御書講(平成20年9月)
建治元年五月八日  五十四歳
一谷入道女房御書(九)


 抑蒙古国より責めん時は如何がせさせ給ふべき。此の法華経をいただき(戴き)、頸(くび)にかけ(懸)させ給ひて北山へ登らせ給ふとも、年(とし)此(ごろ)念仏者を養ひ念仏を申して、釈迦仏、法華経の御敵とならせ給ひて有りし事は久しし。又若(も)し命ともなるならば法華経ばし恨(うら)みさせ給ふなよ。また閻魔(えんま)王宮にしては何とか仰せあるべき。をこがましき事とはおぼすとも、其の時は日蓮が檀那なりとこそ仰せあらんずらめ。又是はさてをきぬ。此の法華経をば学乗(がくじょう)房(ぼう)に常に開かせ給ふべし。人如何に云ふとも、念仏者、真言師、持(じ)斎(さい)なんどにばし開かせ給ふべからず。又日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持たざらん者をば御用ひあるべからず。恐々謹言。
 五月八日 日蓮花押 一谷入道女房 (新編御書 八三〇)

(通釈)
 そもそも蒙古国から攻められる時には、どうなさるお積もりですか。たとえこの法華経を戴き、頸にお掛けなさって、北山へお登りになろうとも、長年念仏者を養い、自らも念仏をお唱えになり、釈尊や法華経の御敵になっていた期間はとても長いのですよ。又もしもあなたがお亡くなりになるような事があっても、法華経を恨んではなりません。もしそのような事になったら閻魔王宮においてなんと申し上げるのですか。おこがましい事とは思いますが、その時には日蓮の弟子檀那であると申し上げなさい。
  ところで、この法華経を学乗房に常に開かせなさい。人々が何と言おうとも、念仏者、真言師、持斎等には、法華経を開かせてはなりません。また、たとえ日蓮の弟子であると名乗る者であっても、日蓮の判を持たない者には、法華経を開かせてはなりません。謹んで申し上げます。

 五月八日 日蓮花押 一谷入道女房

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