釈尊滅後の正法千年、像法千年の間には、この御本尊様を書き顕した人はだれもおりません。

 「師子王は前三後一と申して、ありの子を取らんとするにも、又たけきものを取らんとする時も、いきをひを出だす事はたヾをなじき事なり。日蓮守護たる処の御本尊をしたゝめ参らせ候事も師子王にをとるべからず」。師子王は前三後一と言って、蟻の子を取ろうとする時にも、また猛々しい動物を取らんとする時も、その勢いを取り出だすことは全く同じことである。日蓮が守護の御本尊をしたためるのも師子王に劣ることはない。同じ姿勢で顕したものである。
  「師子王」については『華厳経』(六十巻本の巻第五十九)に、「譬へば大師子吼の如し。小師子聞いて皆悉く勇健し、一切の禽獸は遠く避けて竄伏す」とあり、八十巻本の巻七十八にもほぼ同様のお経文があります。「前三後一」というのは、獅子が弱い蟻に向かうときにも、また強い象に向かうときにも、前へ三足、後ろへ一足というように身構えて、常に全力を注いで行うということであります。
「経に云はく『師子奮迅之力』とは是なり。又此の曼茶羅能く能く信じさせ給ふべし。南無妙法蓮華経は師子吼の如し。いかなる病さはりをなすべきや」。法華経の涌出品に「師子奮迅の力」とあるのはこれである。またこの曼荼羅をよくよく信じなさい。南無妙法蓮華経は獅子吼のようなものである。いかなる病が障りをなすことができようか。
  法華経の『従地涌出品第十五』に、
  「如来今、諸仏の智慧、諸仏の自在神通の力、諸仏の師子奮迅の力、諸仏の威猛大勢の力を顕発し、宣示せんと欲す」(法華経418n)
とあります。妙法の御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える人には、この獅子が奮い立って甚だ勢いの盛んな力が発揮されるように、また、獅子が一旦、吼えたときには、すべての動物たちが恐れをなして、逃れ隠れてしまうように、いかなる病魔に対しても打ち勝つことができるということであります。

 「鬼子母神・十羅刹女、法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり。さいはいは愛染の如く、福は毘沙門の如くなるべし。いかなる処にて遊びたはぶるともつゝがあるべからず。遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし。十羅刹女の中にも皐諦女の守護ふかゝるべきなり」。鬼子母神・十羅刹女は法華経の題目を持つものを守護すると経文に見えている。幸いは愛染明王のように、福は毘沙門天のように備わっていくであろう。たとえいかなる処にて遊び戯れても、災難に遭うはずがない。悠々と遊行して恐れのない事は師子王のようである。十羅刹女の中にも、皐諦女の守護が特に深いことであろう。

 法華経の『陀羅尼品第二十六』に、十羅刹女やその母である鬼子母神等が仏に対して、
  「世尊、我等亦、法華経を読誦し、受持せん者を擁護して、其の衰患を除かんと欲す。若し、法師の短を伺い求むる者有りとも、便を得ざらしめん」(法華経579n)
と法華経の行者を守護することを申し上げています。
愛染明王は、愛欲貪染を浄菩提に転ずる、煩悩即菩提の象徴とされて、幸いを司る王とされています。
  また毘沙門天王は多聞天とも言い、七福神の一つにも数えられており、やはり『陀羅尼品第二十六』(法華経577n)において、法華経の行者を擁護することを誓っています。

 法華経の『安楽行品第十四』には、末法において法華経を持つ者は、
  「遊行するに畏れ無きこと師子王の如く」(法華経403n)
と説かれております。

 また、『陀羅尼品第二十六』(法華経581n)には、十羅刹女の九番目の皐諦女等が法華経の行者を擁護すべきことを釈尊から命ぜられております。皐諦女の姿については『法華十羅刹法』に「白幸帝、形頂鳴の如く、女形の衣色紅青なり。右手に裳を把り、左手に独股を持ち、物を打つ形の如く膝を立て居るなり」(大正蔵21−377C)とあり、面貌が端正であったため、特に女性を擁護する者として挙げられたのではないかとも考えられています。また、中古天台の『法華経鷲林拾葉抄』第二十四では、文殊菩薩または普賢菩薩のことであるとされています。
  以上のような御文ですが、経王御前というお子さんが病気になり、それをお母さんが心配されて、その病気平癒のために使者を遣わして、大聖人様にお手紙と御供養を差し上げた。そこで大聖人様は、御本尊の絶大な功徳を説き、激励をなさったわけでございます。 この御書は経王殿のお母さんのみならず、大聖人様の信仰をしている私たちすべての者に対して与えられた尊い御書として、拝していただきたいと思います。
  現在、妙光寺の法華講に所属されているあるお母さんの体験でございますが、7〜8年前のこと、お子さんが生まれてから1カ月検診まで、全く異常が発見されなかった。ところが、検診の結果、大変な病気を抱えていることが分かった。先天性左心低形成症候群という、生まれつき心臓の左心室が未発達で大動脈が極端に細い病気だそうです。小さいお子さんですから、手術も大変な技術を要し、治療も極めて難しいとのことでした。そのとき、お母さんとお祖母さんが、ほぼ毎日、妙光寺に参詣をされて、そのお子さんの病気の平癒を真剣に祈られました。その信心の功徳の甲斐があって、手術にも耐え、この困難を見事に克服されたのです。この難しい手術は、港区の大病院でも初めての成功例だったということでテレビ等でも報道されました。お子さんは現在、元気に小学校に通っており、本日も御家族と一緒に妙光寺に参詣されております。お母さん、御家族の愛情が信心と見事に結び付き、良い治療を施していただいたということだと思います。
  どうか皆様方も日々の勤行唱題、折伏を通して、人生における様々な困難、障碍を見事に乗り越え、喜々として共々に、平成21年『立正安国論』正義顕揚七百五十年の佳節をお迎えしていただきたいと思います。以上、申し上げまして、私の御挨拶に代えさせていただく次第でございます。本日の御参詣、まことに御苦労様でした。
(平成19年4月8日 月例報恩お講において)

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