妙光寺通信 ゲストの皆様へ (3−29)

「正法を信ずる事の出来ない不幸」

  この世に御出現になった御本仏の教導の元に、最勝最高の真実の教法を信じて、一切の罪障を消滅し、今世において本当に幸せな境涯を開拓することを真実の正しい信仰と申します。
  それに対して、正法を信じる事が出来ず、仏の教導を受けながら、また多くの善知識の勧めを無視して、聞くことが出来ず、このまま自我を中心にした信仰感のもとに、どうしても正しい信仰につけない人を謗法の人と申します。
  この謗法の人に対して日蓮大聖人は『戒体即身成仏義』に、
   謗(ぼう)と云(い)ふは但口(ただくち)を以(もっ)て誹(そし)り、心(こころ)を以(もっ)て謗(そし)るのみ謗(ぼう)には非(あら)ず。法(ほ)華経流布( けきょうるふ)の国(くに)に生(う)まれて、信(しん)ぜず行(ぎょう)ぜざるも即(すなわ)ち謗(ぼう)なり。(新編10頁)と御指南下さっております。人間として生まれながら、尊い命を育む仏の本懐の正法を聞かんと欲せず、正しい信仰を、また最高の教法を信じようともしない人を「謗人」と言い、そうした人の家を、「謗家」と申します。
  また『寺泊御書』に、
  聞(き)かんと欲(ほっ)せず、信(しん)ぜんと欲(ほっ)せず、其(そ)の機(き)に当(あ)たらざるは、言(ことば)  を出(い)だして謗(そし)ること莫(な)きも、皆怨嫉(みなおんしつ)の者(もの)と定(さだ)め了(おわ)んぬ。(新編484頁)と仰せになっています。
  たとえ口で謗ずる事無く、身をもって正法を誹謗することが無くても心に信ずることが出来ない、仏の本懐の教法を信じることが出来ない人々を総称して「謗法の人」と仰せになられております。謗法がいかに怖ろしいか、正法を行ずることなく、正法を信じることの出来ない「不幸」を知って下さい。日蓮大聖人は『開目抄』に、
   善(ぜん)に付(つ)け悪(あく)につけ法華経( ほ け きょう)をすつるは地獄( じごく)の業(ごう)なるべし。(新編572頁)と仰せになられております。最高の教法たる法華経を信ぜず、正法を信じることが出来ない人の業は火を見るよりも明らかであります。段々段々と無間地獄の境涯へと堕ちていくということを知らねばなりません。どうか同じ一生を生きるならば地獄への不幸な道をふさいで、闇夜を照らす正法によって本当の幸せの境涯を開いていっていただきたいと思うのであります。


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