御書講(平成十九年五月)
文永十年八月十五日  五十二歳
経王殿御返事(二)

  但し御信心によるべし。つる(剣)ぎなんども、すす(進)まざる人のためには用ふる事なし。法華経の剣は信心のけなげ(健気)なる人こそ用ふる事なれ。鬼にかなぼう(鉄棒)たるべし。日蓮がたま(魂)しひをすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意(みこころ)は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。妙楽云はく「顕本遠寿を以て其の命と為す」と釈し給ふ。経王御前にはわざはひも転じて幸(さいわ)ひとなるべし。あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき。「充満其願、如清涼池」「現世安穏、後生善処」疑ひなからん。又申し候。当国の大難ゆ(赦)り候はば、いそぎいそぎ鎌倉へ上(のぼ)り見参いたすべし。法華経の功力を思ひやり候へば不老不死目前にあり。ただ歎く所は露命計(ろめいばか)りなり。天たすけ給へと強盛に申し候。浄徳夫人・竜女の跡をつがせ給へ。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。あなかしこ、あなかしこ。
八月十五日    日 蓮 花押    経王御前御返事
(新編六八五頁)


(通釈)
   但し御信心によるのである。剣なんども勇気のない人のためには何の役にも立たない。法華経の剣(南無妙法蓮華経の御本尊)は信心の殊勝の人が用いる時こそ役に立つのであり、これこそ鬼に金棒なのである。此の御本尊は日蓮が魂を墨に染めながして書きしたためたものである。信じて行きなさい。釈迦仏の本意は法華経である。日蓮が魂は南無妙法蓮華経に過ぎたるものはない。妙楽大師の法華文句記に「本地の遠寿を顕すことを以てその根本と為す」と釈されている。経王御前にとっては今の禍も転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こして此の御本尊に祈念なさい。何事か成就しない事があろうか。法華経の薬王品には「其の願いが充満して清涼池の如し」とあり、薬草喩品には「現世は安穏にして後の世に善処へ生まれる」とある。此等の経文の通りになることは疑いないところである。また申し上げましょう。佐渡の国への流罪という大難が放免されたならば、大急ぎで鎌倉へ上りお目にかかりましょう。法華経の功徳力を思うと不老不死は目前にある。ただ歎くところは経王御前の露に及ばない命だけである。天助けた給へと強盛に祈っております。浄徳夫人や竜女の信心の跡を継ぎなさい。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。あなかしこ、あなかしこ。
八月十五日    日 蓮 花押    経王御前御返事
 

戻る