妙光寺通信 ゲストの皆様へ (3−2)

「旧仏教では人を救えないのです」

  日蓮大聖人の『諌暁八幡抄』という、総本山に御真書がある重要書に、
「天竺より仏法漢土へわたりし時、小大の経々は金言に私言まじはれり。宗々は又天竺・漢土の論師・人師、或は小を大とあらそひ或は大を小という。或は小に大をかきまじへ或は大に小を入れ、或は先の経を後とあらそひ、或は後を先とし或は先を後につけ、或は顕経を密経といひ密経を顕経という。譬へば乳に水を入れ、薬に毒を加ふるがごとし。」(御書一五三一頁)と記されています。

つまりインドの釈尊に始まる各国各宗派の旧仏教の教えはインドより西域を通って中国に伝わり、中国から朝鮮へ、そして日本やタイ、ビルマ、スリランカ等と伝えられ、沢山の経典が翻訳される度に訳者や人師、論師の私見や我意我見が加えられ、大乗と小乗の区別さえも誤り、釈尊の本意が全くそこなわれてしまっているとの仰せなのです。

かくして釈尊の仏教を源泉とする華厳宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗、禅宗、天台真言宗、律宗等の各宗の教えは、釈尊の滅後二千年間に各国に弘まりましたが、もはや人々を真に仏の境界に導き、人々を幸せにする仏力、法力を失っているのです。

その証拠に、釈尊のインドにおける弘教の場所は全て廃墟となり、中国の洛陽、長安の寺々も今は歴史のなごりをとどめるばかりであり、奈良や京都の大寺も今や観光寺院の域を出ません。

また大聖人は同じ『諌暁八幡抄』に、
「一切の人師末学等、設ひ一切経を読誦し十二分経を胸に浮べたる様なりとも生死を離るる事かたし。又一分のしるしある様なりとも、天地の知る程の祈りとは成るべからず。」(御書一五三一頁)と説かれ、念仏や真言の三部経を暗記するほどに修行をしても、唯一人の成仏もなく、功徳もないと断言されているのです。

それに引きかえ、末法万年の人々を救済されんとして御出現遊ばされた日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の大御本尊の御威光について、大聖人は、
「今日蓮が唱ふる処の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり。」(『御義口伝』御書一七三二頁)と仰せられ、
「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。」(『報恩抄』御書一〇三六頁)と断言されています。

濁世末法の今日はもはや釈尊の旧仏教の時代ではなく、新しい日蓮大聖人の三大秘法の大仏法が全世界に流布していく時代なのです。             

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