平成21年4月1日発行 高照山 第256号
建治元年5月 54歳
立正安国論(二)

 「主人の曰く、其の文繁多にして其の証弘博なり。
  金光明経に云はく『(中略)一切の人衆皆善心無く、唯繋縛・殺害・瞋諍のみ有って、互ひに相讒諂して枉げて辜無きに及ばん。疫病流行し、彗星数出で、両の日並び現じ、薄蝕恒無く、黒白の二虹不祥の相を表はし、星流れ地動き、井の内に声を発し、暴雨悪風時節に依らず、常に飢饉に遭ひて苗実成らず、多く他方の怨賊有りて国内を侵掠せば、人民諸の苦悩を受けて、土地として所楽の処有ること無けん』已上。
  大集経に云はく『仏法実に隠没せば鬚髪爪皆長く、諸法も亦忘失せん。(中略)是くの如き不善業の悪王・悪比丘、我が正法を毀壊し、天人の道を損減し、諸天善神・王の衆生を悲愍する者、此の濁悪の国を棄てゝ皆悉く余方に向かはん』已上。
  仁王経に云はく『国土乱れん時は先づ鬼神乱る。鬼神乱るゝが故に万民乱る。賊来たりて国を劫かし、百姓亡喪し、臣・君・太子・王子・百官共に是非を生ぜん。天地怪異し二十八宿・星道・日月時を失ひ度を失ひ、多く賊の起こること有らん』と。亦云はく『我今五眼をもって明らかに三世を見るに、一切の国王は皆過去の世に五百の仏に侍へしに由って帝王の主と為ることを得たり。是を為て一切の聖人羅漢而も為に彼の国王の中に来生して大利益を作さん。若し王の福尽きん時は一切の聖人皆捨去為ん。若し一切の聖人去らん時は七難必ず起こらん』已上。
  薬師経に云はく『若し刹帝利・潅頂王等の災難起こらん時、所謂人衆疾疫の難・他国侵逼の難・自界叛逆の難・星宿変化の難・日月薄蝕の難・非時風雨の難・過時不雨の難あらん』已上」(御書234n)」


(解釈)
 本日、皆様方にお配りいたしましたのは、『立正安国論』の第二回目でございます。これは『立正安国論』を全体に十段に分けたときの第二段でございますが、この所には、第一段におきまして、世の中には今いろんな災難が起きている。その災難は一体どこから来ているのだろうかという客の疑問に対して、主人が答える、そのやりとりのなかで、その証拠がちゃんと経典のなかに書いてありますよ、ということを紹介する部分でございます。
そのなかには、ここにもありますように、金光明経と大集経と仁王経と薬師経という四つの経典が引かれておりまして、そのなかに薬師経の七難とか、仁王経の七難とか、今日はまだ出てきませんが、大集経の三災、こういったものが必ず世の中に出現いたしますよということが記されているわけでございます。
  ここで非常に大事なことは、日蓮大聖人様が、経典を引用されたことによって、何をお述べになろうとされたのかといことだと思うのです。ですから、日蓮大聖人様の御境地というのは、自分はこう思っているのだ。だから、あなたも私の言うことに従え、という教えではない、そのことは、皆さんも、よく御存知だと思うのであります。すなわち、日蓮大聖人様は、先ず文証というものを基に、その後に道理というものを基に、しかる後に最も重要な要素として現証というものを基にされております。すなわち、信頼できる文書に、こういうことが書かれているではないかという文証を挙げ、しかる後に、果たしてそれが正しい道理に叶うことなのかという理証というものを挙げ、最後に本当にそういうことが起きているのかどうかという現証を挙げる。つまり、この文証・理証・現証をしっかりと、この『立正安国論』のなかにおいても述べられているということが非常に重要なのであります。
  お経典にそのようなことが書いてあるということは、そういった意味で、大聖人様御自身が証明されていることでもあるわけでございます。
  今日拝読の御文のなかで、大聖人様のお言葉というのは、実は「主人の曰く、其の文繁多にして其の証弘博なり」という一番最初の御文だけであって、あとは全部、引用でございます。引用なのですけれども、それもまた日蓮大聖人様のお言葉として、 その経文を拝すべきだと思うのであります。そういったことを踏まえたうえで、御一緒に御書を拝読したいと思いますので、よろしくお願いいたします。
  それでは御文に入ってまいりますが、
  「主人の曰く、其の文繁多にして其の証弘博なり」。主人が答えていうには、そのような経典はたくさんあり、その証拠は数えきれないほどある。
  お客、すなわち対告衆の代表として擬せられている北条時頼は、仏教のことについて、あまりよく分かっていない。世の中がどうしてこんなに乱れているのかということについての根本原因を知らない。その人が、主人の言った「正しい教えに従わないから、こんな世の中になるのだ」ということに対して、「そんな証拠はどこにあるのだ」ということを言ったので、主人は、証拠はたくさんあると答えたわけであります。そうして、その証拠として経典を挙げているわけであります。
  大聖人様が、ここで第一番目に引用されている経文は『金光明最勝王経巻第六 四天王護國品第十二』(大正蔵16−430A)の御文でありますが、前半の部分を省略いたしました。そうして、その前半の御文に続いて、
  「金光明経に云はく『(中略)一切の人衆皆善心無く、唯繋縛・殺害・瞋諍のみ有って、互ひに相讒諂して枉げて辜無きに及ばん」。金光明経には、「(中略)一切の人衆は、皆、善心なく、ただ、いろいろな束縛・殺害・争いばかりあって、互いに相手を讒言し、罪の無い者をも曲げて罪に陥れるであろう。
  一切の人びとが善い心を持たない。あるいは善い心を持とうとする人をバカにする。そういったことです。要するに人びとが互いに争っている。その争いの手段としては、いろいろあるわけでございまして、例えば言い争うという場合もあるし、互いに傷付け合うということもあります。また互いに相手を誹謗し合っていくなかで、全然関係ない第三者をも巻き込んだ争乱になっていく、ということはよくある話でござます。そういったふうに必ずなっていってしまいますよということであります。
  「疫病流行し、彗星数出で」、そして、国土には疫病が流行し、空には彗星がしばしば出て、ということであります。
人類史上、最も被害者を多く出した疫病としては、1340年代、中世ヨーロッパにおいて、ペスト(黒死病)という病気が大流行したのが有名であります。当時、ヨーロッパの全人口の4分の1、2千5百万人が死亡したとも言われています。疫病には身体の病気ばかりではなく、精神的なものもあると思います。よく世間に鬱病という方がおられます。“ああ、私もその病気だ”と自分勝手に病気にしてしまう、これも一つの伝染病ではないかと思うのです。ですから、心の中にもそういう伝染するものがある。そういったものも全部含めて疫病というわけであります。
それから空には彗星がしばしば出る。彗星が現れたからといって、今ではどうということはないと思っている人が多いと思いますが、ハレー彗星のような大きな彗星が太陽に接近しますと、大量の水素ガスなどをその周辺に撒き散らして、太陽活動に異常な低下を引き起こすという科学的な説もあります(桜井邦朋著『ハレー彗星』)。したがって地球の気象などに影響を及ぼし、凶作や飢饉をもたらす恐れもあります。まして、昔の人の知識では、太陽や月や星以外に天空に彗星が現れたのを見たら、どれだけ不安を感じたことか。例えば、明治43年(1910)5月19日に、ハレー彗星が地球に最接近し、地球がハレー彗星の尾の中に入りました。その時、彗星は私たちが見ることができる空全体の3分の2に及ぶほどの尾を引き、その尾には、シアン化合物という毒物が含まれているということが分かっていました。また、地球上の空気が5分間ほど一時的に無くなるという噂が流れまして、自転車のチューブを買い占めて、チューブ内の空気を吸って一時的な酸素枯渇に備える者や、水を張った桶で息を止める訓練をする者などもあったということです。このように1900年代になってからも、ハレー彗星は人びとの不安を呼んだのであります。
  大聖人様の御在世においても、文永元年(1264)7月、大彗星が出現しました。そのときの様相は、『安国論御勘由来』に、
  「文永元年甲子七月五日、彗星東方に出でて余光大体一国等に及ぶ。此又世始まりてより已来無き所の凶瑞なり」(御書369n)
とありますから、その当時の人びとは凶瑞として恐怖を感じたのであります。また、経典が阿育大王によって結集されたのは、紀元前250年ごろですが、そのころも、すでに彗星が人びとの心にどれだけ不安を与えたかということを考えて、この御文を拝すべきであると思います。
  「両の日並び現じ」、一度に二つの太陽が並んで現れるということであります。太陽は一つしかないわけで、これは皇帝とか天皇とかに喩えられるのです。要するに天空に太陽が一つしかないように、この地上にも王様は一人しかいないのだ。ところが太陽が二つ見えるということは、国が分裂する悪い兆しだというわけであります。
  現実に大聖人様が文永11年(1274)5月24日に著された『法華取要抄』に、
  「今年佐渡の国の土民口に云ふ、今年正月廿三日の申の時に西方に二つの日出現す。或は云ふ、三つの日出現す等云云。二月五日には東方に明星二つ並び出づ。其の中間は三寸計り等云云」(御書737n)
とあります。大聖人様が文応元年(1260)に『立正安国論』を著されたてから76年を経て、延元元年(1336)に後醍醐天皇は吉野に移られ、京都には北朝の光明天皇が即位し、南朝には後醍醐天皇がおられるという、いわゆる南北朝時代となって、二王が並び立ったのであります。
「薄蝕恒無く」、日蝕、月蝕が規則通りに行われないということです。
  日蝕、月蝕というのは、昔から、また最近でも天文学者によって、何時起こるかということが予測されておりまして、今年(2009)7月22日には、我が国の奄美大島の北部でも皆既日食が見られるということであります。かなり古くから太陽や月の運行を観測して、日蝕、月蝕を予知していたのですが、予め予知していても、実際に太陽や月が欠けて見えなくなってしまうということに、昔の人は恐れを感じていたのであります。まして、予報の通りに起こらないことや、いきなり欠けて見えなくなることも時々あって、ますます不安を募らせたわけであります。
  「黒白の二虹不祥の相を表はし」、黒白の虹が出て不祥の相を現わすということです。
  虹は雨上がりのときなどに、太陽の光が空気中の水滴によって屈折、反射され、プリズムで光が分解されるようになります。我が国では七色の帯状に見えるとされています。ところが、その虹が黒と白の色となって現れたら、不吉の表れではないかと思うのは尤もなことでしょう。
  「星流れ地動き、井の内に声を発し、暴雨悪風時節に依らず、常に飢饉に遭ひて苗実成らず」、流れ星が出、地震が起き、井戸から異様な地鳴りがする。また大雨・暴風があり、風雨が時節通りでなく、常に飢饉に遭い、穀物も実らないということであります。
  風や雨が時節通りではないということは、例えば日本の気候で言いますと、大体台風がやってくるのは9月ごろで、梅雨の期間が6月から7月にかけてでありますが、そういうことが一定していない。例えば10月ごろに大雨があったり、3月ごろに台風が来るということは、偶にあるということではありますけれども、ともかくそういったことが起こる。ここで、大聖人様は何をおっしゃりたいのかと言えば、人びとの心が、逆に天候に影響することがあるのだよ。「依正不二」という仏法の教義から、そういうことが言えるのだよ、ということであります。「常に飢饉に遭ひて苗実成らず」というのは、穀物などが不作で食べ物がないということであります。
  「多く他方の怨賊有りて国内を侵掠せば、人民諸の苦悩を受けて、土地として所楽の処有ること無けん』已上」。多くの他国の怨賊が国内を侵略し、人々は苦脳を受け、楽しく生活できるところはどこにもなくなってしまうであろう」以上。
飢饉で国内が不安定になってしまいますと、今のうちに攻めてしまえと、他国の侵略を受けることになります。人びとは、ありとあらゆる苦しみや悩みを感じ、楽しく生活できる所は、どこにもなくなってしまうであろうということであります。
  次の経文は、『大方等大集経 巻大五十六 月蔵分第十二 星宿摂受品第十八』(大正蔵13−379B)の御文であります。
「大集経に云はく『仏法実に隠没せば鬚髪爪皆長く、諸法も亦忘失せん。(中略)是くの如き不善業の悪王・悪比丘、我が正法を毀壊し、天人の道を損減し、諸天善神・王の衆生を悲愍する者、此の濁悪の国を棄てゝ皆悉く余方に向かはん』已上」。大集経には「正しい仏法が隠没すれば、人々は髭や髪や爪をだらしなく伸ばすようになるであろう。また、世間の諸法も効力・秩序を失うであろう。(中略)このような不善業の悪王と悪僧が、我が正法を破って、天界・人界の運を損減し、諸天善神および王のうちでも衆生を哀れむ善王も、この濁悪の国を捨てて、皆悉く他方で向かうであろう」以上。
  ここの所は「神天上の法門」を説かれているのでありまして、『立正安国論』の先の御文におきましても、
  「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨て ゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来た り鬼来たり、災起こり難起こる」(御書234n)
と仰せのように、善神・聖人が国土を捨て去るという文証の一つとなっているわけであります。
  次の経文は『仁王般若波羅蜜護国経巻下 護国品第五』(大正蔵8−830A)の御文であります。
  「仁王経に云はく『国土乱れん時は先づ鬼神乱る。鬼神乱るゝが故に万民乱る。賊来たりて国を劫かし、百姓亡喪し、臣・君・太子・王子・百官共に是非を生ぜん。天地怪異し二十八宿・星道・日月時を失ひ度を失ひ、多く賊の起こること有らん』と。仁王経には、「国土が乱れる時はその前に鬼神が乱れる。鬼神が乱れるから万民が乱れる。また他国から賊が侵入して国を脅かし、百姓を殺害し、臣・君・太子・王子・百官もともに対立して争うようになる。天地に不思議な現象が現れ、天の二十八星、星や太陽や月の運行に乱れが生じ、多くの賊が起こり人々は苦しめられるであろう」と説かれています。
  次の経文は『仁王般若波羅蜜護国経巻下 受持品第七』(大正蔵8−833A)の御文であります。
  「亦云はく『我今五眼をもって明らかに三世を見るに、一切の国王は皆過去の世に五百の仏に侍へしに由って帝王の主と為ることを得たり。是を為て一切の聖人羅漢而も為に彼の国王の中に来生して大利益を作さん。若し王の福尽きん時は一切の聖人皆捨去為ん。若し一切の聖人去らん時は七難必ず起こらん』已上」。また、同じく次のように、「仏が今五眼をもって明らかに過去・現在・未来の三世を見るに、世の中の一切の国王は、皆過去世において五百の仏に仕えた功徳によって帝王になれたのである。この功徳のゆえに、一切の聖人や羅漢がその王のために国土に生まれてきて、国王を助け大利益をなすのである。しかし、もし国王が善根を積まないで福徳の尽きてしまうときには、一切の聖人は皆、その国土を捨て去ってしまうことになる。もし、一切の聖人が去ったときは、七難が必ず起こるであろう」以上。
一国の国主となり、宰相となる人は、過去世において五百の仏に仕えたという功徳によって、現世において福を持った身分となったのであります。しかし、現世において善根を積まなければ、その福を護ってくれる聖人が去ってしまい、逆に福を奪う者の働きによって、苦難に遭ってしまうということであります。
  次のお経文は『薬師如来本願功徳経』(大正蔵14−404A)の御文であります。
  「薬師経に云はく『若し刹帝利・潅頂王等の災難起こらん時、所謂人衆疾疫の難・他国侵逼の難・自界叛逆の難・星宿変化の難・日月薄蝕の難・非時風雨の難・過時不雨の難あらん』已上」。
  薬師経には、「もし、刹帝利・潅頂王等の者に災難が起こるときには、具体的には次のような難がある。すなわち、伝染病が蔓延して多勢の民衆が死亡する難、他国から侵略される難、自国内において叛逆、同士討ちが起こる難、星の運行に異変が生じる難、太陽や月が不規則に薄蝕する難、時期はずれの時に暴風雨のある難、降るべき時節に雨の降らない難である」以上。 我々人間の振る舞いと、我々の周囲を取り巻く環境とは密接な関係にあります。例えば私たちの生活において二酸化炭素などを大量に排出すれば、地球温暖化を促進し、海面が上昇し、大変なことになります。また、フロンガス等を放出する器具をたくさん使用すれば、地球を保護しているオゾン層を破壊します。
  結局、我々は大量消費によって、環境破壊を行っているのです。この大量消費は、どこから起こるのかと言えば、元は人間一人ひとりの欲望から起こっているのであります。
  この我々自身である正報と、周りを取り巻く環境という依報は不二一体の密接な関係にあるということが、仏法で説く「依正不二」ということであります。
  大聖人様が『立正安国論』に引用されました金光明経・大集経・仁王経・薬師経に説かれていることは、絶対に否定出来ない真理であります。
  それらを克服するにはどうすれば善いのかと言えば、それは日蓮大聖人様の教えを信じ、御本尊様に向かってお題目を唱えて、仏様と境智冥合し、私たち自身の命のなかに、一念三千の道理を事実のものとして、しっかりと悟り、他の人びとをも成仏の境涯に導いていくということが大切であります。
  本年は、『立正安国論』正義顕揚七百五十年記念総登山が実施されております。総本山に足を運ぶ功徳について、総本山二十六世日寛上人は『寿量品談義』に、
  「汝が歩む足の土を取りて塵となし其の塵の数に随 って一塵に一劫づゝの罪を滅し、亦寿の長きこと此 の塵の員と同じからん。又世々に仏に値ひ奉ること 此の塵に同じく無量無辺ならん」(富要10ー127)
と述べられております。遠路を厭わず、総本山に歩を運ぶ一足一足の功徳は絶大であります。皆様方も、どうぞ講中の方々を誘い合わせて、多数、御登山されることを願って、本日の御書講の結びといたします。
(平成21年3月8日 月例報恩御講において)

戻る