『日曜講話』第一号(昭和63年3月6日発行)
心こそ大切なれ

 皆さん、お早うございます。人間はどんな人にも心と体と、その両方が相まって一つの命が出来上がっております。自分の体、自分の肉体というものは、みんなそれぞれの姿形を、わが目で捉えることはできるのでございますが、心の実体ということになりますと、自分の体の中に、命の中に心があるということは、たしかに確信はできましても、ではどこに、どうやって、どのような形で存在するのかというと、これは、だれ一人として答えることはできないのであります。自分を振り返って、わが命のどこかに心があるということは、自覚はできても、具体的にそれを取って示して見せて、それを説明するということになりますと、これは、いずこの人も、どんな聖人君子といわれる人でも不可能でございます。しかし心があるということは間違いのないこれ又、事実でありまして、皆さん御自身が実感として、わが心を感ずることができると思います。それほど心というものは不思議な存在でございます。仏法の修行におきましても、実はこの実体の見えない心というものが又、一番大切なのでございます。菩薩の修行の中に布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧という大乗の六波羅蜜ということがあります。この大乗の六波羅蜜も、その基本となるのは何かといいますと、やっぱり、それは心というものの問題であります。布施ということを考えても、先ずその心が定まらなければ、布施はできません。持戒ということも、戒を持つということも、やはり戒を持つという心が定まらなければ、戒をしっかりと正しく受け持つことはできません。精進ということだって、やはり心が先ず精進しようという、そうした決意に立たなければ、精進というものも、これ又できないのであります。大乗の六波羅蜜も、結局、全ては、その心を動かすということから、又、心を定めるということから始まってくるのであります。そして又、この仏法における広大な修行の中に、昔から五十二位ということが説かれておりますね。十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚という風に五十二位の段階を説かれております。そうした菩薩のあらゆる修行というものも、一番の最初は何かというと十信ということです。十の信、その十信の一番最初がこれ又、信心ということであります。
 ですから信心というものも、やはり心を動かす、そうして仏法の正邪、分別、その実際を自分の心から、そうした弁別をきちっと学んで、そうして自分の信心の心を正しい正法の心に置いて、そこから信を起こす、という風に始まってくる訳であります。ですから言葉を換えて申し上げるならば、信心ということは、結局それは、心の革命を起こすということなのであります。わが心に信心の革命を起こす。『人間革命』という小説がございますけれども、その人間を改革する基は、一人一人の人が、わが心を奮い動かす。わが心をもって、わが心中の改革を起こす、革命を起こすということが、信心ということなのでございます。
  一たび大聖人様の弟子となって、その大聖人様の信徒となって信心を起こしましても、常に来る年、來る年ごとに、その節、その節ごとに、やはり節目に当たって、自分が再び更に、心の革命を起こすということが大切なのでございます。
  大聖人様の御書の中に、その心の革命、心を揺り動かすという意味において、沢山の御書を、大聖人様は遺しておられるのであります。例えば『立正安国論』に、皆さん方が御存知だと思いますが、
  「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰 せよ」 (全三二)とおっしゃっております。その「汝早く信仰の寸心を改めよ」ということは、一人一人がこの信心の革命を起こせということを、大聖人様は『立正安国論』におっしゃっておられる訳であります。そのほか有名な御指南として、
  「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財よりも心の 財第一なり。(乃至)心の財(こころのたから)をつ ませ給うべし」(全一一七三)ということをおっしゃっております。その「心の財第一」ということも、やはり心を動かすということです。信心の基本は、一人一人が心の革命を起こすということ。それが身を揺り動かし、生活を動かす。仕事に対する自分、あるいは勉学に取り組む自分、人生というものも、結局その基本は、一人一人が心を動かすというところから始まるんだということ。その決意を、どのように持つかということに係わっておるんだということを、大聖人様は説かれている訳でありますね。そのほか、 
  「頭をふればかみ(髪)ゆるぐ。心はたらけば身うごく」(全一一八七)ということを『日眼女御返事』におっしゃっております。私達は頭を振れば自分の髪の毛が動く。体が動く。心身共に動かされている。それと同じように自分の心を先ず動かし、そうして心が決意すれば、自ずから自分の体が、あるいは自分の言葉が、自分の振舞いが、自分の生活が、そのように変わってくる。その基本は、わが心の出発に始まるということをおっしゃっておられると思うのであります。あるいは又『兄弟抄』に、
  「心あさからん事は後悔あるべし」 (全一〇八三)と、心を深く定めることの大切さを教えておられます。
  又、『南条兵衛七郎殿御書』にも、
  「心あらん人人は後世をこそ思いさだむべきにて候へ」(全一四九三)自分の現当二世にわたっての未来、その臨終ということも含めて、やはり心を定める、心をしっかりと信心の上
に持てということをおっしゃっておられます。あるいは又、
  「一念信解の信の一字は一切知慧を受得する所の因種なり」(全七六〇)ということを『御義口伝』に言われております。この御本尊に整足する仏智と言わず、功徳と言わず、その一切を受け持つ、私達一人一人が信心を通して、その仏智を頂く基は、信の一字だ。信に始まる。それが本当の本因だ。因果の始まりはそこにある。ということをおっしゃっておられます。又、池上兄弟に対して、
  「心うすくて悪道に堕ちて日蓮をうらみさせ給うな」(全一〇九一)とおっしゃっておりますし、『道場神守護事』の中に、
  「心固ければ則ち強し」(全九七九)
  『一生成仏抄』には、
  「心清ければ土も清し」(全三八四)
  又、『四条金吾殿御返事』には、
  「ただ心こそ大切なれ」(全一一九二)
ということをおっしゃっておりますし、『曽谷入道殿御返事』には、
  「心の師とはなるとも心を師とせざれ」(全一〇二五)ということをおっしゃっておられます。 
  このように、大聖人様の御書のありとあらゆる所に、一人一人の心の大切さ、先ず心の改革から一切が始まってくる、ということをおっしゃっておられるのであります。
どうか皆様方は、そうした大聖人様の御指南を通して、常に、わが心、自分の心の改革、わが心の革新、わが心の覚醒、ということを心に置いて、これからの信心の糧として頂きたいということを申し上げまして、本日の御挨拶とさせて頂く次第でございます。雨の中を大変御苦労様でございました。
(昭和六十二年十二月十三日)

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