平成20年8月1日発行 高照山 第248号
一谷入道女房御書(七)
建治元年5月6日 54歳

 「謗法の大水、法華経を信ずる小火をけさん事疑ひなかるべし。入道地獄に堕つるならば還って日蓮が失になるべし。如何がせん如何がせんと思ひわづらひて今まで法華経を渡し奉らず。渡し進らせんが為にまうけまいらせて有りつる法華経をば、鎌倉の焼亡に取り失ひ参らせて候由申す。旁入道の法華経の縁はなかりけり。約束申しける我が心も不思議なり。又我とはすゝまざりしを、鎌倉の尼の還りの用途に歎きし故に、口入有りし事なげかし。本銭に利分を添へて返さんとすれば、又弟子が云はく、御約束違ひなんど申す。旁進退極まりて候へども、人の思はん様は誑惑の様なるべし。力及ばずして法華経を一部十巻渡し奉る。入道よりもうばにてありし者は内々心よせなりしかば、是を持ち給へ」。(御書829n)

(内海雄幸師の講義)
 

日蓮大聖人様は、流罪に処せられ、文永8年10月に、佐渡国に流されて来られて、はじめは塚原の三昧堂という配所におられました。そうして、半年ほど過ぎた文永9年の夏のころ(4月)に、同国石田郷の一谷という所に移られたのであります。そこに住んでおりました一谷入道夫妻は、最初は鎌倉幕府の罪人であった大聖人様を非常に恐れておりました。ところが、だんだん大聖人様と接するうちに、大聖人様は決して悪人ではないということが判ってきたわけであります。そこで、いろいろと人間的な心の交流というものが生まれてきました。そうこうするうちに、鎌倉から佐渡に、大聖人様をわざわざ訪ねて、ある婦人が見えました。その婦人は佐渡島に着いたのはよろしいのですが、旅行費用を使い果たしてしまった。ですから帰りの路銀が全くなくなってしまった状態で、“さあ、どうしょう”ということになったわけでございます。このときに、大聖人様は、御自身も、いわゆる流罪人ですから、お金なども持っておりません。そこで、一谷入道に工面をお願いすることになったわけですが、お金を借りるのですから、その見返りに、大聖人様は法華経を一谷入道にお渡しいたしましょう、ということになったわけであります。その結果、その御婦人は、帰りの旅費を一谷入道から用立ててもらって鎌倉へ帰ることができたわけであります。
  そのとき、大聖人様は、最初は鎌倉の松葉ヶ谷の草庵に置いておいた法華経を取り寄せて、一谷入道に渡そうと考えておりました。ところが「法華経は、鎌倉の火事の時に焼いてしまってない」という報告を受けましたので、すぐに一谷入道に法華経を渡すという約束は果たすことができませんでした。
  大聖人様は、まる2年に及ぶ一谷での御生活を終えて、佐渡の流罪を御赦免になり、文永11年3月に佐渡を立って、一旦、鎌倉に帰られてから、同年の5月に身延の山に入られました。そこで、一谷入道に法華経を渡すという兼ねてからの約束を果たさなければならないとお思いになり、結局、法華経一部八巻二十八品に、無量義経と普賢経の開結二経を含めまして、十巻の写本を送ることになったわけでございます。その経緯をお書きになったのが、本日拝読の『一谷入道女房御書』の御文であります。

では御文に入りますと、
  「謗法の大水、法華経を信ずる小火をけさん事疑ひなかるべし。入道地獄に堕つるならば還って日蓮が失になるべし」。謗法の恐ろしさを大水に譬えていらっしゃいます。大変な力ですべてのものを押し流してしまう洪水の場合などを想像してみてください。それに対して、普通の人が法華経を信仰して、その信仰を持続していく力は、小さな火のように弱いものである。したがって、その信仰がすぐに消されてしまうことは疑いない。一谷入道が念仏宗の謗法に負けて、法華経を捨ててしまって、地獄に堕ちるならば、かえって日蓮の過失になるであろう、と仰せであります。このことは、どういうことをおっしゃっているかと申しますと、一谷入道は、大聖人様を不憫に思って、なにかと親切にしてくれるようにはなりましたが、依然として、阿弥陀仏に対する執着を断ち切ることはできていないということであります。

大聖人様の教えは、
「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」(御書1724n)
という四箇の格言でも明らかなように、南無阿弥陀仏と唱える念仏宗を信じていると、無間地獄に堕ちますよ。法華経にそう説かれていますよ、と諭されておられるのです。また禅宗は教外別伝・不立文字と称して、釈尊の説いた経典を蔑ろにする天魔の所為である。真言宗は架空の大日如来を立てて、護国の祈祷をするが、かえって国を亡ぼす悪法である。律宗は小乗の戒に固執して、金剛宝器戒を失う国賊である。このように破折をされているのであります。

 したがって、いま、阿弥陀仏に対する執着心を捨て切れないでいる一谷入道に対して、法華経を渡してしまえば、その親切が、かえって仇になるであろう。その責任は自分も被らなくてはいけないと、大聖人様は、そのように思い悩まれたわけでございます。

 「如何がせん如何がせんと思ひわづらひて今まで法華経を渡し奉らず」。どうしたらよかろうか、何かよい方法はないだろうかと、いままで思案を巡らせており、そのために、まだ法華経をお渡ししておりませんでした、ということでございます。
  「渡し進らせんが為にまうけまいらせて有りつる法華経をば、鎌倉の焼亡に取り失ひ参らせて候由申す」。兼ねて、一谷入道にお渡ししょうという積もりでおった法華経がありましたが、鎌倉の火事で焼失してしまったと、そういう知らせを受けました、ということでございます。恐らく、鎌倉で留守を預かっていたお弟子の弁公日昭から、そういう報告があったのでしょう。
  大聖人様が一谷に移られた年の文永9年の初めから、この御書が書かれた年の建治元年までの間に、鎌倉で火災があったという記録は『史料綜覧』を調べても見当たりません。ただ考えられることは、文永9年2月11日に、名越時章、教時が誅殺された、いわゆる「二月騒動」があった時に、鎌倉の大町にあったと思われる名越時章らの邸のすぐ近く、同じ大町の松葉ヶ谷という所に、大聖人様が住まわれていた草庵が、名越の尼との縁故によって建てられておりましたので、この騒動の時の戦火で、類焼したのではないか、それで、そこに置かれていた法華経も焼失してしまったのではないかとは推測されます。
  「旁入道の法華経の縁はなかりけり。約束申しける我が心も不思議なり」。差し上げようと思っていた法華経が焼失してしまったということは、それほど一谷入道には法華経に縁がなかったからでありましょう。また、お渡しする約束をした私の心も一旦、躊躇せざるを得なくなってしまったが、これも不思議なことである。このように大聖人様は仰せであります。
「又我とはすゝまざりしを、鎌倉の尼の還りの用途に歎きし故に、口入有りし事なげかし」。また、結局、法華経を借金のお礼としてお渡しをする約束をしてしまったということは、私としては、もともと気が進まなかったことである。しかし、鎌倉から来た尼が帰りの旅費に困っていたので、間を取り持って、一谷入道に口をきいて、用立ててもらうことになったのも、嘆かわしく、情けないことであると、このようにおっしゃっておられます。
  「本銭に利分を添へて返さんとすれば、又弟子が云はく、御約束違ひなんど申す。旁進退極まりて候へども、人の思はん様は誑惑の様なるべし」。尼の帰りの旅費としてお借りした元金に、相応の利子分を付けて返済したいと、大聖人様がおっしゃると、また、弟子が言うには、それでは、一谷入道に法華経を渡すと約束したことに反するなどと言う。それではどちらを選んだらよいのか、進むこともできず、退くこともできず、困ってしまう。その様子を見て、世間の人は道に外れた、人を惑わす行為だと思うであろう。
「力及ばずして法華経を一部十巻渡し奉る。入道よりもうばにてありし者は内々心よせなりしかば、是を持ち給へ」。そこで、仕方がなく、法華経を一部十巻書写して、あなたにお渡しする。しかし、一谷入道よりも、老女の貴女(一谷入道の妻)の方が法華経に内々、信心を寄せておられるから、この法華経をお持ちなさい。このように、大聖人様は仰せでございます。
大聖人様は、一旦は一谷入道に法華経を渡すことを約束されましたが、本人が念仏宗の信仰を捨てないのであれば、それは謗法になってしまう。だから法華経の信心を素直にするであろうと期待される一谷入道の奥さんに、法華経を渡されたのであります。奥さんの持っている法華経を見れば、御主人の一谷入道も発心をするのではなかろうかという、大聖人様は大慈悲のうえから、そのように処置されたのであります。大聖人様が一谷入道に対して法華経を渡すことを躊躇った理由は、唯一最上の法華経に対して、方便の阿弥陀経、観経、双観経という浄土三部経を依経とする浄土宗を、いまだに捨て切れないでいる人には、法華経を渡すわけにはいかないということであります。それは大聖人様の謗法厳誡ということを表していることでもございます。
  現在でも法華経は有り難い教えだと判っていても、残念ながら他の般若心経などと一緒くたにしたり、阿弥陀仏の仏像などを祀ったままでいる人がいます。
  このような信心の在り方に対して、日本の天台宗の開祖、伝教大師最澄という方は、
「法華経を賛むと雖も、還って法華の心を死す」(法華秀句下、仏説諸経校量勝、御書1652n等)
ということを言っておられます。
  法華経の『譬喩品第三』には、
  「但楽って、大乗経典を受持して、乃至、余経の一偈をも受けざれ」(法華経183n)
ということが説かれております。せっかく法華経を持ったとしても、他の教典を一緒に信じていたのでは、法華経を讃えたとしても、かえって法華経の真意を冒涜することになるというわけであります。
  そういう道理を、できるだけ他に向かってお話をするということを、大聖人様は、
  「力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし」(御書668n)
と、私たちに御指南あそばされているのでございます。
  この大聖人様の御指南を実践していくことこそ、大聖人様に対する真の御報恩謝徳になっていくのだということを、よくよく御理解いただきたいと思います。(平成20年7月13日 月例報恩御講において)

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