御書講(平成十九年九月)
文永十一年六月十六日  五十三歳
国府尼御前御書(二)

 しかるに尼ごぜん並びに入道殿は彼の国に有る時は人めををそれて夜中に食ををくり、或時は国のせめをもはばからず、身にもかわらんとせし人々なり。さればつらかりし国なれども、そりたるかみをうしろへひかれ、すすむあしもかへりしぞかし。いかなる過去のえんにてやありけんと、をぼつかなかりしに、又いつしかこれまでさしも大事なるわが夫を御つかいにてつかわされて候。ゆめか、まぼろしか、尼ごぜんの御すがたをばみまいらせ候はねども、心をばこれにとこそをぼへ候へ。日蓮こいしくをはせば、常に出づる日、ゆうべにいづる月ををがませ給へ。いつとなく日月にかげをうかぶる身なり。又後生には霊山浄土にまいりあひまひらせん。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
  六月十六日             日  蓮 花押
さどの国のこうの尼御前


(通釈)
 でありますから、ある時には数百人の者に詈られ、ある時は数千人の人々に取りこめられて、刀で切られ杖で打たれる大難に値った。処を追い出され国を出されたため、結局は北条執権から二度まで御勘気を受けて、一度は弘長元年五月十二日に伊豆の国伊東に流され、今度は佐渡の島へ流罪となったのである。それ故に身命を継ぐ命の糧もない。形を隠す藤の衣も持たず、北海の孤島に放たれたため、佐渡の国の僧侶や俗人は相州の男女よりも日蓮を憎み怨をなした。野原の中に捨てられたため雪が肌に降りかかるような有様で、草を摘んで命を支えて来たのである。彼の中国の蘇武が胡国に十九年も囚われて雪を食って年月を過ごし、李陵という人が奴国に六年も岩窟に押し込められていた苦しみを、今我が身に体験したのである。しかしこれは日蓮には一向に咎はなく、ただ日本国を救けんと思ってやった事である。
  しかるに尼御前並びに入道殿は日蓮が佐渡の国に有った時は人目を恐れて夜中に食物を送って供養し、ある時は国の責めをもはばからず、日蓮の身替わりにもなろうとした人である。それ故に辛かった佐渡の国ではあったが、鎌倉へ帰る時は剃った髪を後ろへ引かれるようで、進む足も前には出ない程であった。如何なる過去の因縁であろうか。尊い過去の契りが有ったに違いない。一別以来久しく佐渡の音信も聞かないので心許なく存じていたところへ、またいつしか大事な我が夫を御使としてはるばる身延へ使わされた事は夢なのか幻ではないのかと嬉しく思っている。尼御前の姿はないけれども心はここに留め置かれるように思われる。もし日蓮が恋しく思われた時は、常に出る日、夕べには月を拝まれるとよい。いつとなく日月に影を浮かべる身である。また後生には霊山淨土でお値い致しましょう。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
  六月十六日                 日  蓮 花押
さどの国のこうの尼御前

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