平成19年9月1日発行 高照山 第237号
妙光寺執事  内海雄幸
国府尼御前御書(一)
文永11年6月16日 53歳 

 「阿仏御房の尼ごぜんよりぜに三百文。同心なれば此の文を二人して人によませてきこしめせ。
  単衣一領、佐渡国より甲斐国波木井の郷の内の深山まで送り給び候ひ了んぬ。法華経第四法師品に云はく『人有って仏道を求めて一劫の中に於て合掌して我が前に在って無数の偈を以て讃めん。是の讃仏に由るが故に無量の功徳を得ん。持経者を歎美せんは其の福復彼に過ぎん』等云云。文の心は、釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも、末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳はすぐれたりととかれて候。まことしからぬ事にては候へども、仏の金言にて候へば疑ふべきにあらず。其の上妙楽大師と申す人、此の経文を重ねてやわらげて云はく『若し毀謗せん者は頭七分に破れ、若し供養せん者は福十号に過ぎん』等云云。釈の心は、末代の法華経の行者を供養するは、十号具足しまします如来を供養したてまつるにも其の功徳すぎたり。又濁世に法華経の行者のあらんを留難をなさん人々は頭七分にわるべしと云云。
  夫日蓮は日本第一のゑせ者なり。其の故は天神七代はさてをきぬ。地神五代又はかりがたし。人王始まりて神武より当今まで九十代、欽明より七百余年が間、世間につけ仏法によせても日蓮ほどあまねく人にあだまれたる者候はず。守屋が寺塔をやきし、清盛入道が東大寺・興福寺を失ひし、彼等が一類は彼がにくまず。将門貞たうが朝敵となりし、伝教大師の七寺にあだまれし、彼等もいまだ日本一州の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆にはにくまれず。日蓮は父母・兄弟・師匠・同法・上一人・下万民一人ももれず、父母のかたきのごとく、謀反強盗にもすぐれて、人ごとにあだをなすなり」。(御書739n)

(講義)

この御書を賜った国府尼という方は、夫の国府入道と共に佐渡に居られた御信徒でありますが、有名な御信徒の阿仏房・千日尼夫妻とも近くに住んでいて、親しくしておられたようであります。この御書のほかにも、弘安3年7月2日の『千日尼御返事』の冒頭に、
  「こう入道の尼ごぜんの事、なげき入って候。又こいしこいしと申しつたへさせ給へ」(御書1474n)
とございますので、そのころ、国府尼に何か不幸なことがあり、それを千日尼から身延の大聖人様へお伝え申し上げたところ、大聖人様も嘆かれ、また、恋しく思っているから、よろしく言い伝えてください、というお言葉をいただいているのであります。
国府というは、奈良時代に、令制で、国ごとに置かれた地方行政府で、その所在地も国府と呼んでいましした。佐渡の国は、中央部、西海岸寄り、国分寺の近くにあったようで、その土地に住んでいたので、国府入道、国府尼と称していたようであります。
  それでは御文に入りますと、「阿仏御房の尼ごぜんよりぜに三百文。同心なれば此の文を二人して人によませてきこしめせ。単衣一領、佐渡国より甲斐国波木井の郷の内の深山まで送り給び候ひ了んぬ」。阿仏御房の尼、すなわち千日尼から銭三百文の御供養を頂戴いたしました。同じ信心をしている方であるから、千日尼と国府尼と二人して、人に読ませてお聞きなさい。単衣の衣を一枚、佐渡の国から遠路遙々甲斐の国波木井郷の身延の山奥まで送ってくださいまして有り難く頂戴いたしました。
  「法華経第四法師品に云はく『人有って仏道を求めて一劫の中に於て合掌して我が前に在って無数の偈を以て讃めん。是の讃仏に由るが故に無量の功徳を得ん。持経者を歎美せんは其の福復彼に過ぎん』等云云。文の心は、釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも、末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳はすぐれたりととかれて候。まことしからぬ事にては候へども、仏の金言にて候へば疑ふべきにあらず」。法華経の第四卷『法師品第十』に「もし人があって、仏道を求めて一劫という非常に長い間、合掌して我が(釈尊)の前で、無数の偈を唱えて仏を讃えたとしよう。この仏を讃えたことによって、無量の功徳を得るであろう。しかし、この法華経を持ち修行する者を讃えて賞めることは、その福は、また彼の仏を一劫の間、讃えた者よりも、なお勝れているのである」等(法華経324n)と言われている。このお経文の意味は、仏滅後の末代悪世において、法華経の行者を供養する功徳は大変、勝れているということを説かれたのである。本当とは思えないようなことではあるが、仏様の尊いお言葉であるから疑うべきではない、ということであります。
「其の上妙楽大師と申す人、此の経文を重ねてやわらげて云はく『若し毀謗せん者は頭七分に破れ、若し供養せん者は福十号に過ぎん』等云云。釈の心は、末代の法華経の行者を供養するは、十号具足しまします如来を供養したてまつるにも其の功徳すぎたり。又濁世に法華経の行者のあらんを留難をなさん人々は頭七分にわるべしと云云」。そのうえ、妙楽大師という方が、こお経文を重ねて平易に解釈されて、『法華文句記』卷第四下に「若し毀謗せん者は頭七分に破れ、若し供養せん者は福十号に過ぐ」等(大正蔵34ー234A)と言っておられる。この解釈の意味は、末代の法華経の行者を供養することは、十号という十の称号を具えておられる仏様を供養し奉るよりも、その功徳は勝れている。また、濁世末法において、法華経の行者があって、この行者に対して迫害を加えて怨をなす人びとは頭が七つに割れるということを言われているのであります。
  なお「十号」というのは、如来(真実のままに現れて真実を人々に示す者)、応供(供養を受けるに値する者、尊敬されるべき者)、正遍知(一切智を具し、一切法を了知する者)、明行足 (宿命・天眼・漏尽の三明の行の具足者)、善逝 (善く逝去した者、智慧によって迷妄を断じ世間を出た者)、世間解(世間・出世間における因果の理を解了する者)、無上士(惑業が断じ尽くされて世界の第一人者となれる者)、調御丈夫 (御者が馬を調御するように、衆生を調伏制御して悟りに至らせる者)、天人師 (天人の師となる者)、仏世尊 (煩悩を滅し、無明を断尽し、自ら悟り、他者を悟らせる者、真実なる幸福者)という、仏陀を敬い尊んで称する十の呼び名であります。また、ここに挙げられた妙楽大師の「若悩乱者頭破七分。有供養者福過十号」という御文は、御本尊様の上部左右に認められており拝することができます。
  「夫日蓮は日本第一のゑせ者なり。其の故は天神七代はさてをきぬ。地神五代又はかりがたし。人王始まりて神武より当今まで九十代、欽明より七百余年が間、世間につけ仏法によせても日蓮ほどあまねく人にあだまれたる者候はず。守屋が寺塔をやきし、清盛入道が東大寺・興福寺を失ひし、彼等が一類は彼がにくまず。将門貞たうが朝敵となりし、伝教大師の七寺にあだまれし、彼等もいまだ日本一州の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆にはにくまれず。日蓮は父母・兄弟・師匠・同法・上一人・下万民一人ももれず、父母のかたきのごとく、謀反強盗にもすぐれて、人ごとにあだをなすなり」。それ日蓮は日本第一の悪まれ者である。そのゆえは天神七代のことはさておいて、地神五代のこともまた太古のゆえに計り知ることができない。人王が始まって神武天皇から当代後宇多天皇まで九十代、欽明天皇の御代に仏教が日本に渡来して七百余年の間に、世間の国家社会のことについて、また仏教のことに関しても、日蓮ほど多くの人びとに悪まれた人はいないのである。彼の物部守屋が仏教を排斥して寺を焼いたり、平家の平清盛が奈良の東大寺、興福寺を亡失したりしても、その仲間の者は彼等を憎みはしなかった。平将門や安倍貞任等が乱を起こして朝廷に背いた時も、伝教大師が奈良の七大寺の僧侶に憎まれたことがあったが、それでも日本全体の僧や尼や男女の信徒にまで憎まれることはなかった。しかるに日蓮は父母兄弟、師匠同胞は勿論のこと、上一人から下万人に至るまで、一人ももれず父母の敵のように思われ、謀反人や強盗にも増して怨まれ悪まれているのである、ということであります。
  大聖人様は、本日拝読の御書におきましては、まず釈尊を供養するよりも、末代の法華経の行者を供養する功徳の方が格段に勝れているということをお示しになられました。これは、末法におきましては、衆生が救済されるところの教え、所弘の法と、その教え弘めるお方、能弘の人、この人法が一体不二の関係にありまして、その法華経の予証の通りに振る舞うところの法華経の行者こそが、末法の一切衆生を救済される真実の尊い仏様であるということを、お示しになっておられるわけでごさいます。
 さらには、冒頭の御文にありましたように、千日尼のような篤信の御信徒の御供養によって、末法における正法の教団の護持興隆も可能となり、その正法の下種仏法こそが、末法の一切衆生を救済する根本の法でありますから、その功徳は無量であるということをお示しくださっております。私たちは、この御指南を拝し、真心をこめて行う御供養が、いかに尊いものかということを再確認しなくてはいけないと思います。
  また、大聖人様が大難を受けられたのは、日本国の一切衆生を救おうとなさったゆえであります。もし、大聖人様が三度にわたる国主諌暁をされて、邪宗を破折されなければ、この大難は起こるはずはありません。 大聖人様は、大難の起こることを覚悟のうえで、『上野殿御返事』に、
  「愚者が法華経をよみ、賢者が義を談ずる時は国もさわがず、事もをこらず。聖人出現して仏のごとく法華経を談ぜん時、一国もさわぎ、在世にすぎたる大難をこるべしとみえて候」(御書1122n)
と仰せでございます。末法に大聖人様が出現なされて、仏様の思し召しのままに、厳然と正法を弘通されたから、前代未聞の迫害が起きたわけであります。
  翻って今の私たちはどうでありましょうか。平成2年以降、日顕上人猊下、日如上人猊下は、仏法の正義に基づかれまして、創価学会の大謗法に対し、厳しくも大慈悲に溢れる折伏、教導をなされてきたわけであります。
  これに対して、傲慢不遜な池田創価学会は、反省、恭順の態度を取らないばかりか、大聖人様御在世の極楽寺の良観等と同じく、これを逆恨みして、あろうことか、両上人猊下や、あるいは僧侶に対し、あるいは御信徒に対して、本当に長い間に亘りまして、激烈な個人攻撃、非難中傷を続けております。すでに自らが提唱するところの平和、人権を捨てた自業自得の団体に成り下がっているわけでございます。
  私たちは本日の御文を拝して、正法弘通には必ず難があるということを知らなければならないと思うのであります。
  また、国府尼が大聖人様を恋慕渇仰する思いに対しまして、大聖人様は、この御書の末文に、
  「いつとなく日月にかげをうかぶる身なり。又後生には霊山浄土にまいりあひまひらせん」(御書740n)
と仰せでございます。この「日月」のお言葉から拝して、法華経の『神力品』の「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅せん」(法華経516n)とのお経文が思い起こされます。大聖人様は、まさしく一身一念を遍く法界に行き渡らせ給うたところの久遠元初の御本仏の御境界に立たれて、こういうお手紙をお書きくださったものと拝する次第であります。
  皆様方には、本日の御文を通して、むしろ大難を呼び起こすほどの強盛な信心こそが、大聖人様の眷属たる者の信心であるということを知っていただきたいと思います。そうして、いかなるときも常に、大聖人様の御照覧のもとにあるのだという歓喜を懐いて、決して油断をせず唱題に励んで、地涌眷属の大確信を持って、平成21年を目指していっていただきたいということを申し上げまして、本日の御書講に代えさせていだきたいと思います。本日は大変お暑いなかの御参詣まことに御苦労様でございました。
(平成19年8月5日 月例報恩御講において)

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