御書講(平成20年2月)
建治元年五月八日  五十四歳
一谷入道女房御書(二)


 弘演(こうえん)といいし者は、主(きみ)衛の懿公(いこう)の肝(きも)を取りて我が腹を割(さ)きて納めて死にき。予譲(よじょう)といいし者は主の智伯(ちはく)がはぢをすすがんがために剣をのみて死せしぞかし。此はただわづかの世間の恩をほう(報)ぜんがためぞかし。いわ(況)うや無量劫より已来(このかた)六道に沈淪(ちんりん)して仏にならざることは、法華経の御ために身をを(惜)しみ命をす(捨)てざるゆへ(故)ぞかし。されば喜(き)見菩薩(けんぼさつ)と申せし菩薩は、千二百歳が間身をや(焼)きて日月浄明徳仏(にちがつじょうみょうとくぶつ)を供養し、七万二千歳が間ひぢ(臂)をや(焼)きて法華経を供養し奉る。其の人は今の薬王菩薩ぞかし。不軽菩薩は法華経の御ために多劫(こう)が間罵詈毀辱(めりきにく)・杖木瓦礫(じょうもくがりゃく)にせめられき。今の釈迦仏に有らずや。されば仏になる道は時によりてしなじな(品品)にかわりて行ずべきにや。今の世には法華経はさる事にてをはすれども、時によて(依)事こと(異)なるなら(習)ひなれば、山林にまじ(交)わりて読誦すとも、将又(はたまた)里に住して演説すとも、持戒にて行ずとも、臂(ひ)をや(焼)ひてく(供)やう(養)すとも仏にはなるべからず。(新編826頁)

(通釈)
 弘演という人は、主君の衛の懿公が他国の者に殺された時、自分の腹を割いて、懿公の肝を入れて主君への恩を報じたという。
  予譲という者は主君の智伯が趙の襄子に殺され、その恥辱を晴らさんが為に剣に伏して死んだという。
  此等は僅かばかりの世間の恩義を報ぜんとしたのである。まして仏法の上の報恩はそれ以上でなければならない。
  過去無量劫より已来我等が六道に輪廻して仏になれなかったのは法華経の為に我が身を惜しみ、命を捨てなかったが故である。法華経に命を捧げるならば仏に成るであろう。
  例の喜見菩薩は千二百年の間己の身を焼いて、日月浄明徳仏に供養して七万二千歳が間その臂を焼いて法華経に供養した。今の薬王菩薩がそれである。
  また不軽菩薩という人は多劫の間法華経の為に罵詈毀辱せられ、また杖木にて打たれ、瓦礫を投げられた。今の釈迦仏の前身がこの不軽菩薩である。
  従って仏になる道は時により、種々に替わって修行すべきである。
  今の世には法華経が弘まるべきではあるが、修行は時によって異なる事であるが故に、山林に交わって法華経を読誦したり、将又里に住して演説すれども、戒を守って修行するとも、臂を焼いて供養をすれども仏にはなれないのである。

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