平成20年9月1日発行 高照山 第249号
一谷入道女房御書(八)
建治元年5月6日 54歳

 「日蓮が申す事は愚かなる者の申す事なれば用ひず。されども去ぬる文永十一年太歳甲戌十月に蒙古国より筑紫によせて有りしに、対馬の者かためて有りしに宗の総馬尉逃げければ、百姓等は男をば或は殺し、或は生け取りにし、女をば或は取り集めて手をとをして船に結ひ付け、或は生け取りにす。一人も助かる者なし。壱岐によせても又是くの如し。船おしよせて有りけるには、奉行入道豊前の前司は逃げて落ちぬ。松浦党は数百人打たれ、或は生け取りにせられしかば、寄せたりける浦々の百姓ども壱岐・対馬の如し。又今度は如何が有るらん。彼の国の百千万億の兵、日本国を引き回らして寄せて有るならば如何に成るべきぞ。此の手は先づ佐渡の島に付きて、地頭・守護をば須臾に打ち殺し、百姓等は北山へにげん程に、或は殺され、或は生け取られ、或は山にして死ぬべし。抑是程の事は如何として起こるべきぞと推すべし。前に申しつるが如く、此の国の者は一人もなく三逆罪の者なり。是は梵王・帝釈・日月・四天の、彼の蒙古国の大王の身に入らせ給ひて責め給ふなり。日蓮は愚かなれども、釈迦仏の御使ひ・法華経の行者なりとなのり候を、用ひざらんだにも不思議なるべし。其の失に依って国破れなんとす。況んや或は国々を追ひ、或は引っぱり、或は打擲し、或は流罪し、或は弟子を殺し、或は所領を取る。現の父母の使ひをかくせん人々よかるべしや。日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし。是を背かん事よ。念仏を申さん人々は無間地獄に堕ちん事決定なるべし。たのもしたのもし。
(御書830n)

(内海雄幸師の講義)
 早速、御文を拝してまいりますと、「日蓮が申す事は愚かなる者の申す事なれば用ひず」。当時の日本に広まっていた念仏の教えなどによって、その大きな影響を受けた民衆の心は、どんどん荒んでいって、ついには様々な難が必ず国中に起こってくるであろうということを、日蓮大聖人様は鎌倉幕府に対して諌言をされたわけでございます。それが『立正安国論』でございます。その大聖人様の諌言に対しまして、日蓮の申すことは愚かであるとして用いなかったというのが、幕府の対応であったわけでございます。
「されども去ぬる文永十一年太歳甲戌十月に蒙古国より筑紫によせて有りしに、対馬の者かためて有りしに宗の総馬尉逃げければ、百姓等は男をば或は殺し、或は生け取りにし、女をば或は取り集めて手をとをして船に結ひ付け、或は生け取りにす。一人も助かる者なし」。しかしながら、文永11年10月に、文永の役というものが起きてしまったわけでございます。蒙古の軍勢が西はヨーロッパの東部まで征服し、東は日本の北九州にまで攻め入ったわけであります。その時に、まず対馬では、兵士の総指揮をしていた宗助国(資国)が戦いに敗れて逃げ出し、百姓たちの男は殺されるか、生け捕りにされ、女は集められて、手に縄を通して、船に結び付けられ、生け捕りにされた。一人も助かる者はなかったということであります。
  「壱岐によせても又是くの如し。船おしよせて有りけるには、奉行入道豊前の前司は逃げて落ちぬ。松浦党は数百人打たれ、或は生け取りにせられしかば、寄せたりける浦々の百姓ども壱岐・対馬の如し。又今度は如何が有るらん。彼の国の百千万億の兵、日本国を引き回らして寄せて有るならば如何に成るべきぞ」。対馬の次に壱岐の島に攻めて来た時も同様である。蒙古の船が押し寄せて来た時には、奉行人の少弐入道覚恵(豊前の前司、武藤資能)は逃げ落ちてしまった。また壱岐の島を望む唐津付近(佐賀県北部)を防備していた松浦一族も数百人討たれ、あるいは生け捕りにされてしまったので、蒙古の大軍が押し寄せてきた海岸の百姓たちは壱岐・対馬と同様に悲惨な目にあった。また、さらに今度はどうであろうか。かの元(蒙古)の国の百千万億の大軍が日本国を取り囲んで押し寄せて来るならば、どうなるであろうか。今回の文永の役だけでは済まされない、ということを見通しておられるのであります。
  「此の手は先づ佐渡の島に付きて、地頭・守護をば須臾に打ち殺し、百姓等は北山へにげん程に、或は殺され、或は生け取られ、或は山にして死ぬべし」。そうなれば、蒙古の軍勢は先ず佐渡の島にも攻めて来て、地頭や守護は瞬く間に打ち殺され、百姓等は北の山へ逃げるであろうが、結局は、あるいは殺され、あるいは生け捕りにされて、あるいは山で死んでしまうであろう。
  「抑是程の事は如何として起こるべきぞと推すべし。前に申しつるが如く、此の国の者は一人もなく三逆罪の者なり。是は梵王・帝釈・日月・四天の、彼の蒙古国の大王の身に入らせ給ひて責め給ふなり」。そもそもこれほどの国難は、何が原因で起こっているのかと、思いを巡らすべきである。前にも申したように、この日本国の者は一人も漏れず皆、三逆罪を犯している。三逆罪とは、主・師・親の三徳に背く者である。このことを仏様は、日本国の人びとに気付かせようとお思いになって、梵天・帝釈・日天・月天・四天(持国天・広目天・毘沙門天・増長天)を動かして、かの蒙古国の皇帝の身体に入らせて、その三逆罪をお責めになっているのである。
  「日蓮は愚かなれども、釈迦仏の御使ひ・法華経の行者なりとなのり候を、用ひざらんだにも不思議なるべし。其の失に依って国破れなんとす。況んや或は国々を追ひ、或は引っぱり、或は打擲し、或は流罪し、或は弟子を殺し、或は所領を取る。現の父母の使ひをかくせん人々よかるべしや」。日蓮は愚かな人間である。けれども、釈迦仏の御使いであり、法華経の行者であると名乗っているのに、用いないのは不思議である。その失によって、国が滅びようとしている。まして住んでいる所を追放し、あるいは捕らえて引き回し、あるいは打ち殴り、あるいは島流しにし、あるいは弟子を殺し、あるいは檀那の所領を取り上げたりした。本当の父母のお使いに対して、現実に、このような酷い目に遭わせるとしたならば、その人たちは、果たして善いことがあるであろうか。いや、必ず悪い報いが現れることは必定であるということであります。
  「日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし。是を背かん事よ。念仏を申さん人々は無間地獄に堕ちん事決定なるべし。たのもしたのもし」。日蓮は日本国の人びとの父母であり、主君であり、物事の道理をはっきりと見極めた師匠である。これに背くことは罪の深いことである。念仏を信仰する人びとが無間地獄に堕ちることは疑いない。心強いことである。つまり、そういう堕地獄ということが起きることによって、謗法の人たちが、自分たちは間違った信仰をしていると、こんな恐ろしいことが起きるのだと、気付くことができるのであるから、これは逆に心強いことではないかと、大聖人様は、このようにおっしゃっているわけでございます。
この文永・弘安の役というものは、何をもたらしたかと申しますと、先ず蒙古国は莫大な戦費を使って、やがて衰退の道をたどり、1368年には明の建国に至りました。また一方我が国では、当時の御家人たちが幕府に対して御恩と奉公という関係があって、幕府から所領を安堵してもらう代わりに、御家人が命がけで働くということでありました。ところが蒙古国との戦いにおいては、充分な恩賞に与ることはできず、御家人たちの不満が募り、鎌倉幕府が滅亡する遠因の一つとなったのであります。
  また大聖人様は、『金光明経』を引かれまして「両の日並び現じ」(御書235n)ということをおっしゃっておられます。「両の日」というのは二つの太陽ということでありまして、二人の国主が出現するという不吉な内乱の予証とされています。大聖人様が弘安5年(1282)に御入滅の後、南北朝時代(1336〜1392)になりますと、北朝の光明天皇と南朝の後醍醐天皇というように、二人の天皇が同時に並び立つようになったこともあったのであります。
  さらに大聖人様は『薬師経』を証文として「他国侵逼の難、自界叛逆の難」(同236n)も起きるであろうということをおっしゃっております。
  「他国侵逼の難」は、この御書にも述べられておりますように、文永の役・弘安の役として、蒙古の来寇によって現実に起こりました。
  また「自界叛逆の難」は、国内で同士討ちが起こるということであります。これは実際に、大聖人様の佐渡御流罪中の文永9年(1272)2月に起こりました。すなわち、京都の六波羅探題南方で、執権北条時宗の腹違いの兄の北条時輔が、時宗に代わり執権の座に就こうとして謀反を起こし、鎌倉の名越教時等が、これに呼応して蜂起しようとして誅殺されたという、いわゆる「二月騒動」という合戦が起こっております。
  大聖人様は『三三蔵祈雨事』に、
  「日蓮仏法をこヽろみるに、道理と証文とにはすぎ ず。又道理証文よりも現証にはすぎず」(御書874n)
と仰せられておりますように、何事にも道理と証文と現証の三つの証拠が揃って、はじめてそのことが確かめられ、信用されるわけであります。取り分け、仏法においては三証ということが大事であります。その三証のなかでも、現実に現れるところの現証というものを特に重んずるわけであります。
  大聖人様が『立正安国論』において、お経文という証文を基にされて予言されたところの「他国侵逼の難」も「自界叛逆の難」も、ともに、大聖人様の御在世中に、現実にその難が起こっております。これらの何よりの現証によって、その御教示が絶対に正しいということが証明されているわけでございます。
  私たちの信仰においても、先ず正しい教えを自分のなかに打ち立てることが肝要であります。これが「立正」ということであります。そうして、次には周りの人をも救っていくという順序になります。これが、言わば「安国」ということであります。大聖人様の教えは、決して自分自身の幸せだけを説いているのではありません。一切の人びとの幸福をも共々に実現していくということであります。それを顕現していくための鍵は何かと言えば、折伏以外にはありません。
  皆様方には、このことを改めて心に銘記していただきまして、暑いなかではございますが、どうぞ本年の後半を精進していっていただきたいということを申し上げ、御挨拶に代えさせていただきます。本日はお暑いなかの御参詣、まことに御苦労様でございました。(平成20年8月10日 月例報恩御講において)

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