平成21年5月1日発行 高照山 第257号
御 講 聞 書

 「所詮不信の心をば師となすべからず。信心の心を師匠とすべし。浄心信敬に法華経を修行し奉るべきなり。されば『能持是経、能説此経』と説きて能の字を説かせ玉へり」(御書1857n)

(解釈)
 どんな事があっても不信の心を師としてはなりません。信心の心を師匠としなさい。浄らかな心で信じ敬って法華経の真実の修行を励むべきです。法華経の中には、「能くこの妙法蓮華経を護持しなさい。能くこの妙法蓮華経を説き聞かせなさい」と説かれて、「能く」の一字の大切さが説かれています。

(解説)
  正しい信仰を求め、本当の幸せを成就し、大きな福徳を願うならば正法に対する不信の心、退く心、逃げる心、怠惰な心を師としたり、そうした心に支配されていては正法につくことが出来ません。従って幸せにもなれません。幸せになるためには正法を求め正義を修し正信を貫く「信心の心」を師匠とし、向上心、求道心にもとづく信心の心をしっかりと持つ事が大切なのです。法華経の提婆品に「浄心信敬」とあるように、浄らかな純粋な心、最も勝れた御本尊と御本仏の教導を信じ敬う心を失ってはなりません。
  そして、少々の難や、つらい事があっても、人から中傷されようとも、さげすまれようとも、中傷批判する人の方が人間として、はるかに劣っているのです。「能く持ち」「能く自らに言い聞かせ」また「他の人びとに能く伝え、広く導いて行く事」がどれ程尊いかという事を知るべきであります。
(内海雄幸師のお話)
  今年、『立正安国論』正義顕揚七百五十年に当たり、4月1日から7月9日まで百日間に、七百五十億遍の唱題行が行われるわけであります。こんなに、なぜ唱題をしなければならないかと申しますと、やはり7月26日の7万5千大結集総会が未曾有の総会だからであります。未曾有の大結集でありますから、当然のことながら、未曾有の準備が必要になります。そこには、当然、未曾有の魔というものも入ってまいります。その魔を打ち破るにはどうしたら良いのか。それは唱題しかないわけであります。
  そういう御法主日如上人猊下のお志を私たち一人ひとりが、よくよく胸に刻んで置かなければならないのではないかと思うものでございます。
  本日の拝読御書は、本当に七百五十億遍の唱題行には欠かせない御金言だと思います。特に、この解説の部分に「不信の心、退く心、逃げる心、怠惰な心を師としたり、そうした心に支配されていては正法につくことが出来ません」とあります。百日唱題行も、そういう心に支配されてしまったら、絶対に達成できません。私たちが百日間の唱題を続けていくなかで、例えば仕事が忙しい、あるいは子供の世話でいろいろ忙しい、そういったことがたくさん出てくるかも知れません。そういうときに、それを理由にして、逃げてはいけない。そういうことではないかと思います。そういうようなことを理由にして逃げてしまっては、何事も成就することはできないわけであります。
  したがって、この『提婆達多品』のお経文にもありますように、「浄心信敬」(法華経362n)という仏様のおっしゃる通りの清らかな心で、お題目を唱えるという信心修行でありますから、自分自身の狭い考えや都合で怠ってしまっては、もはや「浄心信敬」の心ではなくなってしまいます。そのことをよくよく考え
て、この百日唱題に励んでいただきたいと思います。そうして、立派に持続して、成就して、7月9日には歓喜の気持ちを、みんなで味わいたいと思うものでございます。
  また解説の後半に「人から中傷されようとも、さげすまれようとも」とありますが、とにかく今年は魔の蠢動の激しい年であります。それを本当に真心を込めて真剣な唱題を百日間持続することによって打ち破り、未曾有の大総会に臨むということが大切ではないかと思います。            
  そうして、御法主日如上人猊下のお志を私共はよくよく心に銘じて、共々に弛む心なく、戒め合って精進してまいりたいと、このように思う次第でございます。本日の御参詣、まことに御苦労様でございました。
(平成21年4月1日 広布祈念唱題会において)

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