平成19年8月1日発行 高照山 第236号
妙光寺執事  内海雄幸
法華行者値難事(二)
文永11年1月14日 五十三歳 

 「而るに仏記の如くんば末法に入って法華経の行者有るべし。其の時の大難在世に超過せん云云。仏に九横の大難有り。所謂孫陀梨が謗と、金鏘と、馬麦と、琉璃の釈を殺すと、乞食空鉢と、旃遮女の謗と、調達が山を推すと、寒風に衣を索む等なり。其の上一切の外道の讒奏は上に引くが如し。記文の如くんば天台・伝教も仏記に及ばず。
  之を以て之を案ずるに末法の始めに仏説の如き行者世に出現せんか。而るに文永十年十二月七日武蔵前司殿より佐渡国へ下す状に云はく、自判之在り
  佐渡国の流人の僧日蓮、弟子等を引率し、悪行を巧むの由其の聞こえ有り。所行の企て甚だ以て奇怪なり。今より以後、彼の僧に相随はんの輩に於ては炳誡を加へしむべし。猶以て違犯せしめば、交名を注進せらるべきの由候所なり。仍って執達件の如し。
   文永十年十二月七日   沙門 観 恵上る
   依智六郎左衛門尉殿等云云。
  此の状に云はく『悪行を巧む』等云云。外道が云はく『瞿曇は大悪人なり』等云云。又九横の難一々に之在り。所謂琉璃殺釈と乞食空鉢と寒風索衣とは仏世に超過せる大難なり。恐らくは天台・伝教も未だ此の難に値ひたまはず。当に知るべし、三人に日蓮を入れて四人と為す。法華経の行者末法に有るか。喜ばしいかな、況滅度後の記文に当たれり。悲しいかな、国中の諸人阿鼻獄に入りなんとす。茂きを厭うて子細に之を記さず。心を以て之を惟へ。
   文永十一年甲戌正月十四日  日 蓮 花押
  一切の諸人之を見聞し、志有らん人々は互ひに之を語れ」(御書719n)

(講義)

 先月の御書の一番最後の部分におきましては「夫在世と滅後正像二千年の間に法華経の行者唯三人有り。所謂、仏と天台・伝教となり」等とありまして、今月の御文に繋がるわけでございます。ここに「法華経の行者」とありますが、法華経の教えのなかで、今末法において、一番大事なのは、日蓮大聖人様が「法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり」(御書528n)と仰せになっているように、文底秘沈の三大秘法でございます。ところが、この三大秘法の教えにつきましては、お釈迦さんも天台大師も伝教大師も一切述べておりません。その名目を示され、その大法を建立されたのは大聖人様のみでございます。
  まさしく大聖人様こそ末法の法華経の行者であり、像法時代には、6世紀に中国の天台大師と、8世紀に日本の伝教大師が出現なされて、文上の法華経の教えを、粗々広めたということでございます。
 そこで、本日の御文に入りますと、
  「而るに仏記の如くんば末法に入って法華経の行者有るべし。其の時の大難在世に超過せん云云。仏に九横の大難有り。所謂孫陀梨が謗と、金鏘と、馬麦と、琉璃の釈を殺すと、乞食空鉢と、旃遮女の謗と、調達が山を推すと、寒風に衣を索む等なり。其の上一切の外道の讒奏は上に引くが如し。記文の如くんば天台・伝教も仏記に及ばず」。「法華経の行者」とは、法華経を修行する者という意味ですが、仏様のことを、普通、行者とは言わないのに、この御書では、はっきりと「法華経の行者唯三人有り。所謂、仏と天台と伝教なり」(御書719n)と仰せられているわけであります。
  そもそも、法華経というのは、仏様が悟って成仏した結果、本懐として説かれた教えであります。そうして、仏様が成仏するためには、その本となる修行があったわけで、それは仏と成る因の修行であります。そういう意味から、本当に法華経を修行した者が3人いらっしゃるということでございます。
  法華経の『如来寿量品第十六』に、
  「我本菩薩の道を行じて、成ぜし所の寿命猶未だ尽きず、復上の数に倍せり」(法華経433n)
と説かれております。『寿量品』には、お釈迦さんは、実は久遠五百塵点劫の昔に、すでに仏に成ったということで、本果妙の常住ということが、このお経文の前に説かれていますが、その五百塵点劫よりも倍も長く、本から菩薩としての修行をして来たのだということを、ここに明かされているのであります。
  天台大師は、この「我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数」というお経文について、『妙法蓮華経文句』卷第九下に、
  「我本行よりの下は、因を挙げて果を況し、以て常住を明かす(中略)仏、縁因を修して初住に登り、已に常寿を得る」(大正蔵34ー133A)
と解釈しております。つまり、お釈迦さんの教えでは、悟りを開いて仏と成るためには、五十二位という菩薩の段階を次第に修行して行きますが、そのなかの十住という位の初住に登った時、すでに菩薩としての今なお尽きない永遠の寿命を得たのだと、このように本因妙の常住ということが説かれているのであります。
  総本山第26世日寛上人の『三重秘伝抄』には、
  「本因初住の文底に久遠名字の妙法・事の一念三千を秘沈し給えり」(六巻抄98n)
と記されておりまして、大聖人様の仏法は、『寿量品』の文底の意から、我本行菩薩道の初住の位よりも、さらに一重深く立ち入った、名字凡夫の位において悟られたところの、久遠元初の本因下種の教えであることが示されております。諸仏も私たちも成仏することのできる根本的な教え、事の一念三千は、久遠元初の妙法に存することが説かれているのでございます。
  以上のことから申しますと、お釈迦さんもまた、本因妙の菩薩道が常住しているところの本果妙の仏様であるということが言えるわけでございます。
したがって、お釈迦さんも「法華経の行者」と言うことができまして、大聖人様から見ますと、天台、伝教と肩を並べる形にになるのでございます。
ところで、釈尊が説かれた法華経の『分別功徳品第十七』に、
  「悪世末法の時 能く此の経を持たん者」(法華経461n)
とあり、また法華経の『如来神力品第二十一』には、
  「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅せん」(同516n)
と明確に説かれているのであります。つまり、お釈迦さんが入滅した後に、悪世末法の時になると、法華経の教えを、きちんと、その内容と衆生の機根と時と国と教法流布の前後を考えて、分別し篩に掛けて、最終的に南無妙法蓮華経の教えが最も勝れているという結論を出して、人びとにその教え広める人が必ず出るであろう。そうして、その人はどういう徳を持っているかというと、太陽や月の光が、もろもろの闇を消すように、人びとの心の闇をなくすであろう。それだけの力がある人が必ず出現するということを説いているのでございます。
  日蓮大聖人様は『右衛門大夫殿御返事』に、
「此の経文に斯人行世間の五の文字の中の人の文字をば誰とか思し食す、上行菩薩の再誕の人なるべしと覚えたり」(御書1435n)
と仰せられて、「斯の人」とは日蓮大聖人様御自身を指していることを、それとなくお示しでございます。
  そうして、末法に法華経の行者が出現した時には、釈尊の在世を凌ぐ大難が起こるということが、法華経に説かれています。
  例えば法華経の『勧持品第十三』の二十行の偈に、
  「諸の無智の人の 悪口罵詈等し 及び刀杖を加うる者有らん」等(法華経375n)
と、仏滅後の悪世末法には、俗衆増上慢、道門増上慢、僭聖増上慢という三類の強敵が現れるということが予証されています。現今の顕正会、正信会、創価学会の池田大作などは、この三類の強敵に相当すると言ってもよいでしょう。
  また『勧持品』には、
  「数数擯出せられ 塔寺を遠離せん」(法華経378n)
と説かれておりまして、末法の法華経の行者は、しばしば住所を追われると、大聖人様がお受けになった伊豆と佐渡の流難を予証しております。
そうして『薬王菩薩本事品第二十三』には、
  「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」(同539n)
とありまして、悪世末法の時こそ、妙法が世界に広宣流布する時であると説かれています。今、私たちが、日顕上人猊下の御命題、平成21年の『立正安国論』正義顕揚750年の地涌倍増と大結集に向かって、御法主日如上人猊下の御指南のもと「皆さん一緒に折伏して行きましょう」ということは、まさに今、法華経の予証、大聖人様の予言された通りの世界広布の時代になっているということを、深く理解していただきたいと思います。
  お釈迦さんは、在世に九横の大難を被りました。その1つは「孫陀利が謗」と言いまして、外道の美女である孫陀利が、外道にそそのかされて、釈尊と関係があったと言い触らし謗ったのであります。2つに「金鏘」と言いまして、釈尊が阿難と共にバラモン城を乞食していた時に、身分の低い老女が臭い米汁を与えたことで、バラモンに臭食の報いであると謗られたというのであります。3つ目は「馬麦」と言いまして、バラモンの阿耆多王が、釈尊と500人の僧を自国に招きましたが、供養を忘れたため、90日間、馬の食べる麦を食べて飢えを凌いだということであります。4つ目は「瑠璃の釈を殺す」と言いまして、釈迦族が波瑠璃王によって滅ぼされたということであります。5つ目は「乞食空鉢」と言いまして、釈尊が阿難とバラモン城に入った時、王は布施と法を聞くことを禁じたので、鉢は空で、乞食行を修することができなかったということであります。6つ目は「旃遮女の謗」と言いまして、バラモンの旃遮女が腹に鉢を入れて釈尊の子を身ごもったと言って釈尊を誹謗しました。7つ目は「調達が山を推す」と言いまして、「提婆が大石をとばす」(御書544n)とも言われております。提婆達多が、釈尊を恨んで耆闍崛山から釈尊めがけて大石を落とし、釈尊の足指から血を出させたのであります。8つ目は「寒風に衣を索む」と言いまして、冬至前後に八夜の間、寒風が吹きすさんだので、釈尊は三衣を求めて寒さを防いだということであります。9つ目は「阿闍世王の酔象を放つ」(御書544n等)と言いまして、阿闍世王は提婆達多にそそのかされて、釈尊を殺そうとして象に酒を飲ませて放ち、釈尊を踏み殺させようとしたのであります。この九つの難については『興起行経』卷上(大正蔵4−164B)、『大智度論』卷第九(大正蔵25−164B)等に記されております。
そのうえに、すべてのバラモンが一緒になって、お釈迦さんを阿闍世王に偽り訴えたというようなことも、この御書の初めに引用された『涅槃経』に説かれている通りでありす。
  もし、お経文の通りならば、天台大師も伝教大師も、九横の大難を被ったお釈迦さんには及びません。
  さらに、法華経の『法師品第十』に、
  「如来の現在すら、猶怨嫉多し。況や滅度の後をや」(法華経326n)
と予証され、
  「吾が滅後の悪世に 能く是の経を持たん者」(同323n)
と説かれているように、悪世末法の法華経の行者が被るところの難は、お釈迦さんの九横の難以上の大難であるということが予証されております。
このように考えてみるならば、まさしく末法の初めの今こそ、明らかに法華経のお経文に叶った法華経の行者が出現するということであります。
  「之を以て之を案ずるに末法の始めに仏説の如き行者世に出現せんか。而るに文永十年十二月七日武蔵前司殿より佐渡国へ下す状に云はく、自判之在り
  佐渡国の流人の僧日蓮、弟子等を引率し、悪行を巧むの由其の聞こえ有り。所行の企て甚だ以て奇怪なり。今より以後、彼の僧に相随はんの輩に於ては炳誡を加へしむべし。猶以て違犯せしめば、交名を注進せらるべきの由候所なり。仍って執達件の如し。
   文永十年十二月七日   沙門 観 恵上る
   依智六郎左衛門尉殿等云云」。
  ところで、武蔵前司殿、すなわち北条(大仏)宣時は、文永4年6月から同10年9月まで武蔵守でありましたが、同年12月7日には、すでに引付衆になっておりました(系図纂要8−290)。その人が佐渡国へ下した文に、自分の書き判を添えて「佐渡の国の流人の僧、日蓮が弟子等を引き連れ、悪行を企む由、報告があった。所行の企ては甚だ奇怪である。今日より僧日蓮に従っている輩は厳重に取り締まることにする。それでも違反する者は、その名を申し出よ」とあり、佐渡国塚原の地頭、依智六郎左衛門等に宛てて送られたのであります。
  「此の状に云はく「悪行を巧む」等云云。外道が云はく「瞿曇は大悪人なり」等云云。又九横の難一々に之在り。所謂琉璃殺釈と乞食空鉢と寒風索衣とは仏世に超過せる大難なり。恐らくは天台・伝教も未だ此の難に値ひたまはず。当に知るべし、三人に日蓮を入れて四人と為す。法華経の行者末法に有るか。喜ばしいかな、況滅度後の記文に当たれり。悲しいかな、国中の諸人阿鼻獄に入りなんとす。茂きを厭うて子細に之を記さず。心を以て之を惟へ。
   文永十一年甲戌正月十四日  日 蓮 花押
  一切の諸人之を見聞し、志有らん人々は互ひに之を語れ」。
  この書状に「悪行を企む」等とあるのは、ちょうどバラモンが「瞿曇(釈尊のこと)は大悪人なり」等と言ったのに当っている。また、すなわち弟子達の殺されたことは「琉璃殺害」に当り、佐渡塚原三昧堂において、僅かに雪を食って命をつないだことは「乞食不(空)鉢」に当り、また寒風に着るべき三衣の無かった事は「寒風索衣」に当るというふうに、釈尊の九横の大難は一々に我が身に当っているばかりでなく、仏の在世をも凌ぐ大難である。恐らくは天台・伝教も未だこれほどの大難には値われまい。まさに、3人(釈尊・天台・伝教)に日蓮を加えて4人とする法華経の行者が末法に有るべきであることを知らなければならない。日蓮が「況滅度後」という末法の法華経の行者出現の予証に当っていることは喜ばしいことである。悲しいかな、国中の諸人は阿鼻地獄に堕ちんとしている。繁くなるから子細は記さない。心中で推量して下さい。文永十一年正月十四日 日 蓮 花押
  一切の諸人には当抄を読み聞かせ、末法の法華経の行者の弟子としての志のある人びとは互いに決意を語り合いなさいということを、大聖人様はこの御書で仰せられているわけでございます。
  皆様方も、いろいろな難に遭遇することがあるでしょうけれども、どうか、その難に打ち勝って、これまで以上に強い信心をもって、勤行唱題、折伏に励んでいただきたいということを申し上げまして、本日の御書講に代えさせていただく次第でございます。本日の御参詣まことに御苦労様でございました。
(平成19年7月8日 月例報恩お講において)

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