平成21年2月1日発行 高照山 第254号
建治元年5月 54歳
妙一尼御前御消息(四)

 「これは凡夫の心なり。法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかずみず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を。経文には『若有聞法者無一不成仏』ととかれて候。故聖霊は法華経に命をすてゝをはしき。わづかの身命をさゝえしところを、法華経のゆへにめされしは命をすつるにあらずや。彼の雪山童子の半偈のために身をすて、薬王菩薩の臂をやき給ひしは、彼は聖人なり、火に水を入るゝがごとし。此は凡夫なり、紙を火に入るゝがごとし。此をもって案ずるに、聖霊は此の功徳あり。大月輪の中か、大日輪の中か、天鏡をもって妻子の身を浮かべて、十二時に御らんあるらん。設ひ妻子は凡夫なれば此をみずきかず。譬へば耳しゐたる者の雷の声をきかず、目つぶれたる者の日輪を見ざるがごとし。御疑ひあるべからず。定んで御まぼりとならせ給ふらん。其の上さこそ御わたりあるらめ。力あらばとひまいらせんとをもうところに、衣を一つ給ふでう存外の次第なり。法華経はいみじき御経にてをはすれば、もし今生にいきある身ともなり候ひなば、尼ごぜんの生きてもをわしませ。もしは草のかげにても御らんあれ。をさなききんだち等をば、かへりみたてまつるべし。さどの国と申し、これと申し、下人一人つけられて候は、いつの世にかわすれ候べき。此の恩はかへりてつかへたてまつり候べし。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。恐々謹言。
   五月 日   日蓮花押 妙一尼御前」(御書832n)」


(解釈)
 早速御文に入ってまいりますと、「これは凡夫の心なり」というのは、日蓮大聖人様が『立正安国論』において、『金光明経』や『薬師経』や『仁王経』や『大集経』のお経文に基づきまして、正法を信仰しなければ、「他国侵逼の難」「自界叛逆の難」等が起こるであろうということを予言なさいました。したがって、その予言の通り、大蒙古国が攻めて来たら、妙一尼の亡くなられた御主人は、さぞかし、お喜びになるであろうと、そう思うのは凡夫の心であると仰せであります。
  「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかずみず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を」。この御文は、今までに皆様方も多分、何度も聞いたことがある有名な御文であります。妙一尼に対する激励の御文であるだけではなく、皆様方お一人おひとりが本当に厳しい状況に置かれているときに、「冬は必ずはるとなるのだ」という決意を持って、いろんな困難に当たっていくことが大事でございます。
  「経文には『若有聞法者無一不成仏』ととかれて候。故聖霊は法華経に命をすてゝをはしき。わづかの身命をさゝえしところを、法華経のゆへにめされしは命をすつるにあらずや」。法華経の『方便品第二』には「若し法を聞くこと有らん者は 一りとして成仏せずということ無けん」(法華経118n)と説かれております。そもそも仏教というものは、一人ひとりが成仏するために説かれた教えであります。また、国土世間全体が広宣流布によって成仏するために、日蓮大聖人様が末法に御出現なされて、三大秘法を建立あそばされたわけでございます。したがって、そこには、必ず成仏という功徳の実証が現れるのであります。ただし、ちゃんと信心をしていないと成仏はできません。日蓮正宗は折伏の宗旨であります。自分自身だけ信心していれば良いというのではありません。自分の身の回りの人にも、大聖人様の正しい仏法をお勧めしていくということが大切であります。
  亡くなられた妙一尼の夫は、法華経のために身命を惜しまず信心をしておられた。その法華経の信心をしていたために、「一所懸命」と言わるほど、命懸けで守っていたところの所領を取り上げられてしまった。これは法華経のために命を捨てたことになるのではないか、と仰せであります。
「彼の雪山童子の半偈のために身をすて、薬王菩薩の臂をやき給ひしは、彼は聖人なり、火に水を入るゝがごとし。此は凡夫なり、紙を火に入るゝがごとし」。お釈迦様が前世において、雪山童子であった時に、羅刹(鬼神)の唱えた「諸行無常、是生滅法」という半偈を聞いて、後の半偈の「生滅滅已 寂滅為楽」を得るために、自らの身命を鬼神に捧げたという故事があります(北本涅槃経巻第十四)。また薬王菩薩は、前世において一切衆生憙見菩薩と名乗っていた時、日月浄明徳仏の舎利に供養するために、七万二千歳の間、自らの臂を燃やしたということであります(薬王菩薩本事品第二十三、法華経530n)。これらの方々は聖人であるから、火に水を入れたように、それほどの難事ではなかった。しかし、妙一尼の夫は凡夫であるから、火に紙を入れたように、命が尽きてしまったということであります。
  「此をもって案ずるに、聖霊は此の功徳あり。大月輪の中か、大日輪の中か、天鏡をもって妻子の身を浮かべて、十二時に御らんあるらん。設ひ妻子は凡夫なれば此をみずきかず」。このことをもって思うに、亡くなられた妙一尼の夫には、法華経に命を捧げた功徳があるのであるから、大月輪の中か大日輪の中に生まれて、天眼をもって妻子の身を一日中、御覧になっているでしょう。しかし、妻子は凡夫であるから、このことを見ることも聞くこともできないのである、と仰せであります。
  「譬へば耳しゐたる者の雷の声をきかず、目つぶれたる者の日輪を見ざるがごとし。御疑ひあるべからず。定んで御まぼりとならせ給ふらん。其の上さこそ御わたりあるらめ」。たとえば、つんぼの人が雷の音を聞くことができず、盲目の人が太陽を見ることができないようなものである。疑ってはいけません。定めし、妙一尼の家族をお守りなさっていることでしょう。そのうえ、きっと生まれ変わっておいでになるでしょう。
  「力あらばとひまいらせんとをもうところに、衣を一つ給ふでう存外の次第なり」。大聖人様御自身も、できることならば妙一尼をお訪ねしたいと思っていたところに、衣を一着、御供養下さったことは、思いがけない有り難い次第であります、と仰せであります。
  「法華経はいみじき御経にてをはすれば、もし今生にいきある身ともなり候ひなば、尼ごぜんの生きてもをわしませ。もしは草のかげにても御らんあれ。をさなききんだち等をば、かへりみたてまつるべし」。法華経は最も尊いお経でありますから、その功徳によって、もし今世において寿命を長らえることができるならば、妙一尼も長生きをなさい。また、亡くなられたならば草葉の陰で御覧なさい。幼いお子さんたちは、私(日蓮大聖人様)が見守ってさしあげましょう、というお慈悲溢れたお言葉であります。
  「さどの国と申し、これと申し、下人一人つけられて候は、いつの世にかわすれ候べき。此の恩はかへりてつかへたてまつり候べし。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。恐々謹言」。佐渡の国においても、また、この身延の山までも、妙一尼の使用人を一人寄越してくださったことは、いつの世までもその御好意を忘れません。この恩は、また生まれ変わって、あなたにお仕えして報いたいと思います。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、恐々謹言、と有り難い仰せで結ばれております。
  この『妙一尼御前御消息』は、鎌倉に住んでおられた妙一尼が、身延山におられた大聖人様に、衣を御供養申し上げ、また下人を遣わされたことに対する御礼を申し述べられたお手紙でございます。
  大聖人様の許に遣わされた下人については、『さじき殿御返事』(文永10年4月26日御作)においても、
  「滝王丸之を遣使さる。○今の施主妙一比丘尼は貧道の身を扶けんとて小童に命じ、之を使はして法華 経の行者に仕へ奉らしむ」(御書663n)
と仰せられております。妙一尼御自身は、今日拝読の最後の御文にもありましたように、夫が所領を取り上げられていたわけでありますから、決して楽な生活ではなかったと思われます。それに耐えて御奉公申し上げていたわけでございます。
  人間の価値というものは、困難を克服しようと決意した瞬間から、そのために努力をしている最中に顕れるものだということであります。
  御住職は、かつて「春や夏の月の光よりも、秋や冬の寒い時の月の光の方が、遥かに煌々と照っているわけであります。同じ照っていても、同じ月の光がそこにあったとしても、その時期によってその光り方が違ってくるわけであります。この妙法の功徳というものも、やはり万人に同じように、慈悲の光は、燦々と注がれていても、その人の信心の厚薄によって、それが煌々と照り輝く時と、そして又、そこに至るその時期を待たなくてはならない時があるわけであります」とお話になったことがございます(日曜講話第6号、昭和62年11月29日)。冬の夜空は、空気が澄んでいますが、気候的には、ものすごく寒いのです。そのときこそ、月や星は、きれいに光り輝いているのです。人間も全く同じです。さまざまな困難を克服している姿、特に大聖人様の仏法で困難を克服している、頑張っている人の姿は、だれよりも光り輝いているんですよということであります。困難を克服することは必ずできるのです。できるのだけれども、そのなかで、自分たちだけでジタバタしないで、御本尊様にすべてをお任せして、如説修行をしていくということが大事なのです。これが本当の意味で仏様の教えに裏打ちされた、すばらしい人生の在り方ではないかと、このように、日蓮大聖人様は仰せになっていらっしゃるわけであります。
  それが「法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる」というお言葉の真意ではないかと思うわけでございます。
  本年は「『立正安国論』正義顕揚七百五十年」に当たり、猊下から賜ったところの御命題、地涌倍増の折伏と、法華講五十万の総登山と、7月26日の7万5千の大結集を、皆さんのお力で必ず達成をして、同時に私たちの宿業を転換する大きな功徳を頂戴してまいりたいということを申し上げまして、本日の講話に代えさせていただく次第でございます。本日の御参詣まことに御苦労様でございました。(平成21年1月11日 月例報恩御講において)

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