平成十九年四月度座談会
文応元年七月十六日  三十九歳
立 正 安 国 論

 「主人咲(え)み止(とど)めて曰く、辛(から)きを蓼葉(りょうよう)に習ひ臭きを溷厠(こん し )に忘る。善言を聞いて悪言と思ひ、謗者を指して聖人と謂ひ、正師を疑って悪侶(あくりょ)に擬す。其の迷ひ誠に深く、其の罪浅からず。」
(新編二四二頁)

(通釈)
 主人が微笑んで、怒って帰ろうとする客を止めて言うには、いつも辛い葉を食していると辛さになれてしまって蓼の葉を食しても何も感じなくなる。臭いにおいを長い間トイレにいると感じなくなっていく。そのように謗法に心が毒されると、善言を聞いても悪言と思い、謗法者を指して聖人といい、正師を疑って悪侶のように見立てる。その迷いはまことに深く、その罪はけっして浅くはないのである。

(解説)
 過去世からの家の宗教や謗法の教えや悪知識、悪師、悪縁に慣れ親しむ事の恐ろしさを指摘された御文です。教、機、時、国、教法流布の前後に従って、正法正師の正義に従うべきであり、過去世の宗教、家の宗教にこだわっていては、いつまでたっても正しい信仰につく事が出来ません。宗教や信仰はどこまでも正しくなくてはなりません。正法に目覚めることが最重要です。さあ正法を信仰して最高の幸せ者になりましょう。

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