妙光寺通信 ゲストの皆様へ (3−4)

「時にかなった正法を」

  日蓮大聖人は『教機時国抄(きょうきじこくしょう)』に、
「仏教を弘めん人は必ず時(とき)を知るべし。(中略)時を知らずして法を弘むれば益無(やくな)き上還(かえ)って悪道に堕(だ)するなり。」(御書二七〇頁)と仰せになっています。

 お百姓さんがもしも春夏秋冬の季節を考えずに田を耕し、苗を植え、よき実りを得ようと思っても、時期を誤ると収穫はおろか、農作業の全てが無駄になってしまいます。それと同じように仏教にも釈尊の滅後の時代性に合致した弘教の教えがあるのです。つまり釈尊の滅後正法一千年の始めの五百年にはインドの迦葉(かしょう)、阿難( あ なん)等の御弟子が小乗教を中心に弘め、次の五百年には竜樹(りゅうじゅ)、天親(てんじん)というような大菩薩が出現して大乗経の教えを弘通いたしました。

 次の像法一千年には中国、日本等に多くの寺院が建立され、南岳大師(なんがくだいし)、天台大師、妙楽(みょうらく)大師、伝教大師等が中国の隋、唐の時代、日本の平安期に出現され、法華経の迹門(しゃくもん)を中心に弘められ、叡山(えいざん)に法華迹門の戒壇を開かれました。
この正法、像法の二千年間は釈尊の法華経の教法が中心となり、一切衆生に利益を与えることができました。しかし末法に入ると釈尊のあらゆる仏法はその力を失い、念仏、真言、禅を始め、たとえ天台伝教の法華経の教えでももはや一切の人々を救済することのできない時代に入ったのです。

 ならば末法は暗闇の時代かといえばそうではなく、日蓮大聖人は今日の悪世末法の人々を救済できる唯一の正法として、
「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせん(詮)なし。但南無妙法蓮華経なるべし。かう
申し出だして候もわたくし(私)の計らひにはあらず。釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御計(はか)らひなり。此の南無妙法蓮華経に余事をまじ(交)へば、ゆゆしきひが(僻)事なり。日出でぬればとぼしび(灯)せん(詮)なし。雨のふるに露なにのせんかあるべき。嬰(みどり)児(ご)に乳より外のものをやしなうべきか。良薬に又薬を加へぬる事なし。」(『上野殿御返事』 御書一二一九頁)と、法華経の肝心である南無妙法蓮華経の大法があると断言されているのです。

 末法万年の人々のために、末法濁悪(まっぽうじょくあく)の光明として、太陽の如き大法がさんぜんと輝く時に、衰滅した灯の如き、また露の如き過去の釈尊の教法に執著していては本当の救済はないのです。

 末法は幸いにして日蓮大聖人による南無妙法蓮華経の大白法(だいびゃくほう)が世界に広宣流布して、万人を救済する時代なのです。

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