平成20年3月1日発行 高照山 第243号
妙光寺住職  尾林 日至

五綱判に則って

 皆さん、こんにちは。第44回妙光寺支部総会おめでとうございます。この総会には、何時もコーラスや鼓笛隊の方々が花を添えてくださり、大変ありがとうございます。
  今、世界中の御信徒が、明年の『立正安国論』正義顕揚750年を目指して、真剣な折伏行に励んでおります。では、なぜ折伏をするのかということについて、少々申し上げたいと思うのであります。
  法華経の『法師品』のなかに、
  「我が滅度の後、能く窃に一人の為ににも、法華経の、乃至一句を説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使なり。如来の所遣として、如来の事を行ずるなり。何に況んや、大衆の中に於て、広く人の為に説かんをや」(法華経321n)
とありますように、今、末法において、たとえ一人の人のためにも妙法を説いて、救っていくということは、まさしく仏様の振る舞いであります。私たちは、何としても、真の世界平和を確立し、人びとが苦しみに喘いでいるのを救済していかなければなりません。私どもは、幸いにして、正法の功徳に浴し、大聖人様の御指南を頂いて、力強く生き、苦難に勝ち、本当の幸せを築いていくことができるのであります。大聖人様の正法は、世界の広宣流布を目指す仏法として、厳然としてましますということを、今こそ皆さん方は、しっかりと心に置いていただきたいと思うのであります。
  大聖人様は、「宗教の五箇」という五綱判をお示しでありますが、その第一の「教」のうえから申しますと、最上・最尊の妙法蓮華経の大法は、久遠元初も、今末法も、下種折伏を本旨とするところの教えだということであります。天台大師も、
  「法華は折伏にして権門の理を破す」(妙法蓮華経玄義巻第九上、御書672等)
と言われております。法華経は爾前権経を破折するために説かれた折伏の経典であります。
  大聖人様は『開目抄』や『観心本尊抄』において、「五重の相対」ということをお説きになっておられます。相対というのは、前の教えを当分、方便の教えと知り、後の教えを跨節、節を跨ぎ、前後を包含するところの開会の教えと知るということであります。
  五重の相対とは、内道(仏教)と外道を比較する内外相対、大乗と小乗を比較する大小相対、爾前権経と実経(法華経)を比較する権実相対、法華経の迹門と本門を比較する本迹相対、法華経本門の文上脱益と文底下種を比較する種脱相対であり、浅い教えから次第に深い教えへと、その教法の内容を究めていくものであります。釈尊一代五十年の説法は、八万四千の法蔵と言われますように、非常に膨大な法門でありますが、その全てを包含して、順序次第を糺し、勝劣を明らかになされたのが、大聖人様の五重の相対という教えであります。その究極の種脱相対によって、法華経の本門、寿量品の文底に秘せられた南無妙法蓮華経の御本尊様こそ、最も勝れ、最も尊ぶべき法体であることが明らかになりました。そうして、この宇宙法界の全てを包含する唯一の妙法は、久遠元初の御本仏、日蓮大聖人様が御所持なされて、末法万年の衆生を救うために、三大秘法として建立あそばされるということが、実は法華経の文底に予証されているのであります。
  五綱判の二番目としては、衆生の「機根」ということであります。衆生が本質的にどういう命を持って生まれているかということであります。その機根には、本已有善の衆生と本未有善の衆生とがあります。本已有善というのは、この世に生まれる以前において、すでに善根を持っているということでありまして、前世において、釈尊に縁している(インド降誕の釈迦仏の前身の仏等から下種・熟益を受けている)ということであります。
  それに反して、本未有善というのは、前世において全く釈迦仏と縁を結んだことがなく、善根を積んだことがない荒凡夫ということであります。五濁悪世と言われる末法に生まれ合わせた我々衆生は、皆この本未有善の衆生でありますから、今、ここに末法の御本仏日蓮大聖人様の妙法によって、改めて成仏の種を下種して頂かねばならない機根に当たっているのであります。
  釈尊在世の舎利弗等は『寿量品』の文上では、久遠五百塵点劫の昔に下種されたとされていますが、実は日寛上人の『当流行事抄』に、
  「若し文底の眼を開いて還って彼の得道を見れば、実に久遠元初の下種の位に遷って名字妙覚の極位に至る」(六巻抄173n)
と説かれておりますように、久遠元初に立ち還って、心の奥底に本来具わっている成仏の種を覚知したのでありまして、これこそ即身成仏に至る道であります。
私たちは、御授戒によって、久遠元初の妙法蓮華経の大法を身に受けて、さらに、この妙法のお題目を御本尊様に向かって唱えることにより、自分たちの心身を、しっかりと磨いていく。そうして、過去の謗法の罪障を消滅して、汚れた命を清らかな命へと転換していくということが必要なのであります。それが機縁に基づくところの折伏の必要性であります。
  その次が「時」ということであります。それは法華経の『薬王品』に、
  「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提の内に広宣流布して、断絶せしむること無けん」(法華経539n)
とあるように、釈尊自身が、入滅して二千年以後の末法という時において、妙法蓮華経が世界中に広宣流布するということを予証されているのであります。
  『大集経』というお経のなかには、
  「次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没すること堅固ならん」(大正蔵13ー363B)
ということが説かれておりまして、釈尊滅後、二千年を経た後の五百年には、釈尊の仏法は隠没して功徳を失うということが予証されております。
  こうした三時(正法・像法・末法)弘経の次第のうえからも、この末法の初めこそ、南無妙法蓮華経の広まる時なのであります。つまり、大聖人様が末法の御本仏として御出現になって、新しい南無妙法蓮華経の大法をもって、世界の民衆を救うため折伏をなさっていくという、そういう時代なのであります。まさに今こそ、大聖人様の仏法が広まる時が到来しているということを確信していただきたいと思います。
  その次は「国」です。妙法蓮華経の大法が広宣流布するには、どこが根本の妙国となるのか、どこの国が中心となって広宣流布が展開するのかと言いますと、それは大聖人様が御誕生になった日本国であります。世界第一の名山、富士山の麓の大日蓮華山大石寺を中心として、世界の広宣流布が成し遂げられていくのであります。我が日蓮正宗の総本山を中心として、我々僧俗が広宣流布を成就していくのでありますが、そのなかでも法華講の皆さんが主体となって支え、推進していかなければなりません。法華講の皆さん方の広宣流布への情熱と信心と折伏を、世界の民衆は待っているのであります。
  今、世界中で、この妙法の功徳に浴して、大聖人様の弟子信徒として立ち上がり、自分たちの国の広布は自分たちの手でとの固い決意を持って、韓国でも台湾でも東南アジアでもアメリカでもヨーロッパでもアフリカでも、世界の御信徒たちが頑張っています。言葉はわからず、民族は違い、大聖人様の御書を直接読めるわけでもない。しかし、大聖人様の仏法に憧れ、大御本尊様の御開扉を賜りたいと願い、また総本山の御法主上人猊下にお目通りできることを楽しみにして、世界の各地から登山して来られるのであります。まさに広宣流布の根本の妙国としての機能を果たすべく、七百年以上も前から我が総本山は、その使命のもとに建立されて、今日に至っているのであります。
  最後は「教法流布の前後」ということです。釈尊の滅後、最初の一千年間は、インドにおいて、迦葉・阿難等が小乗経を弘通し、竜樹・無著等が権大乗を広め、次の一千年間は、中国において、南岳・天台等が、また我が国においては伝教が法華経の迹門を表として広めてきました。そういう仏教流布の順序次第を踏まえて、今末法においては、法華経本門の肝要たる南無妙法蓮華経の大法を広めなければならない。そういう順序次第に当たっているということを知る。これが教法流布の前後を知るということであります。
  今、日本には真言宗や念仏宗や禅宗など、爾前権経等を拠り所とした、いろんな宗旨がございます。その宗旨のもとに、江戸時代には檀家制度というものがありまして、どこの家でも、いずれかの寺院に所属して檀家とならなければならなかったのです。そのために今日まで代々、先祖からの宗旨を守って来られた家もあるでしょう。しかし、真言宗の人が真言の教えを捨て、念仏宗の人が念仏を捨て、禅宗の人が禅宗を捨てて、日蓮正宗に帰依なさるということは、仏の教えの根本、久遠元初の妙法に還ることであり、そうしてこそ、初めて成仏の境涯に達することができるのであります。このことは、絶対に先祖に背くことではない。恩義を受けた人たちに対しても疚しいことではない。安心して、正々堂々と日蓮正宗に帰依してください。
  大聖人様は『開目抄』のなかに、
  「大日経・観経等をよむ行者等、法華経の行者に敵対をなさば、彼の行者をすてゝ法華経の行者を守護 すべし。例せば、孝子、慈父の王敵となれば、父をすてゝ王にまいる。孝の至りなり。仏法も又かくのごとし」(御書556n)
と仰せられております。つまり、たとえ真言や念仏等の宗旨を守ることが父親の命令であったとしても、それは国王の命令に背く父の命令のようなものであるから、父の命令を捨てて王の命令に従うことが、却って最高の親孝行になるという御指南であります。仏教においても、爾前権経の教えに従ってはいけない。どこまでも御本仏、日蓮大聖人様の一閻浮提第一の真実の教導に従いなさい。それが世間で言うところの王命に従うことになる。大聖人様の教えに従ってこそ、五綱教判に基づいて、はじめて一閻浮提第一の妙法を知って、その正法に帰依することができるのであります。
  今、私たちは、いわば王命に従って尊い世界一の信心をしているのだ。一閻浮提第一の御本尊様に巡り会うことができたのだ。私たちは、末法の法華経の行者、御本仏日蓮大聖人様の妙法の功徳によって、本当に有り難い境涯に安住することができる。大聖人様の妙法を信じて、大聖人様を杖柱と頼んで、この正法を自行化他に亘って精進していくならば、そこに一家一族の絶対の繁栄が保証されるということを確信していただきたいと思います。皆様方の御精進と、折伏を通して自他共に救うということこそ、末法に生まれ合わせた私たちの践むべき道だということをしっかりと心に置いていただきたいと思います。皆様方のいよいよの御多幸をお祈りいたしまして、本日の私の御挨拶に代させていだきます。大変、御苦労様でした。(平成20年1月20日 妙光寺支部総会において)

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