平成20年10月1日発行 高照山 第250号
一谷入道女房御書(九)
建治元年5月6日 54歳

 「抑蒙古国より責めん時は如何がせさせ給ふべき。此の法華経をいたヾき、頚にかけさせ給ひて北山へ登らせ給ふとも、年比念仏者を養ひ念仏を申して、釈迦仏・法華経の御敵とならせ給ひて有りし事は久しゝ。又若し命ともなるならば法華経ばし恨みさせ給ふなよ。又閻魔王宮にしては何とか仰せあるべき。をこがましき事とはおぼすとも、其の時は日蓮が檀那なりとこそ仰せあらんずらめ。又是はさてをきぬ。此の法華経をば学乗房に常に開かさせ給ふべし。人如何に云ふとも、念仏者・真言師・持斎なんどにばし開かさせ給ふべからず。又日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持たざらん者をば御用ひあるべからず。恐々謹言。
   五月八日  日 蓮 花 押  一谷入道女房」
(御書830n)

(内海雄幸師の講義)
 皆様、こんにちは。本日は『一谷入道女房御書』の第9回目、すなわち一番最後の部分でございます。
  この一谷入道の女房に与えられた御書の日付を見ていただきますと、「(建治元年)五月八日」となっております。
  この建治年間というのは、日本においては非常に微妙な時期でございまして、まず建治の前の年号は文永でございますが、その文永11年(1274)に「文永の役」と申しまして、蒙古の2万5千の軍隊が壱岐・対馬・北九州を襲ったわけでございます。
  そして、建治の次の年号は弘安と申しまして、その弘安4年には「弘安の役」と申しまして、今度は14万の大軍が同じ所を襲来したのでございます。そういうような時期であったわけであります。
  建治年間は3年間しかないわけで、この3年間には蒙古は襲来しなかったわけでございますけれども、第1次の文永の役においては、たまたま台風が来て蒙古の軍船が沈んだから良かったのでありますけれども、戦況としては日本軍は大敗をしたわけであります。それに懲りて、北九州の海岸に防塁を築き、臨戦態勢を敷いて緊張していた時期でもあったわけであります。
  そういうことを踏まえまして、御文に入りますと、
「抑蒙古国より責めん時は如何がせさせ給ふべき」。そもそも蒙古国から攻められる時には、どうなさるお積もりですか。
  日本海に浮かぶ佐渡島に住んでいた一谷入道一家は、何時、蒙古の襲来を受けるかも知れない。だから、そうなった時には、どうなさる積もりですか、と大聖人様はおっしゃっておられるわけでございます。
「此の法華経をいたヾき、頚にかけさせ給ひて北山へ登らせ給ふとも、年比念仏者を養ひ念仏を申して、釈迦仏・法華経の御敵とならせ給ひて有りし事は久しゝ」。たとえ、この法華経を戴き、頚にお掛けなさって、北山へお登りになろうとも、長年、念仏者を養い、自らも念仏をお唱えになり、釈尊や法華経の御敵になっていた期間はとても長いのですよ。
  あなたが、この法華経を頚に懸けて、佐渡の裏山に逃げて行ったとしても、今まで長い間、念仏を信仰してきて、その間に積んだ謗法の罪は深いのですよと、積年の謗法の罪を指摘なさっておられます。
「又若し命ともなるならば法華経ばし恨みさせ給ふなよ」。又もしもあなたがお亡くなりになるような事があっても、法華経を恨んではなりません。
  また、今後も念仏を止めずに、法華経と二股を掛けるような信心をしていたのでは、決して本当の御利益を頂くことはできません。もし、あなたが蒙古に捕らえられて、命を落とすようなことがあったとしても、決して法華経を恨んではなりませんよと、このように大聖人様は警告なさっているわわけでございます。
「又閻魔王宮にしては何とか仰せあるべき」。もしそのような事になったら閻魔王宮においてなんと申し上げるのですか。
  また不幸にも、あなたが死後の世界で閻魔大王の前に引き据えられて、裁きを受けるようなことになった時には、どう申し開きをするのですか。
「をこがましき事とはおぼすとも、其の時は日蓮が檀那なりとこそ仰せあらんずらめ」。おこがましい事とは思いますが、その時には日蓮の弟子檀那であると、そのようにおっしゃるでありましょう。
  その時には、おこがましくも、「日蓮の檀那です」と、さぞかし、そのようにおっしゃるお積もりでありましょうと、推量なさっておられます。
「又是はさてをきぬ。此の法華経をば学乗房に常に開かさせ給ふべし」。又それはさて置きましょう。この法華経を学乗房に常に開かせなさい。
  また、そのことはさて置きまして、このたび授与いたしました法華経については、常々、一谷入道の親族で大聖人様のお弟子となられたところの学乗房に開かせなさい、ということを念を押されております。
「人如何に云ふとも、念仏者・真言師・持斎なんどにばし開かさせ給ふべからず」。人々が何と言おうとも、念仏者、真言師、持斉等には、法華経を開かせてはなりません。
  世間の人たちが何と言おうとも、念仏宗や真言宗や戒律を守っている僧侶などに開かせてはなりません、と謗法者の手に触れることを厳しく禁じておられます。
  「又日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持たざらん者をば御用ひあるべからず。恐々謹言。
   五月八日         日  蓮 花 押
一谷入道女房 」。
  また、たとえ日蓮の弟子であると名乗る者であっても、日蓮の判を持たない者には、法華経を開かせてはなりません。謹んで申し上げます。
  また「日蓮の弟子である」と名乗る者がいたとしても、「日蓮が判」すなわち、大聖人様直々のお墨付き、そのお許しを頂いていない者を信用してはいけません、ということをおっしゃっておられます。ここの最後の御文は、特に一番重要な御文であります。
世間においては、禅宗などの他宗のお葬式に行きますと、法華経を依経とする宗旨でもないのに、法華経寿量品の自我偈を読誦していることがよくあります。彼等も、法華経が即身成仏を説いている尊い教えであるということは承知しております。しかし、正しく信奉しているわけではありません。したがって、そういう他宗の謗法者の手に、今回、大聖人様から一谷入道女房に授与された法華経を、開かせてはならないとおっしゃっておられるわけでございます。
このことは、「日蓮が判」、言葉を換えて言えば、大聖人様から唯綬一人の御相承をお受けになるという「血脈相承」ということが、いかに大事かということであります。 
私たちが、法華経の肝心の法体、南無妙法蓮華経の御本尊様を、我が家に御安置するということについても、大聖人様の御印可、すなわち、血脈相承をお受けになられた御法主上人猊下から御承認を頂いて、御下付されなければならないということでございます。  ここに、現在、創価学会で行われているニセ本尊が如何に筋道を逸脱した謗法行為であるかという御文証を拝することができるわけでございます。
  この御書において、「日蓮が判」というお言葉を拝して、皆様方には、血脈相承の大事ということを深く知っていただきたいと思うものでございます。
  今回をもって『一谷入道女房御書』の講義は最後でございますが、この御書を拝読するうえで、全体を通しての大事なポンイトを4つ挙げたいと思います。
1つ目は、難を恐れない不自惜身命の信仰が大切であるということが述べられております。
  大聖人様の教えのありがたさに歓喜し、真剣な唱題をもって御本尊様を信ずるときには、人間が抱える四苦八苦などの大きな苦悩を生死即涅槃、煩悩即菩提に変えていくことができます。そうして忍ぶべきことは忍び、行うべきことは行う。そういう不自惜身命の信心を貫けば、いかなる困難も克服することができるということであります。
   2つ目は、大聖人様の南無妙法蓮華経の教え(三大秘法)に背き、余事余行を交えることは謗法であることをお示しであります。
  大聖人様は、あらゆる教法について、内外相対・大小相対・権実相対・本迹相対・種脱相対の五重の相対や、教・機・時・国・教法流布の前後という五綱をもって取捨分別されております。今末法においては、最高唯一の正法、法華経本門寿量品文底の南無妙法蓮華経を信じなければいけないということであります。
  3つ目は、謗法の罪を犯す者にはその報いとして必ず現証が顕れる。この罪業を消滅するためには、自行化他に亘る妙法の信心に励げまねばならないということであります。
  世間の謗法者をも正法によって救うという折伏の慈悲行が、実は自他共に救済するということになるのであります。
  4つ目は、日蓮大聖人様は末法における主師親の三徳を兼備した御本仏であることを述べられております。
  この『一谷入道女房御書』において、
  「日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし。是を背かん事よ」(御書830n)
とおっしゃっておられます。
  大聖人様は、まさに主師親の三徳を兼ね具えた末法の御本仏ということを明らかにされているわけでございます。
  大聖人様は、鎌倉時代に御出現になり、あらゆる困難を克服されました。そうして、そのことを大聖人様は御自身の生涯を通して実証され、私たちに示してくださっております。私たちは、この大聖人様のお振る舞いをお手本として、折伏行に精励していくことが、いかなる苦難をも乗り越えていく道であり、大聖人様の尊い御一生がそれを表しているということを、どうぞ知っていただきたいと思うものでございます。
  以上の4つのポイントを心に置いて、この御書を拝読していただきたいと思います。
  現在まだ邪宗邪義に執着して、日蓮正宗の正しい信仰に付けないで、成仏できない人たちが大勢おります。これらの人びとを救うために、地道に折伏を実践していく活動こそが、明年の『立正安国論』正義顕揚七百五十年を迎える尊い意義でもございます。どうか、もう一度、実践項目を確認し、体勢を整えて、自行化他の大きな目標に向かって精進をしていただきたい。そうして充実した信心をもって、共々に来年の佳節をお迎え申し上げたいということを申し上げまして、本日の講話に代えさせていただきます。本日はお暑いなかの御参詣、まことに御苦労様でした。
(平成20年9月14日 月例報恩御講において)

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