平成20年6月度座談会
祈 祷 抄
文永九年      五十一歳

 「行者は必ず不実なりとも智恵はをろかなりとも身は不浄なりとも戒徳は備えずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給ふべし。袋きたなしとて金を捨つる事なかれ、伊蘭をにくまば栴檀あるべからず。谷の池を不浄なりと嫌はば蓮を取るべからず。行者を嫌ひ給はば誓ひを破り給ひなん。」(新編630頁)

(通釈)
 行者は不誠実であっても、智恵は愚かであっても、その身は不浄であっても、戒徳は備えていなくとも、南無妙法蓮華経と唱え申し上げるならば、諸天は必ず守護して下さるだろう。袋が汚いと言って、その中にある金まで一緒に捨ててはいけない。悪臭を発する伊蘭を嫌うならば香気のある栴檀を手に入れる事はできない。谷の池を不浄であると嫌うならば、その中に咲く蓮を取る事はできない。法華経の行者をお嫌いになるのでしたら、誓いを破る事になるでしょう 。

(解説)
 日蓮大聖人が一閻浮提第一の法華経の行者として、三類の強敵と戦い、諸難をしのいでおられる尊い御姿を誤解して、日蓮大聖人に怨嫉する僧俗があり、大聖人様に対して、もう少し柔らかに教化すべきであるとか、逆に大聖人様に忠告する人もいたと仰せられている。また、大聖人様の佐渡御流罪を見て、鎌倉在住の信徒の大半が退転したとも言われている。大聖人様の御振舞を正しく受け止める事ができず、怨嫉批判し、落ちていく人、退転する人も、事実あったのである。外見だけに執われる事、並びに怨嫉する事の恐ろしさを知らなければならない 。  

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