平成19年12月度座談会
建治四年二月二十三日  五十七歳
三 沢 抄

 「此の法門出現せば、正法像法に論師人師の申せし法門は皆日出でて後の星の光、巧匠の後に拙きを知るなるべし。此の時には正像の寺堂の仏像・僧等の霊験は皆きへうせて、但此の大法のみ一閻浮提に流布すべしとみへて候。各々はかかる法門にちぎり有る人なればたのもしとをぼすべし」(新編1204頁)

(通釈)
この法門が一度末法に出現するならば正法、像法時代の論師、人師が弘めた法門は皆太陽が昇った後の星の光のように消え失せ、見事な名匠の作品を見て後の下手な拙き作品を知るようなものである。此の末法では正像二千年の寺院や宗旨の仏像や僧侶の祈りの霊験は皆消え失せて、但南無妙法蓮華経の大法のみが一閻浮提に広宣流布すると仰せられている。各々方はこのような尊い法門に有縁の人であり、頼もしい事と思わねばならない。

(解説)
 大聖人が竜の口の法難以後「佐渡の国より弟子どもに内々申す法門あり」と仰せになって末法の御本仏、大聖人が上行菩薩の再誕として御出ましになり、愈々三大秘法の大事な御法門を明かされ、正像二千年の諸宗の法門は爾前の権教である所以を述べられているのである。諸宗の仏像に霊験のない事を知らねばならない。此の御文を通して諸宗を打ち破り、念仏、真言等に執着している人を折伏しよう。

戻る