御書講(平成20年3月)
建治元年五月八日  五十四歳
一谷入道女房御書(三)


 日本国は仏法盛んなるやうなれども仏法について不思議あり。人是を知らず。譬へば虫の火に入り鳥の蛇の口に入るが如し。真言師・華厳宗・法相・三論・禅宗・浄土宗・律宗等の人々は我も法をえ(得)たり、我も生死をはな(離)れなんとはをも(思)へども、立てはじめし本師等依経(えきょう)の心をわきま(弁)へず、但我が心のをもひ(思)つ(付)きてありしまヽに、その経をとりたてんとおもうはかなき(儚)心ばかりにて、法華経にそむけば仏意(ぶっち)に叶(かな)はざる事をばし(知)らずしてひろ(弘)めゆくほどに、国主万民これを信じぬ。又他国へわた(渡)りぬ。又年もひさし(久)くなりぬ。末々の学者等は本師のあやまり( 誤)をばし(知)らずして、師のごとくひ(弘)ろめなら(習)う人々を智者とはをも(思)へり。源にごり(濁)ぬればながれ(流)きよ(浄)からず。身まが(曲)ればかげ(影)なを(直)からず。真言の元祖善無畏(ぜんむい)等はすでに地獄に堕(お)ちぬべかりしが、或は改悔(かいげ)して地獄を脱(のが)れたる者もあり。或は只(ただ)依経計りをひろめて法華経の讃歎(さんだん)をもせざれば、生死は離れねども悪道に堕ちざる人もあり。而(しか)るを末々の者此の事を知らずして諸人一同に信をなしぬ。譬へば破(やぶ)れたる船に乗りて大海に浮かび、酒に酔(よ)へる者の火の中に臥(ふ)せるが如し。
  日蓮是を見し故に忽(たちま)ちに菩提心(ぼだいしん)を発こして此の事を申し始めしなり。世間の人々いかに申すとも信ずることはあるべからず。
(新編826頁)

(通釈)
 日本国は仏法が盛んなようであるが、仏法に就いて、不思議な事がある。世間の人々は、これを知らない。例えば、虫が飛んで火に入り、鳥が蛇の口に入るようなものである。真言師、華厳宗、三論宗、法相、三論、禅宗、浄土宗、律宗等の人々は我も法を得た。我も生死を離れ、成仏したと思っている。しかし、最初にその宗旨を立てた本師たちが、その依経の心を弁えず、ただ自分の心の思い付きのままに、その依経を取り立てようとする浅薄愚劣な心ばかりであるから、法華経に背けば、仏意に叶わない事を知らずして弘めていく程に、国主も万人もこれを信じてしまったのである。また他国へ伝えられた。また、年も久しくなった。末々の学者達は本師の誤りを知らずして、師の如く弘め習う人を智者と思っている。諸宗の源が濁っていると、その流れは清いはずがない。身体が曲がれば、その影も垂直ではない。真言宗の開祖である善無畏や、諸宗の開祖達は、すでに地獄に堕ちてしまった。しかし、その謗法の罪を悔い改めて地獄を免れた者もあったり、或は唯各自の依経だけを弘めて、法華経を讃めもしなければ、譏りもしないので、生死を離れないまでも、悪道には堕ちない者もあった。しかし、その理由を後世の人が知らないで、多数の人々が一同にその教えを信じているのである。譬えるならば、壊れた舟に乗って大海に出たり、酒に酔っている者が、火の中で寝たりするような危険この上ない信仰である。
  日蓮はこの諸人の地獄に堕ちる有様を見たために、衆生を救済しようという大菩提心を起こして、この法華の法門を唱導し始めたのである。世間の人々がいかに言われようとも、諸宗を信じてはなりません。

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