平成十九年六月度座談会
弘安二年八月     五十八歳
四 条 金 吾 殿 御 書

 「在家の人々も、我が父母、地獄・餓鬼・畜生におちて苦患をうくるをばとぶらはずして、我は衣服・飲食にあきみち、牛馬眷属充満して我が心に任せてたのしむ人をば、いかに父母のうらやましく恨み給ふらん。僧の中にも父母師匠の命日をとぶらふ人はまれなり。定めて天の日月・地の地神いかりいきどをり給ひて、不孝の者とおもはせ給ふらん。形は人にして畜生のごとし、人頭鹿とも申すべきなり。」
(新編470頁)

(通釈)
 また在家の人々でも、自らの父母が地獄、餓鬼、畜生の三悪道に堕ちて苦しみや、災いを受けているのを弔わないで、自分の衣服、飲食に飽き満ち、牛馬、眷属は充満して、自分の心に任せて楽しむ人を、父母はどれ程うらやみ、恨まれる事であろうか。僧侶の中にも父母、師匠の命日に弔う人は稀である。定めて天の日月、地の地神は怒り憤って不幸の者と思っておられるであろう。このような不幸の人は姿形は人間であっても畜生のようなものである。人頭鹿とも言うべきである。

(解説)
 地獄餓鬼畜生の三悪道は決して遠いところに存在するのではなく、自らの命の中に、心の中に存在しているのである。正法を信受せず悪法に執着すれば謗法の報いを受けて三悪道に堕ち、父母や兄弟子供を正法によって弔う事なく、自らの欲望のみに溺れれば、また不幸の者の報いを受けねばならない。正法を知り、正法を信受し、正法を修し、正法を教え、正法によって父母眷属一切の人々を三悪道より救い出す事の尊さを絶対に忘れてはなりません。さあ正法の功徳で悪世の中の人々を啓蒙していきましょう。

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