御書講(平成十九年十一月)
文永十二年一月二十七日  五十四歳
四条金吾殿女房御返事(二)

 仏法のみならず外典にも栄啓期と申せし者三楽をうたいし中に、無女楽と申して天地の中に女人と生まれざる事を楽とこそたてられて候ヘ。わざわいは三女よりをこれりと定められて候に、此の法華経計りに、此の経を持つ女人は一切の女人にすぎたるのみならず、一切の男子にこえたりとみへて候。せんずるところは一切の人にそしられて候よりも、女人の御ためには、いとをしとをもわしき男に、ふびんとをもわれたらんにはすぎじ。一切の人はにくまばにくめ、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏乃至梵王・帝釈・日月等にだにも、ふびんとをもわれまいらせなば、なにくるし。法華経にだにもほめられたてまつりなば、なにかたつまじかるベき。今三十三の御やくとて、御ふせをくりたびて候へば、釈迦仏・法華経・日天の御まえに申しあげ候ひぬ。人の身には左右の肩あり。このかたに二つの神をはします。一をば同名神、二をば同生神と申す。此の二つの神は梵天・帝釈・日月の人をまぼらせんがために、母の腹の内に入りしよりこのかた一生ををわるまで、影のごとく眼のごとくつき随ひて候が、人の悪をつくり善をなしなむどし候をば、つゆちりばかりものこさず、天にうたヘまいらせ候なるぞ (新編七五六頁)

(通釈)
 仏法のみならず中国の外典にも栄啓期という人が三つの楽しみを謳った中に無女楽と言って、天地の中で女人と生まれなかった事を一つの楽しみとして挙げられている。また禍は三女より起こったと言って定められているが、此の法華経ばかりに、此の法華経を持つ女人は一切の女人に勝れるのみならず、一切の男子にも勝れているとみえている。所詮一切の人に謗られるよりも、女人のためには、愛おしいと思う男より不敏と思われる本望に過ぎるものはない。一切の人々が如何に憎もうとも憎まば憎め、釈尊、多宝如来、十方の諸仏を始め大梵天王、帝釈天王、日月天等から不敏と思われたならば本懐であり、何の苦しい事があろうか。法華経にさえ讃られたならば何の不足があろうか。今年は三十三の厄年であるとて、御布施の品々を送られたので、その志を釈迦仏、法華経並びに日天等に申し上げました。人の身には左右の肩があり、此の肩に左右の神が御座します。一をば同名神、二をば同生神と申します。此の二つの神は大梵天王、帝釈天王、日月天が人を護らせんがために、母の腹の胎内に宿った時より已来一生を終えるまで影の如く眼の如く、付き従って、人の善悪等を露ほども残さず、諸天に訴え報告するのである。

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