平成19年6月1日発行 高照山 第234号
妙光寺執事 内海 雄幸 

僧侶も信徒も共々に修行し実践する我が日蓮正宗

   私は昔から歴史が好きでして、父親が吉川英治の著書『三国志』(全十四巻)という本を持っておりましたので、小学生のころから、その『三国志』を読んでおりました。この本には自分自身を犠牲にして人のために尽くすということが同時に書かれているのです。 私の家では親が日蓮正宗の信心をしておりましたが、姉が私と10歳離れておりまして、私が小学校を卒業するころは、姉は大学を卒業するくらいになっていたのです。
その姉が私に「あなたは歴史が好きだし、明治のころが好きなのだから、防衛大学にでも行って海上自衛官になったら。格好がいいから」と言うのです。私も公益性と言いますか、“自分が頑張ることによって多くの人が喜ぶ仕事がしたいなぁ”と思っていました。
  そのころ、姉が僧侶と結婚することになりまして、 儀式は池袋の法道院で行われることになりました。ところが、お仲人さんは遅れて後から入って来られて、「忙しくて遅くなっちゃって御免ね」と言われたのです。そのお仲人さんが入って来られた瞬間に、辺り一面、花畑が咲いたような雰囲気になったのです。私は“この人は凄い人だなぁ。自分は今まで自衛官になりたいと思っていたけれども、人間に生まれたからには、こういう人になっても、いろんな人に対して利益というものを与えることができるのではないか”と、こんなふうに思ったのです。それで自衛官になることを諦めまして、僧侶になった次第であります。ちなみに、その時に入って来られて辺り一面、花畑のようにされた方が、今の御法主日如上人猊下でございます。
  さて、平成2年に創価学会問題が起こる以前には、それこそ、本宗の寺院では、信者さんといわれる方がたくさんいて、在勤者は、お掃除と法事と塔婆書きで、一日が終わっていたという状態でした。ところが学会問題が起きて、創価学会の謗法が明確になって、僧侶と信徒が直かに接して、一緒に修行し、また教導できるという形になってきました。それは、大聖人様、日興上人様の時代から七百年来、日蓮正宗が歩んできた歴史が物語るように、本来のあるべき姿に戻ったわけです。
  私が僧侶になって経験したことは、ある御信者さんが、入信する前は、生活に切羽詰まっていたせいか、非常に悪い人相をしておられた。人相というものは、よく見れば、その人の内面というものを現しているわけです。ところが、その方が入信をした後、パッと人相が変わったのです。そういうことを目の当たりにすることは本当に嬉しいことですね。
  それから、信心をしている人が、病気でも、人間関係でも、経済的な面でも、いろんな困難に直面したときに、それを克服する姿を見るというのも、僧侶の冥利に尽きるというものでございます。
  私が一番驚いたのは、お盆経などに伺っているお宅にお婆さんがおられまして、あるとき、その子供さんが突然お寺に来まして、「実は私の母親が末期のガンで後1カ月も生きられませんと、お医者さんに言われてしまいました」と言うのです。見ると、お婆さんは、すごく痩せ細っているのです。「これは大変だ」ということで、すぐに御祈念をして、御秘符を持たせたわけです。「御秘符は薬ではございませんから、御本人および御親族の信力・行力によって、どうなっていくか分からない。だけれども本当に悔いのない御祈念をしていきましょう」と、そのように励ましたのです。それは2月の初めのことだったのですが、7月の22日に、取り敢えずガンの進行状態を見るために、胃を開けて見たら、ガンがなくなっていたのです。私も驚きました。そのお婆さんは寿命を延ばしました。お経本のなかに「更賜寿命」という言葉がありますが、それを本当に実践をしたのです。今はそのお婆さんは亡くなりましたが、二人のお子さんは今でもお講にいらっしゃっております。それまではお講には車の運転をするだけだったのが、そういう功徳の実証を見たものだから、子供さん達の方がびっくりしてしまった。そういうことがございます。そういう数々の実証の姿というものを本当に見せていただけるというのは、日蓮正宗しかないのではないかなあと思います。
  以前にも、ちょっとお話をしたことがあるかと思いますが、ある雑誌で、いろいろな人の悩みとかを持ちかけられたときに、お坊さんとして、どう答えたらいいか分からないという人が多いということで、シンポジウムが開かれたという記事が載っておりました。私は、そのときに非常に驚いた。“何でシンポジウムをするのだ”。日蓮正宗では、「こういう悩みに対しては、こう答えなさい。ああいう悩みに対しては、こういうふうにお答えしなさい」というような討論会も指導会も一切ございません。ではどこで学ぶかというと、実践で学べるのです。日蓮正宗では、お寺という場において、そういうことを僧侶も学べるのです。それを、“なぜ、わざわざシンポジウムなんかやるのだろう。仏教各宗派にはそれぞれ本尊があるわけでしょう。阿弥陀如来とか、薬師如来とか、大日如来とか、あるいは仏像とか絵曼荼羅とか、そのお寺で根本と仰ぐ本尊というものが必ずあるはずです。ですから、その本尊に対して一緒に拝んで祈っていきましょう。頑張っていきましょうと、激励すれば、それでいいのです”。私は、そういうふうに思ったのです。日蓮正宗には、「こういう質問には、こう答えなさい」という言葉上のマニュアルというものはないのです。「本宗の御本尊様には、それだけの力があるから一緒に唱題しましょう」。ただそれだけです。簡単だと思いますか。しかし、実は難しいですよ。そういう僧侶自身が真剣に唱題をしなければいけませんから。
  昔から「坊主の不信心、医者の不養生」と言われてきましたけれども、日蓮正宗の場合は、そうではなくて、大聖人様の御本尊を信じていくことによって、どんな困難も必ず克服することができると、僧侶が自らが確信して、そのことをお話しするのです。そういうふうに常日頃から思っている私ですから、先程のシンポジウムの記事を読んだときに、“ああ、他宗の坊さんは何をやっているのかなあ”と思った次第でございます。
  日蓮正宗の特徴といたしましては、そのように僧侶も御信徒の皆様も、一緒に御本尊様の前に座って、共々に修行して行動して実践して、功徳を体感できるということでございます。そういう宗派は日蓮正宗しかないと、自負している次第でございます。
  今日、初めて妙光寺にいらっしゃった皆様にも、絶対的な自信をもって、この信心をお勧めするわけであります。本当に日蓮正宗の信心を実践している方々は、皆、功徳を頂いております。そういう信心を私共は実行しているということを申しまして、本日の御挨拶に代えさせていただく次第でございます。まことに今日の御参詣ありがとうございました。
(平成19年5月6日「春の会」において)


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