平成20年8月1日発行 高照山 第248号
立 正 安 国 論

 「倩微官を傾け、聊か経文を披きたるに、世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず」(御書234n)

(通釈)
 わずかばかりの眼を開いて、少し経文を開いてみるに、世の民衆は皆正法に背き、人々は悉く悪法に帰依している。ゆえに善神は国を捨てて去ってしまい、聖人は所を辞して帰ってこない。このため、善神、聖人にかわって魔神、鬼神が来て、災が起こり、難が起こるのである。

(解説)
 立正安国論第一段の結論として、主人が災難の興起の由来を簡潔に仏法上の結判として示された御文である。第一には、全民衆が正法に背き、悉く悪法に帰依しているが故である。従って、第二に諸天善神は此の国を捨てて本土へ立ち返り、聖人はまた謗法の寺社を辞して帰られない。そこへ悪鬼魔神鬼神が来たる故に災いは起こり、諸難は起こるのである。ここに正法を立て、悪法を打ち破り、折伏を行じて民衆を啓蒙し、この国を仏国土へと導く事が必要なのである。立正安国論献上の七月は、この正義顕揚のために、汗を流し、折伏に邁進しよう。

(住職法話)
 先般、6月15日の東日本プレ大会には、奮って参加いただきまして、明年平成21年の『立正安国論』正義顕揚750年に向けて、妙光寺の法華講も、妙光寺支部、正道講支部が共に結集目標を大きく突破いたしました。皆様がこれまで地道に啓蒙を重ねてこられた誠意が通じ、反対に創価学会員を総動員して行った妨害行為は徒労に帰したのであります。住職といたしまして、厚く御礼申し上げます。どうか、この勢いをもって、本年後半の折伏に頑張っていただきたいと思います。
7月と申しますと、大聖人様が『立正安国論』を、文応元年7月16日に、当時の鎌倉幕府の実力者、前執権、最明寺入道北条時頼に進覧なされた月であります。今月の拝読御書として、この『立正安国論』の第一段の結論の部分を掲載させていただいた次第であります。
  大聖人様は『立正安国論』を執筆なさるに当たってて、文証となるお経文を念のためにお調べになるために、一切経を所蔵している駿河の国岩本の実相寺においでになりました。そこで、修学中の伯耆公(日興上人)が、大聖人様を心からお慕い申し上げて、大聖人様の門下にお入りになり、師弟の強い絆で結ばれることになったのでございます。このことも、やはり『立正安国論』の御執筆が機縁となっていたわけでございます。
また弘安5年、大聖人様が武蔵国池上において、御入滅に際して御講義されたのも『立正安国論』であったということでございます。そのように『立正安国論』は、大聖人様の御生涯を通じて極めて大事な御著作であり、我々の励みとなる御書でございます。
  この『立正安国論』は第一段から第十段に至るまで、客と主人の問答形式で書かれておりますが、そこに一貫して貫かれているのは、邪宗邪義に対する破折と、正法正義に帰依することをお勧めになっていらっしゃることであります。
  第九段の主人の言葉として、
  「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」(御書250n)
と仰せられております。また第十段の最後の客の言葉として、
  「唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡しめんのみ」(同 上)
と述べられております。この『立正安国論』は、終始末法におけるところの折伏の精神をもってお説きになっていらっしゃるのであります。また大聖人様の御生涯は、まさに折伏の実践をもって貫かれているのでございます。
  皆様方には、大聖人様の御精神を受け継いで、大聖人様の弟子信徒らしく、身近な人びとに対して、どこまでも折伏を貫いて、御奉公していただきたいと思います。
  「実乗の一善」ということは、大聖人様が御建立あそばされた本門の戒壇の大御本尊様を中心とした三大秘法であります。この大仏法こそ、世界をリードし、世界の民衆を救い、本当の世界平和を成就する唯一の大法でございます。
  たとえ仏教であっても、方便の小乗や権教の教えを捨てて、実大乗の妙法の教えに帰依しなければ、一人の親も救えない、兄弟も救えない、本当の幸福な境涯も築けない、ということを大聖人様は明らかにされていらっしゃるのでございます。私たちは、正法をもって人を救うという折伏こそ、最高の善事であるということを心に銘記していただきたいと思います。
  中国の天台大師は『摩訶止観』(巻第一上)に、
  「円の法を聞き、円の信を起こし、円の行を立て、円の位に住し、円の功徳を以て、而して自ら荘厳し、円の力用を以て衆生を建立す」(大正蔵四十六−二・A)
という言葉を残されているのであります。「円」というのは具足円満、最勝ということでありまして、大聖人様の南無妙法蓮華経という最勝の正法を聞き、最勝の信心を起こし、最勝の修行をし、最勝の位に住して、最勝の功徳をもって、一人ひとりの命を荘厳しなければならないのであります。
  例えば、女の方がお化粧をして飾るとか、洋服を着て飾るとか、何か装飾品を付けて身を飾るということではなくて、本当の人間の輝きというのは、最勝の妙法を持って、自分の命の底から輝きを増して荘厳するということが大切だということであります。
  また、涅槃経(北本涅槃経巻第二十四)には、
「百福を具足して一相を成す。是の如く展転具足して三十二相を成就す」(大正蔵12−508A)
とあります。
  大聖人様の『法蓮抄』という御書には、このことを、
  「仏には必ず三十二相あり。其の相と申すは梵音声 ・無見頂相・肉髻相・白毫相・乃至千輻輪相等なり。 此の三十二相の中の一相をば、百福を以て成じ給へり。百福と申すは、仮令大医ありて日本国、漢土、天竺の十六の大国・五百の中国・十千の小国、乃至一閻浮提・四天下・六欲天・乃至三千大千世界の一切衆生の眼の盲たるを、本の如く一時に開けたらんほどの大功徳を一つの福として、此の福百をかさねて候はんを以て三十二相の中の一相を成ぜり。されば此の一相の功徳は三千大千世界の草木の数よりも多く、四天下の雨の足よりもすぎたり」(御書812n)
と説かれております。梵音声とは清らかな声。無見頂相とは仏の頂を見ることができない。肉髻相とは頭の頂の肉が盛り上がっている。白毫相とは眉間の白色の旋毛。千輻輪相とは足の裏に千の車輻から成る車輪のような模様がある。このような立派な仏様の三十二相は、それぞれ皆、百福という絶大な功徳を具えているというのであります。そうして、百福というのは、例えば、大名医がいて、世界中のすべての人びとの盲目を一度に治してしまうほどの大功徳を一つの福として数えて、それが百も集まったほどの大きな功徳であるということであります。
  皆様方も、この妙法の信仰を貫いて、百福の功徳を頂くという、尊い現証が顕れてくることを確信していただきたいと思います。そういう功徳は、すぐには気が付かないかも知れません。しかし、20年30年と長い間の信仰生活を続けていきますと、その信仰を貫いた実証として、百福の大功徳が必ず顕れてくるのであります。どこまでも堂々とした信心を貫いて、日蓮正宗法華講員としての誇りをもって、人間の生涯として最高の境涯に生き、大聖人様の弟子信徒として恥ずかしくない信心を全うしていただきたいと念願する次第であります。皆様方のいよいよの御精進を心からお祈り申し上げて、本日の御挨拶に代えさせていただきます。頑張りましょう。(平成20年7月1日 広布祈念唱題会において)

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