平成20年11月1日発行 高照山 第250号
妙一尼御前御消息
建治元年5月 54歳

 「夫天に月なく日なくば草本いかでか生ずべき。人に父母あり、一人もかけば子息等そだちがたし。其の上過去の聖霊は或は病子あり、或は女子あり。とゞめをく母もかいがいしからず。たれにいゐあづけてか冥途にをもむき給ひけん。
  大覚世尊、御涅槃の時なげいてのたまわく、我涅槃すベし、但心にかかる事は阿闍世王のみ。迦葉童子菩薩、仏に申さく、仏は平等の慈悲なり。一切衆生のためにいのちを惜しみ給ふベし。いかにかきわけて、阿闍世王一人とをほせあるやらんと問ひまいらせしかば、其の御返事に云はく「譬へば一人にして而も七子有り、是の七子の中に一子病に遇へり、父母の心平等ならざるに非ず、然れども病子に於て心則ち偏に多きが如し」等云云。天台、摩訶止観に此の経文を釈して云はく「譬如七子、父母非不平等、然於病者、心則偏重」等云云とこそ仏は答へさせ給ひしか。文の心は、人にはあまたの子あれども、父母の心は病する子にありとなり。仏の御ためには一切衆生は皆子なり。其の中罪ふかくして世間の父母をころし、仏経のかたきとなる者は病子のごとし。」

(御書831n)

(通釈)
 今月から『妙一尼御前御消息』を拝読いたします。この御書は、日蓮大聖人様の御真蹟(全六紙)が中山法華寺に現存しております。このお手紙を頂いた妙一尼という方は、六老僧の日昭の姉で、日朗の母(別頭統紀巻第二十五)という説もありますが、確証はありません。「妙一尼御前」という宛名書きの『さじき殿御返事』には「滝王丸之を遣使さる○弁殿は鎌倉に住して衆生を教化せよ」(御書663n)とあり、妙一尼が佐渡の大聖人様の許へ、滝王丸という下人を派遣されたこと、また弁殿への伝言が見えます。また『弁殿御消息』には「たきわうをば、いえふくべきよし候ひけるとて、まかるべきよし申し候へば、つかわし候」(御書997n)とあり、身延の大聖人様の許で仕えていた滝王丸を、弁殿すなわち鎌倉の弁公日昭の所へ、屋根葺きのため遣わしたということです。したがって、妙一尼は、日昭や中山法華経寺を開いた富木常忍とも、何らかのつながりがあったと考えられます。
  また、本日拝読の『妙一尼御前御消息』によりますと、妙一尼の夫はすでに亡くなっており、病弱な子や女の子や、年老いた妙一尼自身が残されていたようであります。
  では御文に入りますと、
  「夫天に月なく日なくば草本いかでか生ずべき。人に父母あり、一人もかけば子息等そだちがたし。其の上過去の聖霊は或は病子あり、或は女子あり。とゞめをく母もかいがいしからず。たれにいゐあづけてか冥途にをもむき給ひけん」。そもそも天に月がなければ、草木はどうして生える事ができるだろうか。人には父母がいる。その内の一人でも欠けたならば、子供が育つ事は難しい。そのうえ、過去の聖霊には病の子がおり、また女の子がいた。現世の留め置く母も頼もしいわけではない。どうして誰かに言い預けて冥土に赴く事ができただろうか。
  「大覚世尊、御涅槃の時なげいてのたまわく、我涅槃すベし、但心にかかる事は阿闍世王のみ。迦葉童子菩薩、仏に申さく、仏は平等の慈悲なり。一切衆生のためにいのちを惜しみ給ふベし。いかにかきわけて、阿闍世王一人とをほせあるやらんと問ひまいらせしかば、其の御返事に云はく『譬へば一人にして而も七子有り、是の七子の中に一子病に遇へり、父母の心平等ならざるに非ず、然れども病子に於て心則ち偏に多きが如し』等云云」。大覚世尊は、御涅槃の時に嘆いておっしゃるには「私は涅槃を迎えるだろう。ただ心残りなのは阿闍世王だけである」と。すると迦葉童子菩薩が、仏に申し上げた。「仏は平等の慈悲です。一切衆生のために命を惜しみなさるべきです。どうして私たちを払いのけて阿闍世王一人と仰せになるのですか」と問い申し上げたところ、その御返事として言われるのには「例えば一人の人に七人の子供がいたとしよう。この七人の子供の中に一人の子供が病に遇ったとしたら、父母の心は平等でないはずがない。しかし、病の子供に対しては、心をより多く傾けるようなものだ」等と仏はお答えになられた。
 涅槃経の『梵行品』(北本巻第二十、南本巻第十八)に依りますと、マカダ国の阿闍世王は釈尊が間もなく永久に涅槃に入ると聞いて、悶えて気絶し、足がなえてしまった。そこで、釈尊は阿闍世王の身を案じて、この王のために無量劫に至っても涅槃に入らないと言われた。そこで迦葉菩薩が、なぜ阿闍世王独りのために涅槃に入らないのですかと申し上げた。そこで釈尊は、阿闍世王は五逆罪を犯し、菩提心をまだ生じていない可哀想な者だから助けてやりたいのだと、月愛三昧に入り、大光明を放って、王の身を照らし、身の瘡を癒された。そこで王は耆婆に言った。かの天中の天は何の因縁があって、このような光を放ったのか。耆婆は、この瑞相は大王のためです。どんな世間の良医でも治すことのできない身心の病を治すため、まず王の身を治し、その後に心に及ぶのです。王は、耆婆に釈尊にはその思いが見られるかと問うた。耆婆は譬えば、七人の子のうちの一人が病に遇えば、父母の心は不平等ではないけれども病気の子に心が偏に多く傾く。大王よ。如来もまたその通りである。もろもろの衆生に不平等ではないけれども、しかし罪のある者に対しては心が偏に重のである、と答えたとあります。
 「天台、摩訶止観に此の経文を釈して云はく『譬如七子、父母非不平等、然於病者、心則偏重』等云云とこそ仏は答へさせ給ひしか」。天台大師が、この涅槃経のお経文を『摩訶止観』において解釈しているように「譬へば七子あり、父母平等ならざるに非ざれども然も病者に於て心則ち偏に重きが如し」とお答えになったのであろうか。
 ここに「天台大師『摩訶止観』に此の経文を釈して云はく」となっていますが、天台大師の『摩訶止観』には、この文はなく、『観心本尊抄』(御書660n)や『法華取要抄』(同735n)や『曾谷入道殿許御書』(同783n)に「涅槃経に云はく」とあるように涅槃経の取意と拝すべきでしょう。天台大師の『法華玄義』(巻第第六上)には「如有七子、然於病者心則偏重」とあり、妙楽の『玄義釈籤』(巻第十二)には「大経十八釈月愛中云。譬如有人而有七子。是七子中一子遇病。父母之心非不平等。然於病子心則偏重」とあり、章安の『涅槃経疏』(巻第十九)には「子之中起逆過者心則偏重」とあり、いずれもお経文に「偏多」とあるのを「偏重」と意釈しております。
  「文の心は、人にはあまたの子あれども、父母の心は病する子にありとなり。仏の御ためには一切衆生は皆子なり。其の中罪ふかくして世間の父母をころし、仏経のかたきとなる者は病子のごとし」。この文の心は、人にはたくさんの子供がいるけれども、父母の心は病気の子供にあるということです。仏にとっては一切衆生は皆子供です。その中において、罪が深く、世間の父母を殺し、仏教の敵となる者は病気の子供のようなものなのです。
 「仏にとっては一切衆生は皆子供」とは、法華経の
『譬喩品第三』に、
  「今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生 悉く是れ吾が子なり」(法華経168n)とございます。
  また『寿量品第十六』の末文には、
  「毎に自ら是の念を作さく 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと」(法華経443n)とございますし、『法師品第十』には、 
「我が滅度の後、能く竊に一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使なり。如来の所遣として、如来の事を行ずるなり」(法華経320n)とございます。私たちも、仏様のお心、お振る舞いを見習って、常に世間の人びとを本当に救っていくには、どうしたらいいのか、それは折伏を行ずる以外にありません。自分自身も成仏し、他の人びとも皆、成仏させる。それが広宣流布です。そうして真の仏国土を実現させることであります。
  人生には必ず生老病死の四苦が付いてまいります。その辛さを克服してこそ、はじめて本当の安楽な境地が築かれることを知っていただきたいと思います。
明年の立正安国論正義顕揚七百五十年の佳節には、皆様と共々に喜び勇んで、総本山に参詣いたしたいということを申し上げまして、本日の講話に代えさせていただく次第でございます。御苦労様でした。
(平成20年10月12日 月例報恩御講において)

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