平成20年3月1日発行 高照山 第243号
一 谷 入 道 女 房 御 書
建治元年五月八日  五四歳

 「弘演といゐし者は、主衛の懿公の肝を取りて我が腹を割きて納めて死にき。予譲といゐし者は主の智伯がはぢをすゝがんがために剣をのみて死せしぞかし。此はたヾわづかの世間の恩をほうぜんがためぞかし。いわうや無量劫より已来六道に沈淪して仏にならざることは、法華経の御ために身ををしみ命をすてざるゆへぞかし。されば喜見菩薩と申せし菩薩は、千二百歳が間身をやきて日月浄明徳仏を供養し、七万二千歳が間ひぢをやきて法華経を供養し奉る。其の人は今の薬王菩薩ぞかし。不軽菩薩は法華経の御ために多劫が間罵詈毀辱・杖木瓦礫にせめられき。今の釈迦仏に有らずや。されば仏になる道は時によりてしなじなにかわりて行ずべきにや。今の世には法華経はさる事にてをはすれども、時によて事ことなるならひなれば、山林にまじわりて読誦すとも、将又里に住して演説すとも、持戒にて行ずとも、臂をやひてくやうすとも仏にはなるべからず。」(御書826n)

(内海雄幸師の講義)
 今月の御書講は『一谷入道女房御書』の2回目でございます。では御文に入りますと、
  「弘演といゐし者は、主衛の懿公の肝を取りて我が腹を割きて納めて死にき。予譲といゐし者は主の智伯がはぢをすゝがんがために剣をのみて死せしぞかし」。弘演という人は、主君の衛の懿公が他国の者に殺された時、自分の腹を割いて、懿公の肝を入れて主君への恩を報じたという。また予譲という者は主君の智伯が趙の襄子に殺され、その恥辱を晴らさんが為に剣に伏して死んだという。
  日蓮大聖人様は、本日拝読の御文の直前に、「此の法門を申し始めしより命をば法華経に奉り、名をば十方世界の諸仏の浄土にながすべしと思ひ儲けしなり」と仰せられておりますように、立宗以来、不自惜身命の覚悟をもって妙法弘通に当たってこられたわけであります。古代の中国におきまして、弘演という者が衛の国の懿公の臣下として、命を受けて使に赴いた間に、狄人が衛を攻めて懿公を殺して、ことごとくその肉を食して、ただその肝を捨てた。使から帰ってきた弘演は大変に悲しんで、遂に自分の腹を割いて内臓を出し、懿公の肝を入れて死んだということであります(呂氏春秋〔忠廉〕、御書399、479、524、542、999n)。
  また予譲という者は、晋の人で、智伯に尊寵された。智伯は趙襄子を伐とうとしたが、趙襄子は韓と魏と謀って智伯を滅ぼし、その領地を三分割した。そうして予讓は、趙襄子の兵に囲まれたが、趙襄子の衣を請い、これを?って、智伯の讎を討ち、恩顧に報いたいと願ったので、襄子はこれを義として自らの衣を予讓に与えた。予譲は剣を抜いて三度躍ってこれを撃ち、遂に剣に伏して自殺したということであります(史記巻八十六、御書399、999n)。
  「此はたヾわづかの世間の恩をほうぜんがためぞかし。いわうや無量劫より已来六道に沈淪して仏にならざることは、法華経の御ために身ををしみ命をすてざるゆへぞかし」。此等は僅かばかりの世間の恩義を報ぜんとしたのである。まして仏法の上の報恩はそれ以上でなければならない。過去無量劫より已来我等が六道に輪廻して仏になれなかったのは法華経の為に我が身を惜しみ、命を捨てなかったが故である。法華経に命を捧げるならば仏に成るであろう。
「六道に沈淪して」というのは、六道輪廻とも申しまして、地獄(瞋り)、餓鬼(貪り)、畜生(癡か)、修羅(諂い)、人間(平らか)、天上(喜び)という下位の境界の間を彷徨ってしまって、それより上の声聞、縁覚、菩薩、仏という四聖の境界を顕現することができないということです。ただ僅かの世間の恩に報いるために命を捨てたということは、たしかに歴史上、名を残していることではありますが、本当に成仏の境界に至るには、法華経の御為に身命を投げうって御報恩に努めなければならないということであります。
  「されば喜見菩薩と申せし菩薩は、千二百歳が間身をやきて日月浄明徳仏を供養し、七万二千歳が間ひぢをやきて法華経を供養し奉る。其の人は今の薬王菩薩ぞかし」。したがって喜見菩薩は千二百歳の間、己の身を焼いて日月浄明徳仏に供養し、また七万二千歳の間、自分の臂を焼いて法華経に供養した。今の薬王菩薩がそれである。
法華経の『薬王菩薩本事品第二十三』によりますと、昔、日月浄明徳如来という仏様がいらっしゃいまして、一切喜見菩薩等のために法華経を説かれた。喜見菩薩は、法華経を聞き、現一切色身三昧を得たので、日月浄明徳如来に御供養申し上げるため、香油等を飲むこと千二百歳、さらに自らの身に香油を塗り、自身を焼すこと千二百歳にして、その身が尽きた。そうして命終わって後、また日月浄明仏の国に生まれて、日月浄明仏の入滅後に、八万四千の舎利塔を建てて、自らの臂を焼すこと七万二千歳、もって供養をした。この一切喜見菩薩こそ、釈尊在世の法華経の会座に連なっている薬王菩薩であるということであります。
  「不軽菩薩は法華経の御ために多劫が間罵詈毀辱・杖木瓦礫にせめられき。今の釈迦仏に有らずや」。また不軽菩薩という人は多劫の間、法華経の為に罵詈毀辱せられ、また杖木にて打たれ、瓦礫を投げられた。今の釈迦仏の前身がこの不軽菩薩である。
このことは法華経の『常不軽菩薩品第二十』に説かれておりますが、昔、威音王如来という仏様がおり、この仏様の滅後、像法という時代に、増上慢の比丘が大勢おりまして、その時に、常不軽菩薩という一人の比丘がおりました。この常不軽菩薩は、会う人ごとに、誰に向かっても礼拝讃歎して「我深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以は何ん。汝等皆仏道を当に作仏することを得べし」と唱え続け、どんなに悪口罵詈され、杖木瓦石をもって打たれようとも、避けて走り遠くから、なお高声に「我敢えて汝等を軽しめず。汝等皆当に作仏すべし」と唱えることを止めなかった。この常不軽菩薩こそ、今の釈迦仏、我が身のことである。常不軽菩薩を迫害した人たちは、千劫阿鼻地獄において大苦悩を受け、その罪を畢え已って、また常不軽菩薩の教化に遇うことができたということであります。
  「されば仏になる道は時によりてしなじなにかわりて行ずべきにや」。従って仏になる道は時により、種々に替わって修行すべきである。
  今末法の時代は、法華経の『薬王品』に説かれているような、一切喜見菩薩が行ったごとき修行はしなくてもよい。また『不軽品』に説かれているような常不軽菩薩が行ったごとき、会う人ごとに礼拝讃歎をするという行はしなくてもよいということであります。
「今の世には法華経はさる事にてをはすれども、時によて事ことなるならひなれば、山林にまじわりて読誦すとも、将又里に住して演説すとも、持戒にて行ずとも、臂をやひてくやうすとも仏にはなるべからず」。今の世には法華経が弘まるべきではあるが、修行は時によって異なる事であるが故に、山林に交わって法華経を読誦したり、将又里に住して演説すれども、戒を守って修行するとも、臂を焼いて供養をすれども仏にはなれないのである。
では現在行ずべき修行とは、いったい何なのかということに考えが及ばなくてはいけません。それは明年の『立正安国論』正義顕揚750年の佳節に当たって、地涌倍増と大結集に向けて、自行化他の勤行唱題・折伏を行じていくということが、今現在、皆様方の恩人に対しても、仏様に対しても、何よりの報恩になるということであります。なぜかと言えば、この時に叶った信心をすることによって、皆様方一人ひとりが成長することができる。この大事な時に当たって折伏をしないと、徳を積むことができないのです。非常にもったいないことになってしまうわけでございます。
  皆様方におかれましても、本年6月15日の埼玉スパーアリーナでのプレ大会の結集を含めて、時に叶った折伏行、時に叶った報恩の修行を行っていただきたいということを申し上げまして、本日の講義に代えさせていただく次第でございます。本日はお寒いなかを御参詣、まことに御苦労様でごさいました。(平成20年2月10日 月例報恩お講において)

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