平成19年10月1日発行 高照山 第238号
妙光寺住職  尾林 日至

法華経に説かれていること

 皆様お早うございます。インドの釈尊が今から三千年前に、その御化導における最も勝れた経典として、法華経をお説きになりました。しかも、この法華経のなかには、大変、不思議なことが説かれております。 それは何かと申しますと、法華経は一経を通じて全く日蓮大聖人様のことをお説きになっております。皆様方、末法の衆生の救済のことについて、詳しくお説きになっていらっしゃるということであります。
  要するに、インドの釈尊が説かれた法華経は、全く私たちのことが説かれている、大聖人様のことが説かれているということを、世の中の人たちに教えてあげて、驚天動地の思いを抱かせ、目覚めさせてあげていただきたいと思います。それは、まさに法華経こそ、末法万年の一切衆生を救うところの方途を示された経典であり、しかも広宣流布ということが説かれている。そういうことをお話して、世間の人びとの法華経に対する正しい考え方、見方というものを、きちっと教えてあげていただきたいと思います。
  そういうことを世間一般の人たちは知りません。仏教学者といえども知っておりません。法華経を解釈した人はたくさんおりますけれども、本当の正鵠な法華経の原理、その極理を示されたのは、大聖人様以外にはないのであります。本当に正しく法華経を読むためには、大聖人様の『御義口伝』を拝して、それを心に染めて、法華経の経典に立ち還ってこそ、法華経の本当の意味が分かるのであります。
  法華経には本当に不思議なことが説かれております。例えば『法師品』をひもといて見ますと、
  「人有って仏道を求めて 一劫の中に於て合掌し 我が前に在って 無数の偈を以て讃めん 是の讃仏に由るが故に 無量の功徳を得ん 持経者を歎美せんは 其の福復彼に過ぎん」(法華経324n)
と説かれています。つまり、一劫という長い間、合掌して釈尊を讃歎するよりも、持経者、仏滅後の法華経の行者を讃美する福徳の方が遙かに大きいということが説かれているのであります。これは、やはり三千年後の大聖人様の御出現を予証して、大聖人様に対する御供養こそが、釈尊に対する供養よりも勝れているということを説かれたものであります。
  また法華経の『勧持品』においては、三類の強敵が競い起こるということが説かれておりますが、これも、どなたを予証してお説きになっているのかというと、大聖人様の末法における御出現を予証して、そうして、大聖人様がその三類の強敵を完全に凌ぎながら、末法の衆生を救済あそばされ、究竟の正法を建立されるということが説かれているのであります。
  また『涌出品』においては、地涌の菩薩の上首、上行菩薩が出現されます。また『不軽品』においては、不軽菩薩のことが説かれております。では、この上行菩薩、あるいは不軽菩薩とは一体どなたのことなのかといいますと、それは大聖人様のことであります。
  さらに『神力品』においては、法華経の肝要を、
  「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す」(法華経513n)
と四句に括られて、上行菩薩へ付嘱されたということが説かれています。この結要付嘱ということも、大聖人様に対して、法華経の肝心の法体、南無妙法蓮華経の御本尊様を付嘱されたということなのであります。
  また、法華経には、十界互具ということも、一念三千ということも、久遠実成ということも、広宣流布ということも、そういう大事な教義が説かれているのだということも、しっかりと心に置いて、世の中の人びとに教えてあげてください。そうして特に釈尊自身が大聖人様の御出現を予証しておられるのだということを、しっかりと教えてあげてください。さらに、大聖人様こそ末法の御本仏である。大聖人様を尊敬し、大聖人様の御本尊を信仰しなければ、末法の衆生は救われないのだということを、まず自らが確信をして、世の中の人びとを教導していただきたいと思うのであります。
  法華経が勝れた所以はどにあるかというと、釈尊の教導における遙か久遠の過去と在世、滅後正像二千年と、さらに末法万年にわたる大聖人様の教導について予証され、すべてが釈尊と大聖人様との間における唯仏与仏乃能究尽という仏様と仏様との御関係において説かれた経典であるというところにあります。そうして法華経の予証の通りに大聖人様の御出現があり、法華経寿量品の文底に秘沈せられた法体に基づいて、三大秘法の大仏法が確立されたということであります。
  まさに、末法はどんなことがあっても、どんな大災害が起ころうとも、その救済は全部、大聖人様の正法でなければならない。その大聖人様の正法によって、本当の功徳は万年の衆生に渾々と注がれる。その時が来るということを、しっかりと我々一人ひとりが大確信を持って、世の中の人びとに伝えていく、教えていく、導いていく、啓蒙していくということが、大事なことと思うのであります。どうか皆様方もそのことを確信して、大聖人様の正法の意義をどこまでも、根気よく説いていっていただきたいのであります。
  中国の妙楽大師は『法華文句記』(巻第四下)に、
  「若悩乱者頭破七分 有供養者福過十号」(大正蔵34ー234A)
と記しておりますが、大聖人様は、この「若し悩乱する者は頭七分に破れ、供養有る者は福十号に過ぐ」という御文を、『法蓮抄』(御書811n)等においてお引きになり、また、御本尊様の上部左右に讃文としても、お認めになっていらっしゃいます。もし、この御本尊様を誹謗して悩まし乱す者がいたならば、その者の頭は七分に割れるという罰を被る。しかし、この御本尊様を信じて供養を捧げる者は、その福徳が仏様に具わるところの十の称号に勝る、ということをお示しになっていらっしゃるのであります。
  皆様方が、この讃文を確信して、この正法を行じ、この御本尊様を心にしっかりと持っていくならば、「福過十号」という大功徳が具わり、反対に正法を誹謗する者は必ず心身ともに「頭破七分」の大罪を被るということであります。この讃文をしっかりと拝して、功徳を確信して、世の中の人びとに訴え、折伏をして、親族を救い、皆様方の友人知人を救って、末法の今日における大聖人様の弟子として、日蓮正宗の信徒として、その使命を全うしていただきたいと思うのであります。
  そうして、功徳を満身に受けて、揺るぎない確固とした幸せな楽土を、一人ひとりの家庭に築き、また国土世間にしっかりと築いていかなければ、末法における本当の立正安国はないというということを心に置かれまして、皆様方のそれぞれの分に応じて、御報恩の誠を尽くしていっていただきたいと思います。お互いにしっかり頑張りましょう。(平成19年9月2日 広布唱題会において)


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