妙光寺通信 ゲストの皆様へ (3−37)

「仏の金言(経教)に随うべし」

 釈尊が最後に説かれた涅槃経の中に全ての弟子や信徒に対して「法に依って人に依らざれ」つまり「依法不依人」という事が説かれています。この意味は滅後の衆生に対して「願っても願うべきは仏道、求めても求めるべきは経教」と言われるように、真実の経教の中に最も勝れた教法に帰依すべき事を教えておられるのであります。人間の言葉には時として目前の我見が入り、偽り、粉飾したものが入ります。従って仏の金言たる経教を対比、相対して勝れた教法につくべき事を教えられているのです。
  日蓮大聖人もまた「如説修行抄」に、
  所詮仏法(しょせんぶっぽう)を修行(しゅぎょう)せんには人(ひと)の言(ことば)を用(もち)ふべからず、只仰(ただあお)いで仏(ほとけ)の金言(きんげん)をま(守)ぼるべきなり(御書671)
と仰せ遊ばされています。
  釈尊の教説と空海の真言宗とどちらを取るべきかと尋ねられたならば釈尊に従うべきで、弘法大師に従うべきではありません。
  また日蓮大聖人は「法門申さるべき様の事」に於いて、
  教(きょう)と申(もう)すは師親(ししん)のをしえ、詔(みことのり)と申(もう)すは主上(しゅじょう)の詔勅(みことのり)なるべし。仏(ほとけ)は閻浮第(えんぶだい)一(いち)の賢王(けんのう)・聖師(しょうし)・賢父(けんぷ)なり。されば四十余年(しじゅうよねん)の経々(きょうぎょう)につきて法華経(ほけきょう)へう(移)つらず、又(また)うつれる人々(ひとびと)も彼(か)の経々(きょうぎょう)をすててうつ(移)らざるは、三徳(さんとく)を備(そな)へたる親父(しんぶ)の仰(おお)せを用(もち)ひざる人(ひと)、天地(てんち)の中(なか)にすむ(住)べき者(もの)にはあらず(御書428)
と戒められています。池田大作も仏法上の仏でも、師でもありません。
  さあ日蓮大聖人の御金言に依って、宗旨を選び、信仰を選び、そして功徳を戴いて、また折伏弘通につとめましょう。

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