平成20年12月1日発行 高照山 第252号
新 池 御 書

 「雪山の寒苦鳥は寒苦にせめられて、夜明けなば栖つくらんと鳴くといへども、日出でぬれば朝日のあたたかなるに眠り忘れて、又栖をつくらずして一生虚しく鳴くことをう」
(御書1457n)

(通釈)
 しかしながら、阿闍世王は摩竭提国の国主である。私の大檀那であった頻婆舎羅王を殺害し、私の敵となったので、天も阿闍世王を捨て、日月には異変が起き、大地も阿闍世王を頂くまいと地震を起こし、万民は皆仏法に背き、他国は摩竭提国を攻めた。此等は悪人である提婆達多を師匠とした事が原因である。結局は今日から悪瘡が身に出て、三月七日には無間地獄に堕ちてしまうだろう。これが悲しいので、私は涅槃する事が心に懸かるというのである。私が阿闍世王を救うならば、一切の罪人は阿闍世王のようだとお嘆きになられた。

(解説)
 皆さん、こんにちは。11月度の日蓮大聖人様の御報恩御講に当たりまして、ただ今は皆様方と共に読経唱題を申し上げ、謹んで仏祖三宝尊に対し奉り、厚く御報恩謝徳申し上げた次第でございます。
  本日の御書講といたしまして『妙一尼御前御消息』の2番目を挙げさせていただきました。この妙一尼という方は、鎌倉時代における大聖人様の御信徒のお一人でありますけれども、本日拝読の前の御文を拝しますと、「過去の聖霊は或いは病子あり、或は女子もあり、とどめをく母(妙一尼)もかいがいしからず。たれにいゐあづけてか冥途にをもむき給ひけん」とありますから、どうも母である妙一尼にとって、男の子である息子さんは病弱であったようであります。そういったことから、すでに亡くなられた過去の聖霊、すなわち妙一尼の夫は、さぞ心残りであったでしょうと、大聖人様は同情なされております。
  そうして、お釈迦様がお亡くなりになる時に、悪瘡に冒され地獄に堕ちてしまうかも知れない阿闍世王一人が気がかりだと、おっしゃったことを取り上げまして、父母という者は病気の子に対しては特に心を寄せ不憫に思うものだということを仰せられております。
  本日拝読の御文の後に出てまいりますが、「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる」とございますように、様々な困難も、それはあたかも冬の寒さのようなものであるが、しかし、冬の寒さが、やがては春の暖かさを迎えるのと同じように、いかなる困難も、必ず法華経、すなわち大聖人様の仏法の功徳によって、克服することができるでしょうと、このように励まされていらっしゃるのであります。
  今日は、阿闍世王について述べられているところの後半の部分を拝読してまいりたいと思います。
  それでは早速、御文に入りますと、
  「しかるに阿闍世王は摩竭提国の主なり。我が大檀那たりし頻婆舎羅王をころし、我がてきとなりしかば、天もすてゝ日月に変いで、地も頂かじとふるひ、万民みな仏法にそむき、他国より摩竭提国をせむ。此等は偏に悪人提婆達多を師とせるゆへなり」。インドのお釈迦様の御在世当時、摩竭提国の国王であった阿闍世王は、自分の実の父で、お釈迦様の大信者でもあった頻婆舎羅王を殺害して、自ら国王の位に就き、お釈迦様の敵となったわけであります。そのために太陽や月などの天体の運行にも異変が起こり、大地は震動し、万民も皆仏法に背いて、他国から摩竭提国は侵攻されるに至ってしまった。これらは、皆、悪人の提婆達多を師匠として、その唆しに乗って行動したためであるというわけであります。
「結句は今日より悪瘡身に出でて、三月の七日無間地獄に堕つべし。これがかなしければ、我涅槃せんこと心にかゝるというなり。我阿闍世王をすくひなば、一切の罪人阿闍世王のごとしとなげかせ給ひき」。結局、阿闍世王は、罪のない父王を殺害したことによって心に悔いの熱を生じ、全身に近づくことのできないほどの悪臭を放つ瘡ができた。そうして、涅槃直前のお釈迦様は「阿闍世王は、もし耆婆大臣の言葉に随って悔い改めなければ、来月(三月)七日に必ず命を終わって阿鼻獄に堕ちるであろう」と申され、また「阿闍世王のことが気がかりで、涅槃に入るわけにはいかない」。「阿闍世王を救えば、普く一切の五逆罪を造った者に及ぶ。また一切の有為の衆生(生滅変化する凡夫たち)をも救うことになる」とおっしゃったということであります(本涅槃経巻第二十、南本巻第十七)。
  この御文の前段階におきまして、お釈迦様は「ただ阿闍世王独りが気がかりだ」とおっしゃった。ところが他のお弟子さんたちは、「阿闍世王の他にもいろいろと大変な宿業を背負った人がいっぱいいるでしょう。そういう人たちは気がかりではないのですか」と、当然そういうことを訊いたわけです。ところがお釈迦様は「阿闍世王は五逆という罪業を持った人なのだ」ということを改めてお話になられたわけであります。そのときには、阿闍世王は、提婆達多の誑かしから目が覚めまして、お釈迦様の教導に随って、正しい仏法を学び信仰しようとしていたのですけれども、それでも余りにも罪業が重いうえに、提婆達多に荷担した罪によって、全身に悪瘡が出てしまったのです。
  お釈迦様は「二月十五日涅槃に臨む時」(涅槃経巻第一)とありますから、二月十五日が命日とされております。この時、阿闍世王は摩竭提国の王位に登ってから8年目だったということであります(善見律毘婆沙巻第二)。そうして、お釈迦様が阿闍世王のために月愛三昧に入り、大光明を放ったお陰で、その悪瘡を治すことができたのであります。その後、摩訶迦葉が、お釈迦様入滅の後を承けて正法を住持し、結集すること20年に至り、鶏足山で寂滅に入りましたが(大唐西域記巻第九)、その時、阿闍世王は阿難と共に鶏足山に向かい、大声を発し、身を地に投じて、泣き悲しんだということであります(付法蔵因縁伝巻第一)。
  摩竭提国の頻婆舎羅王と韋提希夫人の間には、年老いても子が生まれなかったのですが、ある時、頻婆舎羅王は徳の高い仙人に出会い、その仙人が死んだ後、頻婆舎羅王の子として生まれ変わるということを聞いて、その仙人の死を待ちきれず、殺してしまった。そのために、今度は我が子の阿闍世太子に殺されるだろうと占い師に言われたので、太子を高楼から地に棄てたが、一つの指を折っただけであったので、阿闍世太子の別名を「婆羅留枝(折指)太子」と号されたということであります。またもう一つの別名を、怨恨を持って生まれてきているわけですから、外の人たちからは「未生怨」という名で呼ばれ、内の人たちは、太子を護る意から「善見」と謂っていたということです。
  そうして、韋提希夫人にしてみれば、わが子の阿闍世太子が、提婆達多に唆されて、自分の夫である頻婆舎羅王を七重の室内に幽閉してしまうという事態になってしまいました。提婆達多は、お釈迦様の替わりとして、新仏となる。阿闍世太子は、父親の頻婆舎羅王に替わって新王となりなさい、ということで結託したわけであります。阿闍世太子は、幽閉した父王に全く食事を与えなかった。そこで韋提希夫人は、自分の体を清めて酥蜜にゥを和えて塗り、これを頻婆舎羅王に密かに食べさせた。それを知った阿闍世太子は、お母さんの韋提希夫人をも幽閉してしまい、ついに頻婆舎羅王も殺されてしまったわけであります。
  そんなわけで憂いに憔悴した韋提希夫人は、お釈迦様に救いを求めたところ、お釈迦様は、この娑婆世界を離れて、西方十万億土の極楽世界という所に、阿弥陀如来という仏様がいるから、そこへ往生することを願いなさいと言って説かれたのが『観無量寿経』『大無量寿経』『阿弥陀経』の浄土三部経であります。
したがって、念仏の教えは、阿闍世太子の悪逆によって憔悴し切って、この娑婆世界に絶望していた韋提希夫人を一時的に慰めるために、お釈迦様が、仮に設けられた浄土の教説であります。さきにも申しましたように、阿闍世太子が頻婆舎羅王に替わって王位に登ったのはお釈迦様入滅の8年前ですから、『観無量寿仏経』等の説かれた時は、まだ阿闍世は太子であり、釈尊が最後8年間に説かれた法華経のお説法が始まる以前であり、「四十余年。未顕真実」(無量義経説法品第二 法華経23n)の方便の教えであります。
  『妙法蓮華経序品第一』には、
  「韋提希の子・阿闍世王、若干百千の眷属と倶なりき。各、仏足を礼し、退いて一面に坐しぬ」(法華経58n)
とあり、阿闍世は韋提希夫人の子として、また晴れて国王として、法華経の会座に列なっているのであります。
日蓮大聖人様は、
  「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二 人三人百人と次第に唱へつたふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義に非ずや。剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」( 御書666n)
と仰せであります。大聖人様は末法の御本仏として「立正安国」の方途を身をもって、私たちに先駆けて実践をなさっていらっしゃったわけであります。
  また、
「わたうども二陣三陣つヾきて、迦葉・阿難にも勝れ、天台・伝教にもこへよかし」(御書1057n)と激励してくださっているのです。
  私たちは、自らも、登山をはじめ今明年の意義ある信心の行事に進んで参加し、さらに他の人たちにも勧めて参加させて、共々に大きな功徳を得て、それぞれの宿業を克服し、立正安国を実践・宣揚して、時に叶った信心をしていただきたいということを申し上げまして、本日の講話に代えさせていだきます。本日はお寒い中の御参詣、まことに御苦労様でございました。
(平成20年11月9日 月例報恩御講において)

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