御書講(平成十九年四月)
文永十年八月十五日  五十二歳
経王殿御返事(一)

  其の後御おとづれきかまほしく候ひつるところに、わざと人ををくり給び候。又何よりも重宝たるあし、山海を尋ぬるとも日蓮が身には時に当たりて大切に候。夫について経王御前の事、二六時中に日月天に祈り申し候。先日のまぼり暫時も身をはなさずたもち給へ。其の御本尊は正法・像法二時には習へる人だにもなし。ましてかき顕はし奉る事たえたり。師子王は前三後一と申して、ありの子を取らんとするにも、又たけきものを取らんとする時も、いきをひを出だす事はただをなじき事なり。日蓮守護たる処の御本尊をしたため参らせ候事も師子王にをとるべからず。経に云はく「師子奮迅之力」とは是なり。又此の曼茶羅能く能く信じさせ給ふべし。南無妙法蓮華経は師子吼の如し。いかなる病さはりをなすべきや。鬼子母神・十羅刹女、法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり。さいはいは愛染の如く、福は毘沙門の如くなるべし。いかなる処にて遊びたはぶるともつつがあるべからず。遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし。十羅刹女の中にも皐諦女の守護ふかかるべきなり。
(新編六八五頁)


(通釈)
  その後お便りを聞きたいと思っていたところに、わざわざ人を遣わして頂き有難うございました。また何よりも重宝なお金の御供養を賜りましたが、これは山海を尋ねても、日蓮が身には時に当たって大切であります。お便りにあった、經王御前の事については昼夜に日月天に祈っております。先日御下附した御守り御本尊はしばらくも身から離さず護持して行きなさい。その御本尊は正法像法の二時には習い伝えた人は一人もいない。まして書き顕した事は絶えてなかった。師子王は前三後一と言って、蟻の子を取ろうとする時にも、また猛々しい動物を取らんとする時も、その勢いを取り出だすことは全く同じことである。日蓮が守護の御本尊をしたためるのも師子王に劣ることはない。同じ姿勢で顕したものである。法華経の涌出品に「師子奮迅の力」とあるのはこれである。またこの曼荼羅をよくよく信じなさい。南無妙法蓮華経は獅子吼のようなものである。いかなる病が障りをなすことが出来ようか。鬼子母神・十羅刹女は法華経の題目を持つものを守護すると経文に見えている。幸いは愛染明王のように、福は毘沙門天のように備わっていくであろう。たとえいかなる処にて遊び戯れても、災難に遭うはずがない。悠々と遊行して恐れのない事は師子王のようである。十羅刹女の中にも、皐諦女の守護が特に深いことであろう。
 

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