『日曜講話』第一号(昭和63年3月6日発行)
歳寒の三友

  昭和六十三年の新春、明けましておめでとうございます。皆様のお家でも、お正月だとか、お祝いの花といたしまして、松竹梅、松と竹と梅の花を春の花として床の間に生けたり、あるいは飾りに使用したり、絵かきさんは絵の題材としてこの三つを選んだりということがございます。
中国でも日本でも、古来、松竹梅、この三つの植物をもって「歳寒の三友」ということを言うのであります。歳とは三十歳、四十歳とか歳末の歳(とし)いう字ですね。寒というのは寒いという字です。その「歳寒の三友」三つの友達ということですね。これはどういうことを表しているかと申しますと、松と竹と梅と、この三つの植物は人々の心を打つものがある。つまり、寒さだとか苦しさだとか辛いことだとか、いろんなその逆境とか、風雪というものに耐えて、そして寒さの一番厳しい時に、その神々しい姿をもって、気高く、その植物が育っておる、花を咲かせておるというところに人の心を打つものがあるという訳であります。
松というのは、常緑樹でありますから、常緑樹の代表として、人の節操の固いこと。あるいは永遠性といいましょうか、長命を表している訳ですね。昔から「松柏の寿」松と柏は、非常に長生き、長命ということをいうのであります。何も高いお金を出して買った名木が尊いのではない。本当に名もない、形もそんなによくない松であったとしても、その一本の木が長い風雪に耐えて、そして太く高く、そびえ立って行く、そうした姿の中に、言うに言われない、自然が造った神々しい姿というものが、そこに造られていく訳であります。
私達も全く、一凡人に過ぎない。どんな才能がある訳じゃない。人の何倍ものような財産や、地位がある訳じゃない。全く平々凡々たる、名もない一人の庶民にしか過ぎない。その人間が風雪に耐えて、やはり一生懸命この信心に生きて行く。その中に言うに言われぬ、その人の風格やその人の人格というものが、そこに形成されていく。実はその平凡の中に築かれている非凡の姿というものが、実は尊いのだ。たくさんのお金や財産を作ったから偉いんじゃない。たくさんの肩書を自分の肩に背負ったから、その人は人間として立派だということでは又、ないのであります。十億円のお金を使って、そしてまた五億円の豪邸に住んだからといって「ああ、あの人の信心は素晴らしい、ああ、あの人は立派な人だ」なんて誉めてくれる人はだれもいません。「ああ、成り上がり者だ!」みんなその程度の評価でしかない。「何であんなに儲かったんだろうか。あんな豪邸に住んで、どんな生活をしているんだろう」と、むしろ人は尊敬することよりも、あまりにも掛け離れた豪邸に住んだりしておりますと、かえって人から恨まれたり、あるいは人から中傷されたりするものでございます。又、人から笑われたりするものであります。それよりも、どんなに貧しい境涯に生まれても、どういう人間であったとしても、尊い信心を年々歳々コツコツと貫いておる。その姿の中に築かれる人間性というものは、これはだれから見ても、後ろから見ても前から見ても横から見ても、やはり常にその人は尊敬に値する。又、人から慕われ、「ああ、あの人の信心は立派だ。ああ、あの人には敵わない。さすがだ」という風になってくる訳でありますね。
ですから一本の木も百年・二百年・三百年という間に築かれた、言うに言われぬ風格というものは侵しようもない。私達も実はそういう姿で、やはり生涯を通して、この信心を全うしていくということが大切だと思うのであります。
次は竹ですね。竹というのは非常に成長が早い。又、細い体を冬の大雪にはとても支えることは出来ません。ですから、この雪の重みに耐え兼ねて、竹の体は曲げられてしまう。ですけれどもいつの間にか、その雪を振り落としてそして又、反発して真っすぐ伸びて行く。
  総本山の五十二代目の法主を継がれました、日霑上人というお方がございます。この日霑上人のお歌の中に、
  「倒されし 竹は自ら 起き上がり 倒せし雪は 消 えて 跡なし」
というお歌があります。竹はその雪の重さに耐え兼ねて、一時は倒されるかも知れない。ですけれども、その雪を振り除けて自分の力で、又、竹というものは起き上がっていくものだ。そして又この地の下に充分に、縦横無尽に根を張っていく。その竹の生命力といいますかね、そういうものを日霑上人は尊いとして、それを自分の心の中に投影して、その竹の歌を歌っておられるのであります。私達も、そのところをよく汲み取って、どんなに辛いことがあっても、一時は苦しいことがあったとしても、やはり自ずからそこから、その時点から立ち上がっていく。そういう竹の姿。これは一本の竹を歌ってるのではなくて、私達の生き方、私達の信心も、やはりその様でなくてはならないということを、日霑上人が「倒されし 竹は自ら 起き上がり 倒せし雪は 消えて跡なし」と歌っておられるのでございます。又、
  「辛抱は 朝日待つ間の 雪の竹」
という昔の人の句もございますね。
三つめは梅ということであります。梅というのは寒梅という梅の種類がありますように、春の花の代表であります。今の人々の日本人の感覚では、花というと、すぐ桜という風に考え勝ちでありますけれども、昔の人は、みんな春の花というと、やはり梅が代表だったのでございますね。ですから『万葉集』だとか古い昔のいろんな歌に出てくる春の花は、みんな実は桜じゃなくて梅なのであります。梅の花が春の寒さの中に、風雪に耐えて一番の花として、梅の花が咲く。と同時に、梅の実というものは、皆さん方の御家庭でも台所のどこかに梅干しがあると思いますが、アルコールに漬けようが何に漬けようが、やはり梅の味わいですかね、梅の本質的な命というものは変わることがない。三年経っても五年経っても十年経っても、やはり梅干しは梅干しとして効用をきちんと保っている。他の食べ物はアルコールに漬けたり何かしますと逆転して変わっていってしまいます。またその命も短いものであります。しかし梅というものは、長年漬け込んでも、やはり変わらないというところに、言うに言われぬ、この梅の実の風味というものがある訳ですね。ですから花の尊さと同時に又、梅の実の効用というものを非常に珍重したのでございます。一つの清らかな神々しい小さな花を咲かせておるというところに、春の花として人の心に打つものがあったと思われるのであります。
昔の人の句に、
  「この力 人にありたし 冬の梅」
ということが詠われております。このように松にいたしましても、竹にいたしましても、そして又、梅にいたしましても、春の花、あるいは又、不変常住の妙法蓮華経の一つの徳、私達の生き方、信心の在り方というものを暗黙のうちに教えるものとして、私達の先輩もこういう「歳寒の三友」というものを尊んでおられたと思うのであります。
私達も、これは単なる一本の木という感覚ということではなくて、又、正月を迎えて、言葉では春と言いますけれども、実際的にはこれから一月二月と、本当の一年において一番寒い、一番辛い季節がやって来る訳です。しかし人々はそれを春と言う。それは何故かと申しますと、一つには昔は今のように太陽暦ではありませんでした。月の暦でしたから、陰暦の暦によりましたから、年の始めは今で言うと節分の次の日、立春が、むしろ正月でもあった訳ですね。ですからやはり、季節的に年の変わり目が春だったという名残りが今日まで残っておるということもありましょうけれども、しかし、ただ今申し上げました一本の木も、実は今よーくその木の先端を見ますと、ついこの間、枯れ葉となって葉っぱが落ちたように見えます。そして今は草木もみんな冬の眠りについているように見えますけれども、実はよーく観察をすると、もう春の芽が、きちっとその木の枝の先のどこかに、もはや吹き出しているのであります。 ですからそこを考えると、やはり人間も一番苦しい一番辛い時が、辛い時じゃない。どん底のように見えるけれども、実はそのどん底の中に新しい春の芽が、幸いの芽が、そこに吹き出してきておるのだということを考えていかねばいけないと思うのであります。ですから「今は、どん底だ。一番辛い、辛い」と嘆いていても何の解決もしない。その辛いどん底の中に新しい芽があるということをよく読み取って、そこから又、人間は立ち上がっていくということが大切だと思うのであります。
どうか私達はこういう姿、自然の姿の中に又、われわれの生き方を学んでいくということが大切だということを申し上げまして、本日の御挨拶とさせて頂く次第でございます。大変、御苦労様でございました。
(昭和六十三年一月三日)

戻る