平成19年11月度座談会
新 池 御 書

 「願はくは今度人間に生まれて諸事を閣いて三宝を供養し、後世菩提をたすからんと願へども、たまたま人間に来たる時は、名聞名利の風はげしく、仏道修行の灯は消えやすし。無益の事には財宝をつくすにおしからず。仏法僧にすこしの供養をなすには是をものうく思ふ事、これただごとにあらず、地獄の使ひのきをふものなり。寸善尺魔と申すは是なり」(新編1457頁)

(通釈)
 願わくは今度、人間に生まれて来た時は何を差し置いても三宝を供養し、後生の成仏をはたし助けて頂きたいと願っていても、たまたま人間に生まれて来た時には名聞名利の風が激しく、仏道修行の灯は消えやすいものである。無益の事には財宝を尽くしても惜しくも思わないのに、仏法僧の三宝に少しの供養をするにつけ、これを惜しみ物憂く思う事、これはただ事ではない。地獄の使いと競う者である。善行は少なく魔の働きは大きいと言うのはこれである。

(解説)
 人間は酒やギャンブルや、遊興など無益な事にお金を使う事は厭わないが、仏法僧の三宝に真心の御供養をし、功徳善根を積む事に悦びを感じ積極的に励む人は少ない。このような人は幸せどころか地獄へ堕ちてしまう事になりかねません。又、心中の魔を打ち破る事が大切です。真の三宝への寸善は尺魔を払い大善となる事を実証しよう。

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