御書講(平成20年7月)
建治元年五月八日  五十四歳
一谷入道女房御書(六)


 謗法の大水、法華経を信ずる小火をけ(消)さん事疑ひなかるべし。入道地獄に堕(お)つるならば還って日蓮が失(とが)になるべし。如何がせん如何(いかん)がせんと思ひわづらひて今まで法華経を渡し奉らず。渡し進(まい)らせんが為にまうけ(設)まいらせて有りつる法華経をば、鎌倉の焼亡に取り失ひ参らせて候由申す。旁(かたがた)入道の法華経の縁はなかりけり。約束申しける我が心も不思議なり。又我とはすゝまざりしを、鎌倉の尼の還りの用途(ようど)に歎きし故に、口入(くにゅう)有りし事なげかし。本銭(もとせん)に利分を添へて返さんとすれば、又弟子が云はく、御約束違ひなんど申す。旁(かたがた)進退極(きわ)まりて候へども、人の思はん様は誑惑(おうわく)の様なるべし。力及ばずして法華経を一部十巻渡し奉る。入道よりもうば(姥)にてありし者は内々心よせなりしかば、是を持ち給へ。
(新編829頁)

(通釈)
 謗法の大水が、法華経を信ずる小火を消す事は疑いない事であろう。一谷入道が地獄に堕ちるならば、かえって日蓮の過失になるだろう。どうしようかとどうしようかと思い患って、今まで法華経をお渡ししませんでした。お渡しするために用意いたしました法華経を、鎌倉の焼亡によって紛失してしまった経緯を申し上げます。入道の法華経の縁はなかったという事でしょう。約束いたしました私の心も不思議です。又、私としては気が進まなかったが、鎌倉の尼の帰りの路銀について嘆いたために、口添えをした事が嘆かわしい。お借りしたお金に利子分を添えて返そうとすれば、又弟子がいうには、お約束を違えたなどと言う。進退が極まってしまいましたけれども、人の思い患う様子は誑惑の様子であろう。力が及ばなくて法華経を一部十巻を渡し申し上げました。入道よりも法華経の乳母であった者は内々ひいきにしておりますので、これをお持ちください。

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