平成20年7月1日発行 高照山 第247号
妙光寺住職  尾林 日至

奉掲の御霊宝について

 本日、高照山妙光寺におきまして、御霊宝虫払法要を奉修申し上げましたところ、妙光寺の総代、講頭各位をはじめ、檀信徒御一同様には、お繰り合わせのうえ御参詣くださいまして、いろいろとお手伝いをいただき、大変ありがとうございました。御苦労様でした。
  恒例によりまして、少々、御本尊様等の説明をさせていただきたいと思います。当山には現在、185体の御本尊が厳護されておりまして、そのなかには、宗祖日蓮大聖人様の弘安2年4月8日の御真筆御本尊様を筆頭にいたしまして、日興上人、日有上人、日寛上人等々御歴代上人の御筆御本尊が、120年の歴史のなかに厳護されてまいった次第でございます。それで、余りにもたくさんの御本尊様がございますので、一度に全部の御本尊様を奉掲申し上げることはできませんから、毎年、3分の1ずつ奉掲申し上げているのでございます。そうして、3年で一通り御霊宝の全部を御披露申し上げるということになっております。本年は一番上代の御法主上人の御本尊様をお懸けする番に当たっておりまして、第二祖日興上人から第36世日堅上人に至るまでの約40幅の御本尊様を奉掲申し上げた次第でございます。
  まず中央にお懸け申し上げた大幅の御本尊様は、弘安2年4月8日の宗祖日蓮大聖人様の御真筆の御本尊様でございます。この御本尊様の特徴的なことを申し上げますと、中央の「南無妙法蓮華経」のお題目と、「日蓮」という御自身のお名前と、大きなお書き判とが、きちっと一直線上に認められております。これが大聖人様の弘安期における御本尊様の大きな特徴でございます。それから、御本尊様の左右に梵字で不動・愛染が認められておりますが、その起筆が丸みを帯びた形になっております。この御本尊様以前にお認めの不動愛染の起筆は皆、一の字の形でございまして、妙光寺の御本尊様が転機になって、この時以後の大聖人様の御本尊様は皆、不動愛染の起筆が丸みを帯びた形になったのであります。
  西の一番には、大聖人様の御真筆の『南条兵衛七郎御書』、行間には日興上人が『唱法華題目抄』を御書写なさっている一幅を奉掲いたしました。『南条兵衛七郎御書』は、大聖人様が御年43歳の時、文永元年12月13日、駿河国富士郡上野の地頭、南条兵衛七郎殿に与えられた御書でありまして、現在その断簡が10カ所ほどに残っておりますが、その第2紙が妙光寺支部第7地区の由井一男さんのお家に伝えられておりまして、妙光寺の御霊宝虫払会には毎年奉掲させていただいているのであります。
  東の一番は、大聖人様が弘安3年5月9日、比丘日禅(南之坊開基)に授与された御本尊様の御形木で、妙光寺支部第8地区の松島忠正さんが護持されております。この御本尊様の御真筆は、元法道院の什宝でありましたが、現在は総本山大石寺に奉納されて、総本山の御霊宝虫払大法会のとき、猊下の読み上げに従い奉掲されております。
  西の二番は、第二祖日興上人の元亨2年12月18日の御本尊様でございます。この御本尊様は、妙光寺初代の広布院日奘贈上人が妙光寺に納めてくださった日興上人の御真筆の御本尊様であります。
  東の二番は、日興上人の嘉元3年2月の御本尊様であります。
  西の三番は、第9世日有上人の文安2年9月22日の御本尊様であります。
  東の三番は、第14世日主上人の天正16年6月20日の御筆で、下野国東光坊信者家田小一良に授与された御本尊様であります。
  西の四番は、同じく第14世日主上人が天正16年6月20日、下野国東光坊信者に授与された御本尊様であります。
  東の四番は、第16世日就上人が寛永5年6月6日に、妙法寺檀那、水野八之右衛門に授与された御本尊様であります。
  西の五番は、第17世日精上人が77歳の御時、延宝4年5月に、御書写あそばされた御本尊様であります。
  東の五番は、同じく第17世日精上人が84歳の御時、天和3年10月に、飯田吉右衛門に授与された御本尊様であります。
  西の六番は、第22世日俊上人が元禄3年10月7日、常在寺住持本修阿闍梨遠成坊日順に授与された御本尊様であります。
  東の六番は、第23世日啓上人の元禄4年3月28日の御本尊様であります。
  西の七番は、同じく第23世日啓上人が元禄5年正月13日、上田善五郎に授与された御本尊様であります。
  東の七番は、第24世日永上人が、元禄9年正月9日に、富士郡上野庄清伊右衛門尉方久に、悲母妙要院日教二十五年忌菩提の為に授与された御本尊様であります。
  西の八番は、同じく第24世日永上人が、元禄9年7月16日に、妙縁寺住持第五代新倉阿闍梨学円坊日応という方に、持仏堂の常住として授与された御本尊様であります。
東の八番は、同じく第24世日永上人が、宝永2年正月28日に、常在寺檀那大田忠左衛門に授与された御本尊様であります。
  西の九番から東の十一番までは、第26世日寛上人御筆の御本尊様で、妙光寺には、日寛上人の御本尊様が6体、護持されています。
  西の十二番から東の二十一番までは、第27世日養上人の1幅、第28世日詳上人の2幅、第29世日東上人の4幅、第30世日忠上人の2幅、第31世日因上人の2幅、第32世日教上人の1幅、第33世日元上人の2幅、第34世日真上人の1幅、第35世日穏上人の2幅、第36世日堅上人の3幅の御本尊様であります。
西の二十一番から西の二十三番までは、宗祖日蓮大聖人様の御絵像3幅を奉掲させていただきました。
また妙光寺には、第26世日寛上人が享保3年9月16日に加賀の信徒福原式治という方に与えられた御返事が納められております。このお手紙のなかには、「身は北海の辺り千里の外に有りながら、心は駿河州富士の麓、大石の原、本門戒壇の霊場に参詣せし如くなり」「さては貴殿、両三年の間に一百人余の御教化の事」等と書かれておりまして、福原式治殿が自行はもとより、化他行においても、大変な働きをされていたことが伺えます。
  なお、この巻物の裏側には、第34世日真上人が、元文3年7月5日、まだ完孝日賢と称しておられたときに、江戸下谷の弁玉日彭、房州保田の円乗日潤という友と連れだって、上総の細草檀林から安房の小湊・小松原・保田を経て、江戸下谷の常在寺に着くまでを記録した道中記が、一緒に表装されております。
  妙光寺本堂の板御本尊様は、総本山大石寺の六壷の御本尊様、日興上人が乾元2年(1303)8月13日に御書写あそばされた「富士大石寺持仏堂安置」の御本尊様の御形木であります。この板御本尊様の裏書によりますと、万治3年(1660)7月8日に、常泉寺5世の本行院日優という方の代に、江戸牛島久遠山常泉寺の御本尊様として彫刻申し上げたということが刻まれております。この板御本尊様が造立されてから、すでに350年を経ているわけであります。
  どうか皆様方には、これだけの御本尊様、御宝物が妙光寺に連綿として護持されており、日蓮正宗の寺院として光彩を放っているということを深く心に留めていただきたいと思います。そうして、皆様方には、先祖代々の方々が尽くされてきた立派な行跡を守り、今私たちに与えられた使命を果たし、未来の広宣流布に寄与していっていただきたいと念願して止まない次第でございます。皆様方のいっそうの努力と発心と御精進をお願いいたしまして、一言、本日の御本尊様ならびに御霊宝の説明とさせていただきたいと思います。(平成20年5月18日 御霊宝虫払会において)

宗祖日蓮大聖人御真蹟『南条兵衛七郎殿御書』第二紙 (御書三二一n)
行間は日興上人御筆『唱法華題目抄』(御書二三一n)の抄写(由井一男氏蔵)
(解読文)
五十年にはすぎず。さき四十余年の(間)
答、方便品等ニハ機見テ此ノ経ヲ可説見、不軽品ニハ
の法門に花厳経には心仏及衆生、是三無
謗トモ、タヾシイテ可説之由見ヘテ侍、一経ノ前後水火如、然ヲ
差別 、阿含経には苦・空・無常・無我、大集
天台大師会云、本已有善、釈迦以小将護之、本未有
経は染浄融通、大日経には混同無二、
善不軽以大強毒之、文心ス本無善根今不行法花
双観経・観経・阿弥陀経等には往生極楽、
トテモ可堕悪道故ニ、聞以謗縁機為ト思テ、シイテ説ト会文也、
此等の説教はみな正法・像法・末法の一切
如此釈ス末代ニハ無善ノ者多、有善者少、聞法花経ヲ
衆生をすくはんがためにこそとかれはん
毒鼓ノ縁ト可成等、又法花経ノ方便品ニ五千ノ増上有、
べり候ひけめ 。而れどもいかんがをぼしけん、
略開三顕一ヲ聞テ広開三顕一ノ時、仏ノ御力ヲ以テ
無量義経に以方便力四十余年未顕
令立座給、後ニ涅槃経并ニ四依ノ辺ニシテ今生ニ解ヲ
真実ととかれて、先四十余年の往生極

令得給ト文、諸法無行経ニ喜根菩薩、勝意比丘ニ向テ大乗ノ法門
楽等の一切経は親の先判のごとくくひ
シイテ説聞セテ謗ザセシヲ、此二ノ相違ヲバ天台大師会シテ云、
かえされて、過無量無辺不可思議阿僧祇

如来以悲故ニ発遣、喜根以慈故ニ強説文、仏ハ悲ノ故ニ
劫、終不得成無上菩提といゐきらせ給て
後楽ヲ閣、当時謗法花、可堕地獄故ス、譬バ人ノ如母思子

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