平成21年3月1日発行 高照山 第255号
建治元年5月 54歳
立正安国論(一)

 「旅客来たりて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘遍く天下に満ち、広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩既に大半に超え、之を悲しまざるの族敢へて一人も無し。然る間、或は利剣即是の文を専らにして西土教主の名を唱へ、或は衆病悉除の願を恃みて東方如来の経を誦し、或は病即消滅不老不死の詞を仰いで法華真実の妙文を崇め、或は七難即滅七福即生の句を信じて百座百講の儀を調へ、有るは秘密真言の教に因って五瓶の水を灑ぎ、有るは坐禅入定の儀を全うして空観の月を澄まし、若しくは七鬼神の号を書して千門に押し、若しくは五大力の形を図して万戸に懸け、若しくは天神地祇を拝して四角四堺の祭祀を企て、若しくは万民百姓を哀れみて国主国宰の徳政を行なふ。然りと雖も唯肝胆を摧くのみにして弥飢疫に逼り、乞客目に溢れ死人眼に満てり。臥せる屍を観と為し、並べる尸を橋と作す。観れば夫二離璧を合はせ、五緯珠を連ぬ。三宝世に在し、百王未だ窮まらざるに、此の世早く衰へ、其の法何ぞ廃れたるや。是何なる禍に依り、是何なる誤りに由るや」(御書234n)」

(解釈)
 早速、御文に入りますと、「旅客来たりて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘遍く天下に満ち、広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩既に大半に超え、之を悲しまざるの族敢へて一人も無し」。旅客が来て嘆いて言う。近年の正嘉元年から文応元年七月の近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘が全てに亘って広く天下に満ち、地上にはびこっている。牛馬は町中のいたるところにに死んでおり、骸骨は道路に充満している。死者は既に大半をこえ、これを悲しまない者は決していない。ここで「近年より近日に至まで」というのは、『安国論御勘由来』に「正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥の時、前代に超えたる大地振。同二年戊午八月一日大風。同三年己未大飢饉。正元元年己未大疫病。同二年庚申四季に亘りて大疫已まず。万民既に大半に超えて死を招き了んぬ。而る間国主之に驚き、内外典に仰せ付けて種々の御祈祷有り。爾りと雖も一分の験も無く、還りて飢疫等を増長す。日蓮世間の体を見て粗一切経を勘ふるに、御祈請験無く還りて凶悪を増長するの由、道理文証之を得了んぬ。終に止むこと無く勘文一通を造り作し其の名を立正安国論と号す。文応元年庚申七月十六日辰時、屋戸野(宿屋)入道に付し故最明寺入道殿に奏進し了んぬ」(御書367n)とあります。同様な御文は『安国論副状』(同409n)、『立正安国論奥書』(同419n)等にもありますので、正嘉元年(1257)から文応元年(1260)7月に至るまでの丸3年間を指しておられる
ことが分かります。
  「然る間、或は利剣即是の文を専らにして西土教主の名を唱へ」、そこでこのような悲惨さから逃れようと、ある者は浄土宗の「罪業を切る利剣は阿弥陀仏の名号を唱える事だ」との文を信じて念仏を唱えていたということであります。「利剣即是」とは、中国唐代の浄土宗の祖、善導が著した『依観経等明般舟三昧行道往生讃』に「利剣は即ち是れ弥陀の号 往生を願う一声称して念ずれば罪は皆除かる 無量の楽」(大正蔵47ー448C)とある文を指します。
  「或は衆病悉除の願を恃みて東方如来の経を誦し」、ある者は天台宗の「衆の病は悉く除かれる」という薬師如来の願を恃んで東方薬師如来の経を読んだのであります。「衆病悉除」とは、『薬師瑠璃光如来本願功徳経』に薬師如来の十二大願中の第七大願として「願わくば我来世に菩提を得ん時、若し諸の有情、衆病逼切して救い無く帰無く医無く薬無く親無く家無く貧窮多苦ならんに、我の名号一たび其の耳に経ば、衆病は悉く除くを得、身心は安楽、家属資具は悉く皆富み足る」(大正蔵14ー405B)とある経文を指します。
  「或は病即消滅不老不死の詞を仰いで法華真実の妙文を崇め」、ある者は法華経の「この経を聞けば病が消滅して不老不死となろう」との文を仰いで法華経を真実の妙文と崇めたのであります。「病即消滅不老不死」とは、法華経の『薬王菩薩本事品第二十三』に「此の経は則ち為れ、閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病有らんに、是の経を聞きくことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん」(法華経539n)とある経文を指します。
  「或は七難即滅七福即生の句を信じて百座百講の儀を調へ」、ある者は仁王般若経の「般若経を講讃すれば七難は滅して七福を生じる」との句を信じて百人の僧がこの経を講ずるという仁王経を修したのであります。「七難即滅七福即生」とは、『仁王般若波羅蜜護国経受持品第七』に「其の国土の中に七つの難とすべき有り、一切の国王是の難の故に般若波羅蜜を講読為せば、七難即ち滅して七福即ち生ぜん、万姓安楽、帝王歓喜せん」(大正蔵8ー832C)とある経文を指します。また「百座百講」とは、同経の『護国品第五』に「大王、昔日王有り、釈提桓因頂生王と為り、天に来り上り其の国を滅せんと欲す、時に帝釈天王即ち七仏の法用の如く、百高座を敷いて百法師を請じ、般若波羅蜜を講ずるに、頂生即ち退す」(同8−830C)とある経文に依り、国難を退ける修法として、中国では天台大師が太極殿で修したのに始まり、我が国でも宮中で仁王会として行われていました。
  「有るは秘密真言の教に因って五瓶の水を灑ぎ」、ある者は秘密真言の教によって五瓶に水をそそいで災難を払う祈祷をしたのであります。「五瓶の水」とは、真言の祈祷に用いる方法で、『大日経疏』に「五宝五穀五薬を加持し、其の中に安置し(乃至)応に潅頂の瓶を欲して取り、浄水を以て貯うべし」(大正蔵39ー621A)とあるように、五つの瓶に、それぞれ五宝と五穀と五薬を入れ、浄水を注いで真言の修法を行うことであります。
  「有るは坐禅入定の儀を全うして空観の月を澄まし」、ある者は禅宗の修法によって座禅をくみ、心を一所に定め全てを空と観じて苦悩から解放されようとしている。「空観の月」とは、禅宗では「修多羅の教は月を標する指の如し」(大方広円覚経大疏、卍続藏経9冊bR87C)と言い、「叢林に謂う所、直ちに人心を指して、性の仏と成るを見る」(仏祖統紀巻十七、大正蔵49ー234B)と言い、偽経の『大梵天王問仏決疑経拈華品第二』にある「時に於いて長老摩訶迦葉、仏の華を拈って衆に仏事を示すを見て、即ち今廓然とす、破顔微笑して仏即ち告げて言う是れなり、我に正法眼藏涅槃妙心有り、実相無相微妙法門、不立文字、教外別伝、総持任持、凡夫成仏、第一義諦、今方に摩訶迦葉に付属す、言已って黙然たり」(卍続藏経1ー27ー442A)という文に依って、釈尊は入滅の時、迦葉尊者に対して、華を拈り、経典の外にある別して肝心の教えを、心を以て伝えたと称して、人心こそ月の本体と見て、空観(諸法は空であると観ずること)を修行するのであります。
  「若しくは七鬼神の号を書して千門に押し」、またある者は七鬼神の名を書いて千軒の門に貼ったりしたのであります。「七鬼神」とは、『却温黄神呪経』に「仏賢者阿難に告ぐ、汝当に之を聴受すべし、七鬼神有り、常に毒気を吐き以て万姓を害す、(乃至)夢多難鬼・阿?尼鬼・尼?尸鬼・阿?那鬼・波羅尼鬼・阿毘羅鬼・波提梨鬼」(同2ー193ー860C)とあり、七鬼神の名を書いて各家の入り口に張り、熱病等の害を逃れようとしたのです。
  「若しくは五大力の形を図して万戸に懸け」、ある者は仁王経により五大力菩薩の形を描いて万戸にかけたのであります。「五大力」とは、『仁王経受持品第七』に「若し一切の聖人去る時、七難必ず起こる。大王、若し未来世に諸の国王有って、三宝を護持せば我五大力菩薩を使わして往いて其の国を護らん。一は金剛吼菩薩、手に千宝相輪を持ち往いて彼の国を護らん。二は龍王吼菩薩、手に金輪燈を持ち彼の国を護らん。三は無畏十力吼菩薩、手に金剛杵を持ち彼の国を護らん。四は雷電吼菩薩、手に千宝羅網を持ち彼の国を護らん。五は無量力吼菩薩、手に五千剣輪を持ち彼の国を護らん。五大士五千大神王、汝の国に於いて国中に大いに利益を作さん。当に像形を立てて之を供養すべし」(大正蔵8ー833A)とあり、この経文に依ったのです。
「若しくは天神地祇を拝して四角四堺の祭祀を企て」、ある者は天神・地神を拝んで四角四堺の祭りをして災難を除く祈りを、ささげたりしたのであります。「四角四堺の祭祀」とは、都の艮と巽と坤と乾の四隅に疫神を祭り、悪鬼を退ける神道の祭りです。
   「若しくは万民百姓を哀れみて国主国宰の徳政を行なふ」。また一切衆生の窮状を哀れんで国主・国宰といわれる為政者は徳政を行っていたのであります。「徳政」とは、人民に恩徳を施す政治で、免税や恩赦や物を施すことです。
「然りと雖も唯肝胆を摧くのみにして弥飢疫に逼り、乞客目に溢れ死人眼に満てり。臥せる屍を観と為し、並べる尸を橋と作す。観れば夫二離璧を合はせ、五緯珠を連ぬ。三宝世に在し、百王未だ窮まらざるに、此の世早く衰へ、其の法何ぞ廃れたるや。是何なる禍に依り、是何なる誤りに由るや」。しながらこのように何とかしようと苦心し努力しているが、実のところ何の効果もなく飢饉や疫病が厳しくなっている。乞食は町中にあふれ、死人もまた見られる。死骸は高く積みあげられ物見台のようであり、並べた死骸は川に架ける橋のようである。思い巡らすと太陽や月は勢と光の恵みを与え、水星・火星・金星・水星・土星の五つの惑星は珠を連ねたように正しく運行し、仏法僧の三宝も世に尊ばれており、八幡大菩薩の百王守護の誓いがあるのに、百代を過ぎる前からこの世は早くも衰えてしまい王法はどうして廃れてしまったのであろうか。これはどのような災禍によって生じたのであろうか。如何なる誤りによって起こってしまったのであろうか。 「百王」とは、『豊受皇太神御鎮座本紀』に神の託宣として「百王の鎮護孔だ照かなり」(続群1上ー46)とあり、百代の皇孫まで守護されるということが記されており、『立正安国論』が著されたのは、第90代亀山天皇の時ですから「百王未だ窮まらざるに」と仰せられたのであります。
『立正安国論』正義顕揚750年に当たり、この御文を通じまして、より折伏実践に拍車がかかって、そうして、7万5千名の大結集、折伏目標の達成と支部登山の達成ができ、御命題のすべてが達成されるよう謹んで御祈念いたしまして、本日の講話に代えさせていただくものでございます。本日は長時間にわたりまして御参詣、まことに御苦労様でございました。
(平成21年2月8日 月例報恩御講において)

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