平成21年5月1日発行 高照山 第257号
妙光寺執事 内海雄幸

強い弘通の志と確信を持って実践を

 4月1日から始まりました7月9日までの百日間、七百五十億遍の唱題行を兼ねた、本日の4月度の広布唱題会におきまして、ただ今は皆様方と共に、読経、ならびに1時間の唱題を申し上げ、妙光寺支部・正道講支部の折伏目標の達成、50万登山の達成と、7月26日の7万5千の大結集総会の大成功を謹んで御祈念申し上げた次第でございます。
  皆様方には先月もお話申し上げましたけれども、誓願書というものを両支部の皆さんに出していただいていると思います。その誓願書には折伏対象者、あるいは登山啓蒙者を合わせまして800名から850名の方々が記載されております。ありがとうございます。ただ妙光寺支部・正道講支部の目標から考えますと、800や850では、とてもとても足りないのですね。ですから、ここで申し上げたいのは、皆さん方のなかで、まだお書きになっていない方がいるのではないかと思うのです。ただし、まだ誓願書をお出しになっていないから、その方は信心がないということではなくて、恐らくは、折伏したい人がいて、御自分で心の中で誓願をなさっている。あるいは50万登山、支部総登山の目標達成を願って、御自分の身内の方をお誘いしたいから、自分が責任を持って御祈念をしていこうと思って、誓願書を出していない方も、たくさんいらっしゃるのではないかと思うのであります。
  しかし、日蓮大聖人様は、
  「よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し」(御書1314n)
と仰せられております。要するに、お寺と皆さん方が一緒の御祈念をするということが肝心ですよ、成就する第一歩ですよ、と御指南あそばされているわけでございます。ですから、まだ誓願書を書いていない方々、あるはは1回出したけれども、この人も、あの人も折伏したい、啓蒙したいという人がありましたら、用紙はたくさんありますので、どうぞお出しくださるようにお願いいたします。お出しいただいた誓願書は、今妙光寺としては1日2回、唱題会を行っていますから、そのたびに御祈念をさせていただいているわけでございます。この唱題会はこれから百日間、2百回行われますから、800人、あるいはそれ以上の方々の御祈念を私共はさせていただくことができます。大変な数ですね。ともかく、みんなで誓願し祈っていく。そうして折伏し、啓蒙を実践していく。今年はそういう年になっていますので、どうか、お申し込みをいただきたいと思う次第でございます。
  さて皆さんもそれぞれ折伏を心掛けていくなかで、念仏宗や真言、あるいはキリストの教えであるとか、そういった間違った教えでは救われない。大聖人様の教えでなければ救われないと、自信を持って折伏をなさっているものと思います。しかしながら、世間の人たちは私たちがそのように仏様の教えの通りに考えているのとは違って、いろいろなことを言う人がいるものでございます。そこには教えの勝劣・浅深、どちらが勝っているか劣っているか、正しいか間違っているかという、そういう判断の基準がないから、そのように考えるのだと思います。例えば、日蓮正宗もいい教えかも知れないけれども、他の宗派にもいっぱいいいことを言っている宗派があるよ、と思ってしまう人も世間にはいるかも知れません。あるいは今現在においては仏教だろうがキリスト教だろうが、教えを弘めながら、平和を考えている人たちがいるわけですね。ですから、そういう活動だけを見て、そういう宗教だって頑張っているではないか、それを邪法だ、邪教だと言って破折してしまうのはいかがなものか。そういうふうに考えている方もいるかも知れません。あるいは、ちょっと仏教に詳しい方ですと、仏教には自讃毀他戒というものがあるのですね。これは自分の言っていることは正しいよ。相手の言っていることは間違っているぞ、とそういうふうに誹謗する、謗ることはいけないのだというふうに言われている戒です。ですから、日蓮正宗、あるいは日蓮聖人の教えは、そういうものに牴触するのではないか。そんなことを思っている人もいるかも知れません。
  しかしながら、本当の仏教の本義を究めていきますと、そういう考えは、全く凡夫の浅知恵でございまして、お釈迦さんの教導も、日蓮大聖人様の教えも、決してそういう曖昧な、いい加減な教えではないのであります。日蓮大聖人様も、立宗宣言をなされるに当たりまして、実際に一切衆生を救済するためには、どうしても邪法邪義をはっきりと破折していかねばならない。それを実行すれば必ず法難に遭うことは必定である。しかし、敢えてそれを覚悟のうえで断行していくのだ、ということを、おっしゃっている御文が各所に拝されるのであります。
  例えば『開目抄』に、
  「これを一言も申し出だすならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来たるべし。いわずば慈悲なきににたりと思惟するに、法華経・涅槃経等に此の二辺を合はせ見るに、いわずば今生は事なくとも、後生は必ず無間地獄に堕つべし。いうならば三障四魔必ず競ひ起こるべしとしりぬ。二辺の中にはいうべし」(御書538n)
とございます。念仏宗等の教えが邪教であるということは分かっている。しかし、これを言ったならば国家からも弾圧を受けるだろう。それから親族一同から除け者にされてしまうだろう。だけれども、それをはっきり言っていこうと、大聖人様は『開目抄』に、このように心情を吐露されているわけでございます。
  そういった大聖人様の御指南から拝しますと、正しい文証がきちんとあって、またお釈迦さんの教えのなかにも、権教を捨てて、法華経の正しい教えに付くことが大事であると、はっきりと説かれている以上、その文証に基づいて正邪の分別を立てることが大事である。それこそ仏様の御本意に叶うことであります。自分の宗教だけを自讃して、他の宗教を一方的に根拠もなく誹謗する、口汚く罵るということではありません。そういうことは折伏とは申しません。
  また大聖人様は『撰時抄』に、
  「されば現に勝れたるを勝れたりという事は慢ににて大功徳となりけるか」(御書869n)
ということをおっしゃっておられます。実際に大聖人様の仏法が一閻浮提第一の正法にして、最も勝れている。このことは大聖人様のお悟りのうえから、大聖人様のなさった修行のうえから、現実にその道理・文証・現証のうえから申しても、大聖人様の教えを凌ぐものは、この世界に、ただの一つもないのであります。この事実は、皆様方も体験を通してよく御存知のことと思います。勝れているものを勝れていると言うことは、嘘でもなく、自慢でもなく、どこまでも正法を語り、正法を弘め、世の中の人の迷妄を打ち破っていくことは、むしろ、その振る舞いこそが、仏の振る舞いに通じていくんだということであります。どうか、大聖人様の仏法こそ世界一の大仏法であると言い切っていくことが、大功徳であり、末法の仏道修行なのだという、そういう自信を持っていただきたいと思います。
  大聖人様は、また『撰時抄』等に、伝教大師最澄の『依憑天台集』にある、
  「讃むる者は福を安明に積み、謗る者は罪を無間に開く」(御書870・1348n等)
という言葉を引用なさっております。これは仏滅後において妙法を讃歎し、妙法をもって一切衆生を救っていくところには、真実の大きな福徳が生まれてくるのであって、逆に妙法を誹謗し、妙法を弘める人を謗る者は地獄に堕ちてしまうということを、伝教大師は言い切っているのであります。伝教大師は、日本の宗教界の第一人者として認識されている人であります。その方が、その功徳と罰について、はっきりと言っているのであります。ともかくも、私たちも、大聖人様の妙法の功徳は絶大ですよということを、はっきり言って、堂々と折伏を行じていくことが大事であります。
それから、大聖人様は『乙御前御消息』にも、
  「かう申せば日蓮が自讃なりと心えぬ人は申すなり。さにはあらず、是を云はずば法華経の行者にはあらず、又云ふ事の後にあへばこそ人も信ずれ」(御書898n)
と仰せられております。法華経に敵対すれば身を亡ぼし、国を亡ぼすという、真実のことを言わなければ、法華経の行者としての資格を失うということをおっしゃっておられるのであります。
  また『法華取要抄』に、
  「喜び身に余るが故に堪へ難くして自讃するなり」(御書734n)
ということをおっしゃっております。私たちも大聖人様の教えに巡り会ってよかった。この一閻浮提第一の御本尊様に巡り会えてよかったと、本当に歓喜して涙の唱題をすることもあるかと思います。
  そういう喜びが身に余り、今度は何をしなければいけないのかというと、今末法こそ折伏を行じて、大聖人様の三大秘法を広宣流布すべき時であるということを、この『法華取要抄』に御指南でございます。
  また『呵責謗法滅罪抄』に、
  「我と是を云はゞ自讃に似たり、云はずば仏語を空しくなす過あり。身を軽んじて法を重んずるは賢人にて候なれば申す」(御書715n)
ともおっしゃっています。大聖人様は、御自らを指して、法華経に予証されている通り、今末法において法華経の行者(御本仏)として、罵詈毀辱・刀杖瓦礫の難を蒙るのであると仰せられているのです。これは決して自讃ではなく、本当に現実になされたことです。
  こうした身軽法重・死身弘法という御精神から申しましても、この大聖人様の教えを弘めていくことこそ、本来の仏の道であり、あるいは本当の賢人の道であり、日蓮が弟子檀那としての道でもあるということを知っていただきたいと思います。したがって、私たちが信ずる日蓮大聖人様の仏法は、文証のうえに、道理のうえに、さらに現証のうえにおいて世界で最も勝れた教えであり、また実際にその大功徳を我が身のうえに、人生のうえに頂ける以上、大きな誇りと確信を持って、死身弘法の精神のうえから、やはり堂々と折伏を行じていくということが大事であります。たとえ上司の方であろうと、社会的な地位の高い人であろうと、兄弟・眷属・友人・知人、いずれの人であろうとも、大聖人様の教えを通して、正しく妙法を教え弘めて、人びとの迷妄を打ち破っていかなければならない、今年は正しくそういう年なのだということでもございます。
  どうか、そうした意味で日蓮正宗の法華講員として、大聖人様の尊い御指南を胸に懐いて、強い弘通の志と確信を持って、本年の信行を通して、特に七百五十億遍の唱題への挑戦と実践を貫き通して、大いなる歓喜をもって、しっかりと完遂していただきたいということを申し上げまして、本日の御挨拶に代えさせていただきたいと思います。

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