平成21年5月1日発行 高照山 第257号
建治元年5月 54歳
立正安国論(三)

 「仁王経に云はく『(中略)云何なるを難と為す。日月度を失ひ時節返逆し、或は赤日出で、黒日出で、二三四五の日出で、或は日蝕して光無く、或は日輪一重二三四五重輪現ずるを一の難と為すなり。二十八宿度を失ひ、金星・彗星・輪星・鬼星・火星・水星・風星・ちょう星・南斗・北斗・五鎮の大星・一切の国主星・三公星・百官星、是くの如き諸星各々変現するを二の難と為すなり。大火国を焼き万姓焼尽せん、或は鬼火・竜火・天火・山神火・人火・樹木火・賊火あらん。是くの如く変怪するを三の難と為すなり。大水百姓をo没し、時節反逆して冬雨ふり、夏雪ふり、冬時に雷電霹ッし、六月に氷霜雹を雨らし、赤水・黒水・青水を雨らし、土山・石山を雨らし、沙・礫・石を雨らす。江河逆しまに流れ、山を浮べ石を流す。是くの如く変ずる時を四の難と為すなり。大風万姓を吹き殺し、国土山河樹木一時に滅没し、非時の大風・黒風・赤風・青風・天風・地風・火風・水風あらん、是くの如く変ずるを五の難と為すなり。天地国土亢陽し、炎火洞燃として百草亢旱し、五穀登らず、土地赫燃して万姓滅尽せん。是くの如く変ずる時を六の難と為すなり。四方の賊来たりて国を侵し、内外の賊起こり、火賊・水賊・風賊・鬼賊ありて百姓荒乱し、刀兵劫起せん。是くの如く怪する時を七の難と為すなり』と。
  大集経に云はく『若し国王有りて、無量世に於て施戒慧を修すとも、我が法の滅せんを見て捨てゝ擁護せずんば、是くの如く種うる所の無量の善根悉く皆滅失して、其の国当に三つの不祥の事有るべし。一には穀貴、二には兵革、三には疫病なり。(中略)』已上。
  夫四経の文朗らかなり、万人誰か疑はん。而るに盲瞽の輩、迷惑の人、妄りに邪説を信じて正教を弁へず。故に天下世上諸仏衆経に於て、捨離の心を生じて擁護の志無し。仍って善神聖人国を捨て所を去る。是を以て悪鬼外道災を成し難を致すなり」 (御書236n)


(解釈)
 「仁王経に云はく『(中略)云何なるを難と為す。日月度を失ひ時節返逆し、或は赤日出で、黒日出で、二三四五の日出で、或は日蝕して光無く、或は日輪一重二三四五重輪現ずるを一の難と為すなり」。仁王経には、「(中略)具体的にいかなることを難とするのか。まず、太陽や月が運行の規則性を失い、季節が逆になり、あるいは赤い太陽が出たり黒い太陽が出たり、一度に二・三・四・五の太陽が出たり、あるいは日蝕で太陽の光がなくなったり、あるいは太陽が一重・二・三・四・五重の輪を現ずるのを第一の難とする。 ここで「仁王経に云はく」として引用されている経文は『仁王般若波羅蜜護国経巻下 受持品第七』(大正蔵8−832C)の御文であります。そうして、第一の難とされているのは「日月失度の難」と申します。こういう太陽や月に異変が起こりますと、人間は大変な不安に駆られ、それが増幅して、互いに疑心暗鬼に陥れられて、人間社会は大混乱を来すということになります。
  「二十八宿度を失ひ、金星・彗星・輪星・鬼星・火星・水星・風星・ちょう星・南斗・北斗・五鎮の大星・一切の国主星・三公星・百官星、是くの如き諸星各々変現するを二の難と為すなり」。次に二十八宿が運行の規則性を失い、金星・彗星・輪星・鬼星・火星・水星・風星・ちょう星・南斗・北斗・五鎮の大星・一切の国主星・三公星・百官星等々多くの星が、それぞれ異常な現象を起こすのを第二の難をする。
  この第二の難を「衆星変怪の難」と申します。「五鎮の大星」とは木火土金水の星。「一切の国主星」とは北斗の北にあり、天帝の住所とされている星。「三公星」とは中国周代の最高の官職たる大師、太傅、太保を象った星。百官星とは諸星の主たる星で、百官を司る者に喩えられています。
  「大火国を焼き万姓焼尽せん、或は鬼火・竜火・天火・山神火・人火・樹木火・賊火あらん。是くの如く変怪するを三の難と為すなり」。第三に、大火が国を焼き、万民を焼き尽くすであろう。あるいは、鬼火・竜火・天火・山神火・人火・樹木火・賊火が起こるであろう。このように異常が起こるのを第三の難とする。
  この第三の難を「諸火焚焼の難」と申します。「山神火」とは山に鎮座し、山を支配する神、一説には山に住む仙人自身が怒り、または仙人が呪文を誦して鬼神をして百姓の家を焼かしめることとされています。
  「大水百姓をo没し、時節反逆して冬雨ふり、夏雪ふり、冬時に雷電霹ッし、六月に氷霜雹を雨らし、赤水・黒水・青水を雨らし、土山・石山を雨らし、沙・礫・石を雨らす。江河逆しまに流れ、山を浮べ石を流す。是くの如く変ずる時を四の難と為すなり」。第 四に、大洪水が民衆を押し流し、季節が逆になって、六月に氷や霜・電が降り、赤水・国水・青水を降らし、また土や石を山ほど降らし、砂や礫や石を降らす。河は逆に流れ、山を浮かべ、石を流すほどの大洪水となる。このような異変が起こるのを第四の難とする。  この第四の難を「諸水漂没の難」と申します。
  「大風万姓を吹き殺し、国土山河樹木一時に滅没し、非時の大風・黒風・赤風・青風・天風・地風・火風・水風あらん、是くの如く変ずるを五の難と為すなり」。第五に、大風が万民を吹き殺し、国土、山河、樹木が一時のうちに滅没し、時節外れの大風・黒風・赤風・青風・天風・地風・火風・水風が吹き荒れる。このような異変が起こるのを第五の難とする。
  この第五の難を「大風数起の難」と申します。
  「天地国土亢陽し、炎火洞燃として百草亢旱し、五穀登らず、土地赫燃して万姓滅尽せん。是くの如く変ずる時を六の難と為すなり」。第六に、天地・国土が大干魃で乾ききり、燃え上がらんばかりの猛暑によって、百草はみな枯れ、五穀は実らず、土地が焼けて、万民は滅亡するであろう。このような異変が起こるのを第六の難とする。
この第六の難を「天地亢陽の難」と申します。
「四方の賊来たりて国を侵し、内外の賊起こり、火賊・水賊・風賊・鬼賊ありて百姓荒乱し、刀兵劫起せん。是くの如く怪する時を七の難と為すなり』と」。最後に、四方の国から賊が来襲して国土を侵略し、国内にも賊が出て内乱を起こし、火賊・水賊・風賊・鬼賊があって民衆をおびやかし、いたるところに戦乱が起こるであろう。このような異変は生ずるのを第七の難とするのである」と。
この第七の難を「四方賊来の難」と申します。
「大集経に云はく『若し国王有りて、無量世に於て施戒慧を修すとも、我が法の滅せんを見て捨てゝ擁護せずんば、是くの如く種うる所の無量の善根悉く皆滅失して、其の国当に三つの不祥の事有るべし。一には穀貴、二には兵革、三には疫病なり。(中略)』已上」。大集経には「もし国王があって、すでに無量世にわたって、布施を行じ、戒律を持ち、智慧を修得してきたとしても、正法を滅するのを見ながら捨てて擁護しないならば、過去に積んできたところの無量の善根は悉く滅し失われて、その国に三つの不祥事が起こるであろう。それは、一に穀貴、二に兵革、三に疫病である。(中略)」以上。
ここで「大集経に云はく」として引用されている経文は『大方等大集経 巻第二十四 虚空目分中護品第九』(大正蔵13−173A)の御文であります。
  「夫四経の文朗らかなり、万人誰か疑はん。而るに盲瞽の輩、迷惑の人、妄りに邪説を信じて正教を弁へず。故に天下世上諸仏衆経に於て、捨離の心を生じて擁護の志無し。仍って善神聖人国を捨て所を去る。是を以て悪鬼外道災を成し難を致すなり」。以上のごとく、金光明経・大集経・仁王経・薬師経の経文は、まことに明らかである。誰人がこれを疑うことが出来ようか。しかるに、明き盲のごとき輩や理非分別のつかぬ人は、みだりに邪説を信じて正しい教えを弁えていない。その影響により、広く世間の人々も、諸仏や衆経に対して、捨て離れる心を生じて擁護する志がないのである。そのために、善神・聖人は国土を捨て去り、かわって悪鬼・外道が災難を引き起こすのである。
本尊様を拝見すれば明らかなように、中央に「南無妙法蓮華経・日蓮」と認めらて、その左右には御本仏日蓮大聖人様の、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏という十界にわたる御境界、つまり十界互具・一念三千のお命が表されております。この十界互具ということは、我々人間界にも、また地獄界から仏界にいたる十界の命が具わっているということであります。したがって、私たちが勤行・唱題によって、御本尊様と境智冥合していくときに、必ず自分の実生活において、六根清浄の功徳というものが現れるのであります。
  六根清浄の功徳というものは、眼・耳・鼻・舌・身・意のこの六つの功徳であります。この六つで私たちは、自分の周りの環境を把握して、自分に取り込んで生きているわけでありますから、この六根に恐れるところがなかったなら、間違ったところがなかったなら、人生そのものを堂々と生きていくことができるというわけであります。そのことが、いわゆる一生成仏ということであります。
  さらに六根の用きと自然界の動きには、実に不思議な切り離せない関係があるのであります。その道理を日蓮大聖人様は『瑞相御書』にも、
  「人の悪心盛んなれば、天に凶変、地に凶夭出来す。瞋恚の大小に随ひて天変の大小あり。地夭も又かくのごとし」(御書920n)
とお説きになっておられます。
  大聖人様の教えは、他の宗教・宗旨とは、その本質が全く違い、宇宙法界の根源を極めておられるのです。そのことを改めて知っていただきたいと思うものでございます。
  この『立正安国論』を知り、学ぶということは、今世間で起きているありとあらゆる問題の原因と、その解決方法を知るということでもあります。そうして、その知り得たことを世間の人びとに教えていくという行為が、つまり折伏であります。『立正安国論』は大聖人様が折伏を説かれた御指南でありますから、本年は、私たちが、末法の御本仏、日蓮大聖人様の仰せのままに、折伏を行じて、大きな功徳を得ていく「正義顕揚七百五十年」の年とされているのであります。
  本日、皆様方にも「『立正安国論』正義顕揚にあたって」というパンフレットをお配りいたしたかと思いますけれども、このように「宗教は何でも同じですか」「正法治国・邪法乱国とは」ということを御自身でもよくよく御理解をしていただいて、身の回りの知人・友人等々に教え弘めていっていただきたい、そのように精進していっていただきたいということを申し上げまして、本日の講話に代えさせていただく次第でございます。本日の御参詣まことに御苦労様でございました。
(平成21年4月12日 月例報恩御講において)

戻る