平成21年6月1日発行 高照山 第258号

尾林御住職御遷化

 高照山妙光寺第8代御住職常宣院日至尊能化は、かねて病気療養中のところ、5月13日に御遷化になりました。5月14日、15日、16日の午後6時より妙光寺客殿において仮通夜が営まれ、5月17日午後7時より妙光寺本堂において本通夜、18日午前10時より本堂において本葬儀が執り行われました。
尾林日至尊能化の略歴は次の通りであります。
 字は広徳、妙源阿闍梨日至と号す。昭和12年11月4 日、満州奉天〔中国東北地区瀋陽〕に誕生。同21年帰国後、 兵庫県川西市において成長す。同29年8月、池田源立寺に 入寺、同年10月25日、当時妙光寺副住職柿沼廣澄師〔妙 光寺第6代大東院日明贈上人〕の徒弟として得度し、沙弥に 叙せらる。同31年4月、妙光寺に在勤し、同年4月5日、 三等学衆に叙せらる。同34年4月7日、二等学衆に叙せら る。同35年3月25日、立正大学を卒業し、引続き妙光寺 に在勤、所化頭となる。同時期の在勤者より舎長の愛称で呼ばる。同36年3月、総本山大坊に在勤す。同37年3月、大坊在勤を終え、妙光寺執事となる。同年4月5日、一等学衆に叙せらる。同39年4月5日、訓導に叙せらる。同年7月13日、講師に叙せらる。同40年7月25日、総本山内の富士見庵に居し、学衆の教養に当たる。同42年1月14日、浦和常生寺初代住職に任ぜらる。同44年3月30日、大講師に叙せらる。同年4月1日、埼玉布教区副支院長に任ぜらる。同45年3月14日、正本堂建立記念出版委員を命ぜらる。同47年2月18日、富士学林講師に任ぜらる。同49年3月30日、権僧都に叙せらる。同51年6月29日、正宗要義作成委員を命ぜらる。同年8月27日、日蓮正宗布教師に任ぜらる。同54年3月30日、僧都に叙せらる。同55年1月10日、富士学林教授を命ぜらる。同年5月1日より『大日蓮』に「日興上人遺誡置文注釈」を連載す。同年6月2日、日蓮正宗全国布教師に任ぜらる。同年6月7日、宗会議員に当選す。同年10月23日、遠忌記念出版事業実行委員会委員を命ぜらる。同年9月1日、宗祖日蓮大聖人第七百御遠忌大法会論義式問者を命ぜらる。同年4月5日、日興上人正伝編纂委員会委員を命ぜらる。同57年9月15日より『大日蓮』に「注釈方便品・寿量品」を連載す。同58年2月14日、時局法義研鑚委員会委員を命ぜらる。同年4月1日より『大白法』に『日曜講話』の連載を始む。同60年3月31日、権大僧都に叙せらる。同62年1月20日、大石寺開創七百年記念出版御書編纂委員会委員を命ぜらる。同年5月7日、常生寺住職を免ぜられ、妙光寺住職に任ぜらる。同年5月25日、入院式を奉修。同年6月1日、御聖訓解説『淨心』第1号を発行。同年11月28日、「妙光寺支部の信条」を定む。翌29日、法話集『晨朝拙話』を発刊す。同63年2月15日、富士学林主任教授に任ぜらる。同年3月1日、法話集『日曜講話』第1号を発行。同年8月2日、海外部長に任ぜらる。同年7月6日、NST理事たることを承認さる。平成3年3月31日、大僧都に叙せらる。同年10月20日、日蓮正宗教学護法財団評議員を命ぜらる。同4年8月1日、法華講妙光寺正道講支部組織の結成により、指導教師に就任さる。同7年3月12日、妙光寺において以後毎月1回、未入信者および初心者に主眼をおいた会合を開催し、「春の会」と命名す。同年6月18日、すでに妙光寺裏門側の擁壁の改修、御宝蔵内外装の補修を完了し、納骨堂1・2階を改修して「思恩堂」と命名し、落成式を奉修す。同8年1月23日、富士年表増補改訂出版委員会委員を命ぜらる。同年4月20日、日顕上人猊下大導師のもと妙光寺開創百周年記念法要・信徒会館(道心館)落慶入仏式を奉修。同14年10月5日、権僧正に叙せられ、常宣院日至と称す。昭和53年4月6日以来、平成16年4月6日に至るまで、総本山を始め、末寺・会館等において度々布教講演を行う。平成17年8月8日、願に依り海外部長を免ぜらる。18年間にわたる海外部長在任中、南北中央アメリカ・ハワイ・台湾・韓国・中国・東南アジア・インド・スリランカ・アフリカ・東西南北中央ヨーロッパ等の世界各地を、昼夜を分かたず東奔西走する激務に携わる。平成21年5月13日午前5時37分御遷化。法名常宣院日至贈上人。享年71歳。(大日蓮・大白法・記録・高照山・日曜講話・自歴)

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