御書講(平成21年2月)
立正安国論(一)


 旅客来たりて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘遍く天下に満ち、広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩既に大半に超え、之を悲しまざるの族敢へて一人も無し。然る間、或は利剣即是の文を専らにして西土教主の名を唱へ、或は衆病悉除の願を恃みて東方如来の経を誦し、或は病即消滅不老不死の詞を仰いで法華真実の妙文を崇め、或は七難即滅七福即生の句を信じて百座百講の儀を調へ、有るは秘密真言の教に因って五瓶の水を灑ぎ、有るは坐禅入定の儀を全うして空観の月を澄まし、若しくは七鬼神の号を書して千門に押し、若しくは五大力の形を図して万戸に懸け、若しくは天神地祗を拝して四角四堺の祭祀を企て、若しくは万民百姓哀れみて国主国宰の徳政を行なふ。然りと雖も唯肝胆を摧くのみにして弥飢疫に逼り、乞客目に溢れ死人眼に満てり。臥せる屍を観と為し、並べる尸を橋と作す。観れば夫二離璧を合はせ、五緯珠を連ぬ。三宝も世に在し、百王未だ窮まらざるに、此の世早く衰へ、其の法何ぞ廃れたるや。是何なる禍に依り、是何なる誤りに由るや。
(新編御書 832)

(通釈)
 旅客が来て嘆いて言う。近年の正嘉元年から文応元年七月の近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘が全てに亘って広く天下に満ち、地上にはびこっている。牛馬は町中のいたるところにに死んでおり、骸骨は道路に充満している。死者は既に大半をこえ、これを悲しまない者は決していない。そこでこのような悲惨さから逃れようと、ある者は浄土宗の「罪業を切る利剣は阿弥陀仏の名号を唱える事だ」との文を信じて念仏を唱え、ある者は天台宗の「衆の病は悉く除かれる」という薬師如来の願を恃んで当方薬師如来の経を読み、ある者は法華経の「この経を聞けば病が消滅して不老不死となろう」との文を仰いで法華経を真実の妙文と崇め、ある者は仁王般若経の「般若経を講讃すれば七難は滅して七福を生じる」との句を信じて百人の僧がこの経を講ずるという仁王経を修し、ある者は秘密真言の教によって五nに水をそそいで災難を払う祈祷をし、ある者は禅宗の修法によって座禅をくみ、心を一所に定め全てを空を観じて苦悩から解放されようとしている。またある者は七鬼神の名を書いて千軒の門に貼ったり、ある者は仁王経により五大力菩薩の形を描いて万戸にかけ、ある者は天神・地神を拝んで四角四堺の祭りをして災難を除く祈りをささげたり、また一切衆生の窮状を哀れんで国主。国宰といわれる為政者は徳政を行っている。しかしながらこのように何とかしようと苦心し努力しているが、実のところ何の効果もなく飢饉や疫病が厳しくなっている。乞食は町中にあふれ、死人もまた見られる。死骸は高く積みあげられ物見台のようであり、並べた死骸は川に架ける橋のようである。思い巡らすと太陽や月は勢と光の恵みを与え、木星・火星・金星・水星・土星の五つの惑星は珠を連ねたように正しく運行し、仏法僧の三宝も世に尊ばれており、八幡大菩薩の百王守護の誓いがあるのに、百代を過ぎる前からこの世は早くも衰えてしまい王法はどうして廃れてしまったのであろうか。これはどのような災禍によって生じたのであろうか。如何なる誤りによって起こってしまったのであろう。

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