平成19年10月1日発行 高照山 第238号
妙 法 比 丘 尼 御 返 事

 「謗法と申す罪をば、我もしらず人も失とも思はず。但仏法をならへば貴しとのみ思ひて候程に、此の人も又此の人にしたがふ弟子檀那等も無間地獄に堕つる事あり」(御書1258n)

(通釈)
 謗法という罪は、謗法を犯している本人も家族や周囲の人々も謗法の失を犯しているとも考えずにいる事が恐ろしい。世間の人々は但どんな宗旨でも仏法を習い、修すればそれが貴いものと思いこんでいる故に、教える人も習う人もまた此等の人師に従う弟子檀那も無間地獄に堕ちる事を認識しなさい。
(解説)
 世間一般の人々は仏法上の正法と邪法、善知識と悪知識との区別、また誹謗正法の罪についての認識がなく、ただ仏法を習えば、修行すれば何宗でも同じだと考えています。
  世間一般のことでも、やって良い事と、やってはならない事の区別は大切な事です。
  同様に仏法に於いても、正法と邪法、善師と悪師との区別をして正法正師の正義に従い、謗法の罪障を作らない事が大切です。
  さらに悪法に迷っている人々を救ってあげる事を忘れてはなりません。

(住職法話)
 9月度の始めに当たりまして、広布唱題行に御参集いただき、まことにありがく存ずる次第でございます。御苦労様でございました。
  最初に今月の拝読御書でございますが、『妙法比丘尼御返事』の一節を掲げさせていただきました。
  大聖人様は、謗法が如何に恐ろしいか、ということにつきまして、いろんな御書にお書きになっていらっしゃいますが、その通り、宗旨御建立以来、今日まで七百五十年になんなんとする年月を経ておりますけれども、世間一般の人たちは、ほとんど、その謗法という邪法と、正法との区別が分からないのであります。
  家代々の宗教というものが本当に正しいと信じて、その宗旨に従って法要や法事や、さまざまな行事を行うことが親孝行であり、先祖に報いる道であるというふうに考えております。そこが本当にいけないことでございます。
  そのことが『上野殿母尼御前御返事』などのなかにも、
  「たとへば大塔をくみ候には先づ材木より外に足代と申して多くの小木を集め、一丈二丈計りゆひあげ候なり。かくゆひあげて、材木を以て大塔をくみあげ候ひつれば、返って足代を切り捨て大塔は候なり。足代と申すは一切経なり、大塔と申すは法華経なり」(御書1509n等)
とございまして、宝塔をしっかりと建てるに当たって、諸宗の拠り所とする教えは、その宝塔を組むための足場に過ぎないということを言われております。大聖人様は、そういう譬えをもって正しく教導してくださっております。そうして、立派に宝塔が出来上がったならば、足場を取り外さなければ、宝塔を正しく拝することができないのであります。
  それと同じように、どこまでも正邪の弁別をきちっと付ける。たとえ、それが先祖代々、大事にして受け継がれてきた信仰であったとしても、信心の世界は仏様の教導に従うべきであって、世間の俗習や世間の人びとの考え方によって左右されて、決められてはならないのであります。親戚のおじさんやおばさん達の意見よりも何よりも、真実の仏様の教導に従いなさい、ということをよく説明してあげていただきたいと思います。
これまで、やってきたことが念仏宗であり、真言宗であり、禅宗等であって、それを正しいと思っている。 しかし、『盂蘭盆御書』にございますように、目連尊者がお母さんを飢餓の餓鬼道から救ってあげたいと思って施してやることが、全部、逆に苦しみになってしまった。その恐ろしさということをお話してあげて、正法と邪法の違いを、きちっと教えてあげていただきたいと思います。たとえ、それが七百年、八百年受け継がれた信仰であったとしても、千年の歴史を持った宗旨であったとしても、その根源の師の誤りをしっかりと心に置いて、堂々と弛まず折伏を行じていただきたいと思うのであります。
  大聖人様は『立正安国論』を御著作になる前に、『災難興起由来』『災難対治抄』という御書をお著しになりまして、打ち続く災難はどこから来るのか、どうしたら対治することができるのかということを、透徹した御仏智のうえからお書きになっていらっしゃいます。そうして、その災難を対治するためには大事な要点といたしまして、
  「謗法の人には小善無し、故に施を留め苦治を加ふるなり」(御書190n)
  「問うて曰く、如何にして速やかに此の災難を留むべきや。答へて曰く、還って謗法の者を治すべし。若し爾らずんば無尽の祈請有りと雖も災難を留むべからざるなり」(同198n)
と、謗法の者に対する施を断つことが大事であるということをおっしゃっております。邪宗邪義の謗法の者に布施をすれば、それが、かえって災難の根本原因となってしまう。謗法の者に対して布施をするということがどんなに恐ろしいことか、それは大謗法になる、ということをよく説明してあげていただきたいと思います。
  もう一つは、諸宗の邪義を破す、厳然として諸宗を打ち破るということが大事であります。これは、どちらかと言うと僧侶に科せられた課題だと思います。在家の皆様方は謗法に対して施を断つということを心掛けていただきたい。そうして私達は謗法の邪義を根源の開祖の時代に遡って、諸宗の邪義たる所以を、きちっと破折していかなければいけないと思っております。
  いずれにしても、僧俗ともに大聖人様から与えられた課題は、折伏を広げなさい、諸宗を打ち破りなさい、そうして一切衆生を救済しなさい、ということであります。私たちは、生涯、そのことを忘れずに、世間の人ちたの迷妄を破して、正しく導いて、本当の幸せを一家一族みんなで築き上げると共に、この国土世間を安穏な国土にするためには、大聖人様の仏法を一切衆生のために、世界中に広める以外にはないということを決意していただきたいと念願する次第であります。お互いにそうした決意を持って精進してまいりたいと思います。
  どうか平成21年の『立正安国論』正義顕揚七百五十年の佳節に向かって、何としても、猊下の御指南に従い、目標を突破するという覚悟を持って御精進いただきたいと思う次第でございます。
  皆様方の御健闘をお願いいたしまして、一言、挨拶とさせていただきます。大変、御苦労様でした。
(平成19年9月1日 広布祈念唱題会において)

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