『日曜講話』第一号(昭和63年3月6日発行)
正しい信心を生涯つらぬけ

 皆さん、お早うございます。この雪の中を早朝から御参詣頂きまして誠に御苦労様でございます。
  今日の時代と申しますか、現代を医学的な見地から検討いたしますと、今は、成人病の時代と申しますか、あるいは又、老人の医療の時代と言う風に言われております。
  皆様方も御承知のように成人病と申しますと、代表的なものは、脳卒中であるとか、癌、肝臓病、心臓病、高血圧、糖尿病等々。こうした成人を迎えると共に、いつとはなしに自分の体の上に現れてくる病気というものが、非常に多いのでございます。私たちの身の回りにも、今、血圧の高い人もいらっしゃいます。あるいは、糖尿病のインシュリン等々の薬を射ちながら勤めていらっしゃる方もおられます。
  そういう風にして成人病というものは、どちらかと申しますと、自分の長い食生活の中で、生活の習慣の中から自分で作ってしまった病気というものが、非常に多いのであります。若い時は若さにまかせて、やりたい放題のことをし、飲みたいだけお酒を飲み、そして、いつとはなしに、そういう生活を十五年、二十年と続けていく間に、自分が自分自身で、そういう体にしてしまった、そういう病に、いつとはなしに、冒される自分に自分が作ってしまったと、そういうことが、又、多いということも事実でございます。そして一旦そういう病に冒されますと、やはり現代の医学の力をもってしても、あるいは又、いろんなお薬や治療を重ねても、元のようにはもう快復することはできない。一生その病とお付合いをしながら生きていかなければならない。その間に転移ということがあったり、又、余病ということがあったり、又、段々段々、老化が進んで行くということでもって、余命を延ばすということも非常に難しい。精々三年なり、五年なり、七年、十年ぐらいが一つの限度で、それ以上に自分の余命を延ばすことは、よほどのことがない限り難しいというのが成人病の怖さということでございます。
  ならば、そういう成人病を凌ぐ一つの秘訣がないのかというと、決して、これ又そうではないのであります。 これは、医事評論家の水野肇さんという方の論文を、私たまたま読んだのでございますが、その中にこういうことが書いてありました。かつて、ロンドン大学のブロック、グレスゴーという二人のお医者さんが、四十五歳の男性の患者さんが、余命を、これから後の人生を何年生きるかということを、約七千人の男性について、その後の余命の統計をとってみたというのであります。その時に、その人が四十五歳以降どういう生活習慣の中に生きて余命を延ばすかということを、詳しく調べてみたというのであります。それは、七項目にわたっての調査をしたというのであります。
  一つは、その人が四十五歳以降、規則正しい三度の食事をとっていたかどうかが第一点。第二は、その中でも特に朝御飯、朝食を抜いていなかったか、朝食を食べないで会社へ駆付けて行ったり、そういう生活をしなかったかどうか。三番目には、適度の運動を毎週二回ないし三回、ずぅっと続ける、そういうことをしたかどうか。四番目は、適度の睡眠。いわゆる子供のころから七時間ないし八時間の睡眠がやはり一番大切という風に言われておりますね。そういう睡眠を充分にとったかどうか。五番目には、煙草をやめることができたかどうかということ。そして六番目は、適当な体重のコントロールですね。よくお医者さんが、もう少し体重おとしなさいと言われますね。それをよく守って、自分なりにそういう体重をコントロールすることを努力したかどうか。そして、最後にはアルコールをやめたか、あるいは適量を守ったか、あるいは飲み続けたか。そういう七項目にわたって調査をしたというのであります。これは言われてみると、全く当り前のことで、誰でも自分の心掛け次第でどうにでもなるごく平凡な事柄でございます。
  しかし、この七つのうちで、どれでもいい、二つか三つを励行したという人の余命は、四十五歳以降、平均して二十一年間、生きたというのであります。ところが、このごく当り前なことを、やはり真面目に六つから七つ全部をきちっと励行した、守ったという人は、四十五歳以降、三十三年間、生きておるというのであります。つまり、こういうごく平凡な事柄でありますけれども、それをきちっと守って、自分の今までの生活習慣の悪弊というものを取り除いて、正しく生きたかどうかということによって、その中年以降の寿命というものに、十年の開きがでたというのであります。しかも、その六項目か七項目をよく守った人の健康状態は、守らなかった人の健康状態と、三十年の開きがでたというのであります。まあ体力的に、生命力的に言うならば、三十年の開きがそこにでたということが、ここに述べられているのでございます。
  従って、これは人間の生活習慣というものが、いかに人間の寿命というものと、深くかかわっているかということを如実に示していると思うのであります。若い時は、その弊害というものはそんなに現れるものではありません。皆さん方も学生時代は一人で下宿をしていたとか、いろんな生活環境の中で若い時代を過ごした方もいらっしゃいます。そういう若い時は、若さにまかせて、毎日毎日、店屋物を食べる。あるいはカップヌードルとかインスタントラーメンを毎日食べ続けていても、一年や二年の生活サイクルの中ではその弊害がわかりません。ですけれどもカップヌードルだとかラーメンだとか、そういうものばかりを、毎日毎日、来る日も来る日も食べ続ける、そういう暮しを十年してごらんなさい。そうしますと、正しい食生活をした人、暖かいお母さんの愛情のもとに、充分な栄養をとった人の十年の命と、毎日いい加減な食生活をしていた人の十年の生命力とでは、大変
な開きがでる。そうなってから、喚いても、呪っても、どうしても、これは取り返しがつかないのであります。ですから私達は、一年二年の間では、どんな生活だってそれは構いません。しかし一生を通じて、あるいは十年二十年三十年というサイクルの中にあっては、やはり正しい生活を貫くということが、どれほど大事なものであるかということを、よく考えて生活しなければと思うのであります。
  これは又、何も食生活だけのことではありません。同時にそれは信心という上においても大切なことなのであります。
正しい御本尊のもとに、正しい道理に則って、正しい教導のもとに、この閻浮第一の信心を貫いた人の十年二十年三十年というものと、無信心で、やりたいことをやりたいようにやり、言いたいことを言い、自分勝手に、わ
がままに生きた十年二十年三十年の生涯と、又、謗法に侵され、その悪知識、邪教に惑わされた五年十年二十年三十年、そして又、生涯というものとの間には、大きな開きが現れてくるものだということを考えて頂きたいのであります。
  臨終のその時になって、眠れない、そうした夜を病院のベッドの中で、繰り返し繰り返し来る朝も来る朝も迎えながらの、そうした一生を悔いる自分と、本当に信心を貫いて正しい信心を全うして、その福徳豊かな生涯を生きるかどうかということも、結局、自分の一念心、自分の正法を求めるかどうか、ちょっとした自分の心掛けのその差によって、一生が決ってしまうということを考えて頂きたいと思うのであります。
  大聖人様は、
  「十界の衆生の心性は所持の経の体なり」(全七九八)
ということをおっしゃっておられます。自分の地位だとか、財産だとか、いろんなそういうものを、はぎ取って、本当の一個の生命というものの価値を考えたときには、その人がいかなる求道心を持つか、いかなる信心を根本にして、その人が生きるかどうかということによって、その人の心、その人の命、その人の仕事、その人の人生、それが決ってしまう、ということを言われておられるのであります。
  ですから私達は、いま幸いにして、大聖人様の、この法界第一、世界一の信心のもとに、それを土壌にして自分の人生を、自分の仕事を、自分の命を、本当に輝かしい尊いものにしょうとしているのだという、そうした意義をしっかりと心に置いて、生涯を通じて、この大聖人様の弟子としての信心を全うしていって頂きたいということを申し上げまして、本日の御挨拶に代えさせて頂く次第でございます。大変、御苦労様でございました。  (昭和六十二年十二月六日)

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