平成20年7月1日発行 高照山 第247号
一谷入道女房御書(六)
建治元年5月6日 54歳

 「但日蓮一人計り此の事を知りぬ。命を惜しみて云はずば国恩を報ぜぬ上教主釈尊の御敵となるべし。是を恐れずして有りのまゝに申すならば死罪となるべし。設ひ死罪は免るとも流罪は疑ひなかるべしとは兼ねて知りてありしかども、仏恩重きが故に人をはヾからず申しぬ。案にたがはず両度まで流されて候ひし中に、文永九年の夏の比、佐渡国石田郷一谷と云ひし処に有りしに、預かりたる名主等は、公と云ひ私と云ひ、父母の敵よりも宿世の敵よりも悪げにありしに、宿の入道といゐ、めといゐ、つかうものと云ひ、始めはおぢをそれしかども先世の事にやありけん、内々不便と思ふ心付きぬ。預かりよりあづかる食は少なし。付ける弟子は多くありしに、僅かの飯の二口三口ありしを、或はおしきに分け、或は手に入れて食せしに、宅主内々心あて、外にはをそるゝ様なれども内には不便げにありし事何の世にかわすれん。我を生みておはせし父母よりも、当時は大事とこそ思ひしか。何なる恩をもはげむべし。まして約束せし事たがうべしや。然れども入道の心は後世を深く思ひてある者なれば、久しく念仏を申しつもりぬ。其の上阿弥陀堂を造り、田畠も其の仏の物なり。地頭も又をそろしなんど思ひて直ちに法華経にはならず。是は彼の身には第一の道理ぞかし。然れども又無間大城は疑ひ無し。設ひ是より法華経を遣はしたりとも、世間もをそろしければ念仏すつべからずなんど思はヾ、火に水を合はせたるが如し(御書829n)

(内海雄幸師の講義)
 では御文に入りますと、
「但日蓮一人計り此の事を知りぬ。命を惜しみて云はずば国恩を報ぜぬ上教主釈尊の御敵となるべし。是を恐れずして有りのまゝに申すならば死罪となるべし」。ただ日蓮一人だけがこの事を知っておりました。命を惜しんで言わなかったならば、国恩を報じない上に、きっと教主釈尊の御敵となる事だろう。これを恐れないでありのままに申し上げるならば、きっと死罪となる事だろう。
  「此の事を知りぬ」というのは念仏宗の誤りについて知っておられたということであります。「国恩」というのは、一つには、当時は封建時代ですから、天皇の恩とか、最高権力者であった鎌倉幕府の執権とか、国政を握っていた国主に対する恩を指しておりました。特に当時、代々幕府に仕えていた臣下の御家人は、領地を頂いていた主君に対しての御恩を感じ、命がけで仕える奉公をもって、この恩に報いようとしたのであります。もう一つは、国土の恩ということであります。この国土世間に生まれ育った恩恵を感じて、その恩に報いるために、国や地域社会のために尽くすわけであります。ところが、念仏宗の誤りを知っていながら、国恩を被りながら、命を惜しみ、念仏を破折しないで黙っていたならば、そういう国恩や教主釈尊の御恩にも背くことになるから、死罪をも恐れず強く申すのである、ということであります。

「設ひ死罪は免るとも流罪は疑ひなかるべしとは兼ねて知りてありしかども、仏恩重きが故に人をはヾからず申しぬ。案にたがはず両度まで流されて候ひし中に、文永九年の夏の比、佐渡国石田郷一谷と云ひし処に有りしに」、たとえ死罪は免れる事かできても、流罪は疑いない事であるとは兼ねて知っていたけれども、仏恩が重いために人をはばからず申し上げた。案にたがわず両度まで流された中で、文永九年の夏の頃、佐渡国石田郷一谷と言う所にいた時に、
  「兼ねて知りてありしかども」というのは、『開目抄』にも、
  「日本国に此をしれる者、但日蓮一人なり。これを 一言も申し出だすならば父母・兄弟・師匠に国主の 王難必ず来たるべし。いわずば慈悲なきににたりと 思惟するに、法華経・涅槃経等に此の二辺を合はせ 見るに、いわずば今生は事なくとも、後生は必ず無 間地獄に堕つべし。いうならば三障四魔必ず競ひ起 こるべしとしりぬ」      (御書539n)
と仰せられておりまして、大聖人様は、開宗の当初から、流罪等の大難の起こることを御承知のうえで、「念仏無間」等と申されたのであります。
  「案にたがはず両度まで流されて候」というのは、法華経の『勧持品第十二』に、
  「数数擯出せられん」(法華経378n)
とありまして、悪世末法における法華経の行者は、何度も住む所を追われるということが予証されています。その通り、大聖人様は、1回目は弘長元年に伊豆の伊東に流され、2回目は文永8年に佐渡に流されたわけであります。

 「預かりたる名主等は、公と云ひ私と云ひ、父母の敵よりも宿世の敵よりも悪げにありしに、宿の入道といゐ、めといゐ、つかうものと云ひ、始めはおぢをそれしかども先世の事にやありけん、内々不便と思ふ心付きぬ」。預かっている名主等は、公私に渡って、父母の敵よりも、また宿世からの敵よりも憎々しげであったが、宿の入道といい、その妻といい、使用人といい、始めは恐がり、怖じ気づいていたけれども、前世の事であったのだろうか、内々に憐れみの心が出てきた。
「名主」(みょうしゅ)というのは、平安中期から中世にかけて、名田(みょうでん。開墾・買得などによる自己名義の田畑)を所有して、租税を納める農民のことで、ここでは一谷入道を指します。これを「なぬし」と読む場合でも、江戸時代の村方の頭、庄屋や肝煎のような役職ではありません。しかし、一谷入道は、村でも一二を争うような裕福な農民であったことは確かなようです。
  「宿世の敵」というのは、過去世、前世からの因縁があるところの敵という意味で、相手に対して深い恨みを持っていることを申します。大聖人様も、塚原の三昧堂から石田郷に移られた当初は、一谷入道をはじめ家族、使用人等から、そのように白い眼で見られていたというわけであります。
  しかし、一谷入道は、大聖人様に接しているうちに、次第に心のうちに、お気の毒だという憐れみの気持ちが湧いてきたようであります。
  「預かりよりあづかる食は少なし。付ける弟子は多くありしに、僅かの飯の二口三口ありしを、或はおしきに分け、或は手に入れて食せしに、宅主内々心あて、外にはをそるゝ様なれども内には不便げにありし事何の世にかわすれん。我を生みておはせし父母よりも、当時は大事とこそ思ひしか。何なる恩をもはげむべし。まして約束せし事たがうべしや」。世話をする人からいただく食べ物は少ない。お供する弟子は多くいたが、僅かの御飯が二口三口分あったのを、或は折敷に分け、或は手に入れて食べた時に、宅主は内々心があって、外に対しては恐れている様子であったけれども、内に対しては気の毒な様子であった事をいつの世までも忘れはしないであろう。私を生んでくださった父母よりも、当時は大事であると思った。どのような恩も励む事だろう。まして約束した事を反古にする事ができようか。
「宅主内々心あて、外にはをそるゝ様なれども内には不便げにありし事」というのは、大聖人様を預かった一谷入道が、外見は恐れを抱いている様子であったけれども、内心は不憫に思われて、いろいろ親切にしてくれたということであります。
  「約束せし事」というのは、大聖人様を訪ねて、鎌倉から来た尼が帰りの旅費がなく困ったときに、大聖人様が一谷入道に頼んで用立ててもらった代わりに、いつか法華経一部(開経と結経を含めて)十巻を書写して差し上げましょうという約束をされた、そのことを指します。
  「然れども入道の心は後世を深く思ひてある者なれば、久しく念仏を申しつもりぬ。其の上阿弥陀堂を造り、田畠も其の仏の物なり。地頭も又をそろしなんど思ひて直ちに法華経にはならず。是は彼の身には第一の道理ぞかし。然れども又無間大城は疑ひ無し。設ひ是より法華経を遣はしたりとも、世間もをそろしければ念仏すつべからずなんど思はヾ、火に水を合はせたるが如し」。けれども、入道の心は来世を深く思っていることであるから、長い間念仏を申し上げてこられた。その上、阿弥陀堂を造り、田畠もその仏の物である。地頭も又恐ろしい等と思って、すぐに法華経にはならない。これは彼らの身には第一の道理である。けれども又無間大城は疑いない事である。たとえこれから法華経をお渡ししても、世間も恐ろしいので、念仏は捨てないようにしよう等と思うならば、火に水をかけるようなものである。
  「地頭も又をそろしなんど思ひて」というのは、一谷入道が佐渡の地頭に対しても遠慮をして、念仏を捨てないということであります。当時の佐渡の守護職は北条(大仏)宣時で、その家臣として本間六郎左衛門重連が、石田郷も支配していたようです(御書720n)。一谷入道は、その本間重連の配下にあって、流人の大聖人様を預かる宿主となっていたのでしょう。
  「無間大城は疑ひなし」というのは、法華経『譬喩品第三』に、
  「若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切世間の仏種を断ぜん 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん」(法華経175n)
と説かれています。一谷入道も、浄土宗の法然が唱えた法華経を捨閉閣抛せよという宗旨を信じて、いつまでも謗法を犯すならば、無間地獄は免れません。
「火に水を合はせたるが如し」というのは、どんなに法華経を有り難いと思って信じたとしても、念仏等のほかの宗旨を捨てきれなければ、火に水を合わせたように、相容れないないものを一緒にするようなもので、功徳は絶対にありませんと、大聖人様は、はっきりとおっしゃっておられます。そうして、ここで、大聖人様は、謗法厳誡ということをはっきりと示されているわけでございます。
  この謗法というのは誹謗正法という語の省略形であります。誹謗正法というのは、正しい仏法を謗るということであります。口で正法を誹謗する人もいます。また体で行う人もいますし、あるいは心で思っている人もいます。これを身口意の三業における謗法というわけであります。そうしてO慢・懈怠・計我・浅識等の十四誹謗がありますが、最も根本的な謗法は不信であります。法華経や大聖人様の御本尊を信じないということです。そうして、誹謗正法の正法とは何なのかと言いますと、即身成仏の道理を顕した十界互具・一念三千の教えであります。念仏宗や真言宗や禅宗等の教えは、この正法に背く宗教であります。もし御自分の身の回りに、こういう邪宗教を信ずる人がいたならば、知りながら放って置いてはいけません。そこで折伏ということが大切になってくるわけであります。 来年の『立正安国論』正義顕揚750年に向けて、この謗法厳誡の道理を基にして、お互いに成仏の境涯を築き上げていくために、折伏を実践していただきたいと思います。
(平成20年6月8日 月例報恩御講において)

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