御書講(平成十九年七月)
文永十一年一月十四日  五十三歳
法華行者値難事(二)

  真言宗の善無畏・不空等、華厳宗の杜順・智儼等、三論法相等の人師等は実経の文を会して権の義に順ぜしむる人々なり。竜樹・天親等の論師は内に鑑みて外に発せざる論師なり。経の如く宣伝すること正法の四依も天台・伝教には如かず。而るに仏記の如くんば末法に入って法華経の行者有るべし。其の時の大難在世に超過せん云云。仏に九横の大難有り。所謂孫陀梨が謗と、金鏘と、馬麦と、琉璃の釈を殺すと、乞食空鉢と、旃遮女の謗と、調達が山を推すと、寒風に衣を索む等なり。其の上一切の外道の讒奏は上に引くが如し。記文の如くんば天台・伝教も仏記に及ばず。
  之を以て之を案ずるに末法の始めに仏説の如き行者世に出現せんか。而るに文永十年十二月七日武蔵前司殿より佐渡国へ下す状に云はく、自判之在り
  佐渡国の流人の僧日蓮、弟子等を引率し、悪行を巧むの由其の聞こえ有り。所行の企て甚だ以て奇怪なり。今より以後、彼の僧に相随はんの輩に於ては炳誡を加へしむべし。猶以て違犯せしめば、交名を注進せらるべきの由候所なり。仍って執達件の如し。
     文永十年十二月七日        沙門 観 恵上る
   依智六郎左衛門尉殿等云云。   
  此の状に云はく「悪行を巧む」等云云。外道が云はく「瞿曇は大悪人なり」等云云。又九横の難一々に之在り。所謂琉璃殺釈と乞食空鉢と寒風索衣とは仏世に超過せる大難なり。恐らくは天台・伝教も未だ此の難に値ひたまはず。当に知るべし、三人に日蓮を入れて四人と為す。法華経の行者末法に有るか。喜ばしいかな、況滅度後の記文に当たれり。悲しいかな、国中の諸人阿鼻獄に入りなんとす。茂きを厭うて子細に之を記さず。心を以て之を惟へ。
   文永十一年甲戌正月十四日        日  蓮 花押
  一切の諸人之を見聞し、志有らん人々は互ひに之を語れ。(新編七二〇頁)


(通釈)
   真言宗の善無畏・不空等、華厳宗の杜順・智儼等、三論宗の人師等は法華の実経の文を曲会し方便権経の為に順わしめた人師である。かつて印度の竜樹・天親等の論師は内心に法華実経を充分に知っていたが、外には発表し弘めることはされなかった論師である。故に経文の如く宣伝したのは天台・伝教で、正法の四依の導師である竜樹・天親も及ばないのである。しかるに仏の法華経の予証には末法に入って法華経の行者が出現するとあり、かつ其の時の大難は釈尊の在世を凌ぐものと説かれている。釈尊の在世に九横の大難があった。いわゆる孫陀梨女が釈尊を謗ったこと、金鏘、すなわち婆羅門城の下婢が仏に腐った食物を与えた事。馬麦、すなわち阿耆多王が馬の食う麦を仏に与えた事。琉璃王が無量の釈子を殺した事。仏が婆羅門城を乞食の時、王が供養を停止した事。旃遮婆羅門女が鉢を腹に入れて仏の子を孕んだと謗った事。提婆達多が大石を飛ばして仏の足に傷を付けた事。厳寒、三衣を求めて僅かに寒さをふさがれた事等である。その上全ての婆羅門が一緒になって仏を讒奏した事は上に引いた涅槃経の通りである。もし末法に出現すべき法華経の行者がはたして仏の予証の如くならば、天台・伝教の難等も到底及ぶ所ではない。
  此等の事情を以って考えてみるのに末法の初めには仏説に合する様な法華経の行者が世に出現しなければならぬ。しかるに文永十年十二月七日武蔵の前司、すなわち北条宗時から佐渡の国へ下された状に、
  「佐渡の国の流人の僧日蓮が弟子等を引き連れて、悪行を企む由報告があった。所行の企ては甚だ奇怪である。今日より僧日蓮に従っている輩は厳重に取り締まる事にする。それでも違反する者はその名を申し出せよ。」
  文永十年十二月七日               沙門 観 恵上る
   依智六郎左衛門尉殿等
  此の書状に「悪行を企む」等とあるのは丁度婆羅門が「瞿曇は大悪人なり」等と言ったのに当っている。又すなわち弟子達の殺された事は琉璃殺害に当り、佐渡塚原三昧堂に僅かに雪を食って命をつないだ事は乞食不鉢に当り、また寒風に着るべき三衣の無かった事は寒風索衣に当るという風に、釈尊の九横の大難は一々に我が身に当っているばかりでなく、仏の在世にも凌ぐ大難である。恐らくは天台・伝教も未だこれ程の大難には値われまい。当に知るべし、三人に日蓮を加えて四人となす法華経の行者が末法に有るべきである。日蓮が況滅度後と言う末法の法華経の行者出現の予証に当っている事は喜ばしい事である。悲しいかな国中の諸人は阿鼻地獄に堕ちんとしている。繁くなるから子細は記さない。心中で推量して下さい。
   文永十一年正月十四日              日  蓮 花押
  一切の諸人当抄を読み聞かせ末法の法華経の行者の弟子としての志のある人々は互いに決意を語り合いなさい。

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